EP587:伊予の物語「叛心の安禄山(ほんしんのあんろくさん)」 その2~伊予、堀河邸の宴に誘われる~
年配の侍女が北の対へ立ち去るのを見送って、侍所の雑色にもう一度話しかけた。
「あの~~~太郎君はご在宅ですか?」
雑色は一瞬、言うかどうか迷ったような顔をして
「伊予さん・・・・は殿とお知り合いでしょう?
殿からお聞きになっているのでは?」
えっ??
戸惑ったけど一か八か
「はい、あの~~、太郎君は一時的に左大臣邸にいらっしゃると伺ったような気がします~~~」
モゴモゴ答える。
雑色は安心したようにほほ笑み
「そうです。ですから堀河邸にはいらっしゃいません。」
私はホッとしたような、虐待と避難が事実だったことがショックで悲しいような、複雑な気持ちになった。
無事、内裏の雷鳴壺に戻ることができ、椛更衣に納経を済ませたことをご報告したり、山中で起こった高貴な女性の殺人事件の顛末をお話して盛りあがったりした。
爾時子三世女王の悲しい物語について、椛更衣は
「女王さまとなると、誇り高き皇族でいらっしゃるから、弟君とのいざこざが、もし世間に公表されたりしたら、今度こそ本当に儚くおなりになるかもしれないわね。」
と沈痛な面持ちで呟かれた。
そうして何事もなく数日が過ぎた。
その間、影男さんからも時平さまからも、ひとことも音沙汰が無かった。
寂しい山奥のお寺で、一人ぼっちでいるときに幻を見るぐらい、『好きな人』なのに。
こちらから『帰ってきました』ぐらいの挨拶の文を書くべき?
『逢いたい!』って呼び出すのは、傲慢で我儘??!!
悩んでるうちにまた数日が過ぎた。
桐壺に用があって出かけたときに、茶々の房で世間話してると、茶々が声を潜め
「ねぇ、あの噂ってホント?」
ん?何のこと?
というキョトン顔をすると、面長でほっそりとした顔に扁桃形の生気のある目を細め、眉根を寄せ難しそうな顔で
「左大臣さまが夜ごとある女子に『媚薬』を盛られてるって話!
その『媚薬』が強烈すぎて、毎夜、その女子のそばで前後不覚になってらっしゃるってもっぱらの噂よっ!!」
「はぁっ??!!」
ブンブンと首を横に振り
「知らないっ!!そうなのっ??!!
新しい女子ができて、その女子に夢中で通ってるのっ??!!
嘘っっ!!
初耳だけどっっ!!??」
驚きと衝撃のあまり頭が真っ白になった。
だから宿直の夜も逢いに来てくれないの??!!
しばらく呆然としてると、艶っぽい、鈴の音のような声で
「茶々さん、伊予さんはそこにいるのかしら?」
房を区切っている几帳越しに臺与の声が聞こえた。
茶々と顔を見合わせ、私が
「伊予ですけど、何かご用?」
届くように大きく声を出すと、几帳をよけて臺与が姿を見せた。
丸顔で、頬が少し豊かで、筋の通った鼻は高いけど小さい。
目は大きく、端は下がり気味で、泣き出しそうな儚げな様子は、頼られたら思わず手を差し伸べたくなるような愛くるしさがある。
広くて丸い額と小さな唇には幼さが残り『童顔趣味』にはたまらない!雰囲気の美女。
臺与がめずらしくご機嫌な様子で私にほほ笑みかけ
「五月x日に左大臣さまの北の方である廉子さまが、宴を催すからあなたを招待したいんですって!
何か贈り物をしたの?
そのお礼を兼ねてるって仰ってたわ」
『廉子さまの子分になるっ!!』のを目指している私としては二つ返事で
「もちろん、参加させていただきます!
宴って、いったい何の?
五月だから『邪気払い』の宴?
それとも『ホトトギスの声を聞く宴』とか?
う~~~ん、五月といえば・・・の菖蒲(*1)や薬玉(*2)に関する和歌を用意すればいいかしら?」
臺与は満面の笑みを浮かべ、楽しそうに笑い
「まぁ!そんなに考えすぎなくていいと思うわ!
廉子さまは
『軽いごちそうとお酒を用意しますから、気軽に手ぶらでいらしてちょうだい』
と仰ってたわ!」
そ~~~なのっ??!!
菖蒲の蔓(*3)とかしなくていいの??!!
え?
それは男性貴族が端午の節会に参内するときだけ?!
とりあえず粗相のないように準備万端!にしたいので、臺与が立ち去るとすぐに茶々にそう告げて、早々に桐壺を辞して雷鳴壺に戻った。
準備としては、即興で和歌を詠むことになったときに備えて、五月関連の思いつく限りのお題で一首ずつ作ってみた。
う~~~ん、他には何を準備すればいいの?
でもほんとにごちそうを食べてお酒を飲むだけの宴なら何もしなくていい?
『気軽に手ぶらでいい』
って仰ったらしいし!!
堀河邸で行うなら、左大臣さまは出席なさるの?
他には誰がくるの?
あ~~~~!臺与にちゃんと聞いておけばよかった!!
モヤモヤしてるうちに、すぐその五月x日になった。
大内裏から堀河邸までは、大内裏を出て東に進むと割と近くなので歩いて出かけた。
外出の許可をお願いすると、椛更衣は面白そうに目を輝かせて、ちょっと意地悪そうに口をとがらせ
「あら~~~!
ついに正室と側室の直接対決の時が来たのね!
伊予、絶対負けちゃダメよ!
左大臣の寵愛は私が独占してる!!って廉子さまや、恋敵の臺与に思い知らせて来なさいよっ!!」
余計な発破をおかけになった。
私は焦って否定するために手をヒラヒラさせ
「ですから、私は廉子さまの手下?にしてもらうんですっ!
闘いませんってっ!
従順に命令を聞く大人しい妹になるんですっ!!」
反論すると、疑い深そうな横目でチラ見なされた。
長い築地塀に沿って歩き堀河邸の立派な四脚門に到着し、門番に通してもらうと、今度は侍所で対応してくれた雑色がそそくさと主殿に通してくれた。
(その3へつづく)
(*1:唐では、菖蒲の根を細かく刻んでお酒に浸した「菖蒲酒」を飲んだり、菖蒲の葉を身につけてその強い香気で鬼(病魔)を遠ざけようとしました。)
(*2:菖蒲や蓬を丸く編み込み、そこに五色の糸を長く垂らした「薬玉」を作り、天皇へ献上したり、貴族同士でプレゼントし合ったりしました。)
(*3:『平安時代、端午の節会に参内する男性は、皆冠に菖蒲の葉を挿さなければならない制度があり、それを菖蒲の蔓と呼んだのだそうです。その着用には、菖蒲葉の本数や寸法まで事細かく決められていた。』)




