EP584:伊予の物語「渇愛の空性(かつあいのシューニャ)」 その6~伊予、夢幻に翻弄される~
呆気に取られてると、侍多王さんが淡々と続ける。
「私は、物心ついたころから、五つ年上の姉に溺愛されていました。
まだ幼いころは、どこの家庭でも姉というのは弟を溺愛するのが普通だと思っていました。
ですが、女子に興味を持つ年頃になると、姉の私への愛情が異常なものだと気づきました。
私が友人と、女子に文を出そうと算段していた、と聞きつけた姉は、何を思ったのか、こともあろうに、私に恋文をよこすようになったのです。
そして私が出かけると密かにあとを付け回すようになりました。
何度やめてくれと頼んでも、姉は侍女の妙音を使って私に恋文をよこしました。
姉をあからさまに避けるようになりましたが、同じ屋敷内で暮らしているので、嫌でも顔を合わせてしまいます。
そしてついに、ある出来事が起こったのです。」
侍多王さんは焦点の合わない目で、虚空の一点を見つめたままゴクッ!と喉を鳴らし、ためらうように
「せ、先日、あ、姉が、私の、寝所に、忍び込んだのです。
月のない闇夜のことでした。
衣にしみ込んだ香の匂いで、すぐに姉だと気づき、激しくとがめました。
酷い言葉で口汚く罵りました。
同母の姉弟で同衾を企むなど畜生にも悖るとか、そんな風にです。
言った後、姉を傷つけたと後悔したほどでした。」
狭野方さんと同僚が困惑した表情で顔を見合わせた。
私も、どう反応していいかわからず、侍多王さんをまっすぐ見ることができなかった。
侍多王さんはまたゴクッと唾を飲み込み
「姉は、泣いて、自分の対の屋に戻りましたが、その後も、私をしつこく付け回すので、一度ゆっくり話し合いを持とうと思いました。
家では父と母の使用人に話を聞かれてしまう可能性があるので、昔、家族でお参りに来たことのあるこの寺を、話し合いの場に指定しました。
会って話し合いをしたのが四日前のことです。
その日は、家族に気付かれないよう、別々に家を出発し、この寺に来る途中の山道で、私は姉と妙音を見かけ追いついたので、脇道に入り、しばらく話し合いました。
『これ以上付きまとうなら私は家を出て家族と絶縁し、もう二度と会わない』
と脅すと、姉は今後は付きまとわないと約束してくれました。
そこで別れて私が先に下山したのです。
その後、姉が妙音を殺したのでしょう。
その理由はわかりません。
ですが、伊予さんの話を聞いて姉が無事である確信はもてました。」
へ??!!
私が何か言った?
いつ?!
なんて言ったっけ??!!
キョトンとしてると、侍多王さんが
「捕まった従者というのは、色黒で背の低い、出っ歯な細い若者だったでしょう?」
その通りなので、頷きながら
「はい。そうです。妙音さんの恋人の従者でしょう?」
侍多王さんが首を横に振り
「それは男装した姉です。
姉が私の後をつけるとき、いつも従者に変装してました。
四日前も従者姿でした。
その方が身軽に動けて怪しまれないからでしょう。」
あっ!そっか~~~!!
私もしょっちゅう男装するしっ!
なるほど~~~!
納得~~~!!
え?
でも、じゃあ、主である爾時子女王が侍女の妙音を背負って草叢を歩いてたの??!!
なぜっ??!!
殺したあと、遺体を隠すため?
侍多王さんの話を聞き終えると、太陽は真上を過ぎ、午後になっていた。
狭野方さんたちと侍多王さんは下山し、妙音の体を鳥辺野に運ぶ人員を連れてきたり、検非違使庁で勾留している爾時子女王を尋問するとのことだった。
私はまだ残っていた写経を日暮れ前に終わらせることができたけど、これから下山するには心細いほど、周囲は薄暗くなっていたので、観音堂にもう一泊させてもらうことになった。
三泊目ともなると、床の上で眠ることにそろそろ慣れてきて、灯りを消すとすぐに眠りに入ることができる!と思ったのに、答えのない問いが、頭の中を駆け巡り、なかなか寝付けなかった。
影男さんは実際に来てくれてたの?それとも私の妄想?
爾時子女王はなぜ腹心の侍女・妙音を殺したの?
爾時子女王はなぜ遺体を背負って草叢まで運んだの?
そして、私が浮世から離れたいと思った『最大の原因』である、時平さまとの今後の関係について、どうすればいいのか?を考えて決断しようとした。
きっぱり別れる・・・・ことはできない。
会う回数を減らす?・・・・今でさえ物足りない!のに!!??
でも、私が引かなければ、御子さまたちが廉子さまの攻撃対象になるかも。
折檻が加速して取り返しのつかないことになったら?!
・・・・・どう考えても丸く収まる方法は思いつかない。
廉子さまを怒らせない程度に、秘密裏に兄さまと逢う?
ぐらいのことしか、私にはできない。
時平さまを諦められないなら。
寂しい・・・・
今すぐ逢いたい・・・・・・・
春だというのに、昼間は汗が出るくらい日差しが強い、それなのに夜になると山は空気が冷たくて、底冷えがする。
かけた単をきっちりと首まで引き上げ、体を丸め縮こまって目をつぶった。
ふと視線を感じ、月明かりに照らされた観音さまを見つめると、美しい曲線を描いた眉毛と半眼の目が動き、笑ったように見えた。
強烈な眠気に襲われ、
『あ~~~これ!前にもあった!ここへ来た直後に・・・・・』
ぼんやり考えてると意識が遠のき、眠りに落ちようとした。
「浄見、いつ都に戻るんだ?」
耳のそばで、硬い、低い、声がささやく。
眠気に襲われたまま、朦朧とした意識で、眼を半分開き、
「う~~~ん、明日・・・・?」
応えると、熱い湿った息が耳にかかるのを感じ、温かい弾力のある唇が耳に押し当てられた。
唇で耳を挟まれたり、チュッと音を立てて吸われたりするので、煩わしくなって
「眠いからやめてっ!兄さまっ!」
自分が発した言葉に驚いて、完全に目が覚め、体を起こすと、耳のそばにあった気配が消えた。
(その7へつづく)




