EP581:伊予の物語「渇愛の空性(かつあいのシューニャ)」 その3~伊予、写経に浸る~
振り向くとすぐそばに、影男さんが座ってて、私と目が合うと、傀儡が生き返ったように顔をほころばせ
「驚かせてすみませんでした。
ひとりでは心細いでしょう?
これからは私があなたを守ります。」
影男さんの体から放たれる、体熱のぬくもりと汗の匂いに、懐かしさがこみあげ、一気に心細さが消えうせて、ホッと安心して甘えたくなった。
「じゃ、腕枕してくれる?
抱きついて寝てもいい?」
と上目遣いで問いかけると、影男さんはどこか他人行儀な、遠慮がちなほほ笑みを浮かべ、うなずいた。
影男さんがのばしてくれた腕に頭を乗せ、胸にギュッと抱き着くと、すぐに眠気に襲われウトウトしたけど、影男さんがボソボソと話し始めたので、夢うつつにそれを聞いてた。
「三日前に爾時子という三世女王にあたるお方がここへお参りに来られたまま、屋敷にお帰りにならず、都では行方不明だと騒がれています。
伊予さんは見かけましたか?」
私は腕に乗せた首をウウンと横に振った。
「侍女と二人でこの寺にお参りに来ると三日前に屋敷を出たらしいのですが、今日にいたるまでどこにいらっしゃるか消息が不明だそうです。
弟君にあたる侍多王が検非違使庁に行方を捜してほしいと届け出をされたと、知り合いの検非違使から聞きました。」
眠くってたまらなくなって、適当な相槌
「ふ~~~~ん、そうなんだ・・・・・」
を打つとすぐに眠りこんでしまった。
次の日、目が覚めた時にはすっかり日が昇り、お粥と漬物の朝餉が文机の上に置かれてた。
あたりをキョロキョロして影男さんの姿を探しても、全く見当たらない。
どこにいったの??
私を守るって言ってたのに?!
心細さと不安のあまり、胸が苦しくなった。
観音さまをみつめると、頭上の様々な表情のお顔が、こちらを見ているような気がして、居心地が悪い。
心にやましいものがあるから、仏さまが悪意ある人の顔と見えてしまうのかもしれない。
廉子さまから時平さまを奪った、泥棒だと、自分で自分を責めてるのかもしれない。
朝の身支度を手早く済ませ、墨をすり、ゆっくり深呼吸して心を落ち着け、写経にとりかかることにした。
まずは『般若心経』のお手本と紙を広げ、筆に墨をつけて、一文字ずつ、丁寧に書いていく。
『・・・・・・
色 不 異 空 空 不 異 色
色 即 是 空 空 即 是 色
受 想 行 識 亦 復 如 是』
『形があるということは実体がないということと同じであり、実体がないということは形があるということと同じである。
形があるとはつまり実体がないということで、実体がないということはつまり形があるということである。
感覚、認識、意志、知識もまたこれと同じごときである。 』
・・・って、つまり、何が言いたいの?
この世には何もかも『存在しない』ってこと?
そのあとに続く
『生滅もない、清浄不浄もない、増減もない、精神もない、眼・耳・鼻・舌・身体・心もない、さらに形・音・香・触感・心の対象もない・・・・・』
とか、いちいち列挙してから『そんなものは無い!』って断定するのはなぜ?
お経って謎だらけ!!!
雑念にとらわれそうになるけど、そのたびに深く息を吐いて気持ちを落ち着け、集中して筆を運んだ。
単調な作業をしてると、眠くなり、意識が遠のき、体から抜け出した魂が浮遊し、自由な上空へ飛翔しそうになった、そのとき
「あのぉ~~、女房どの、都から検非違使たちがいらっしゃいました。
あなたにもお話を伺いたいそうです。
ここにお通ししてもかまいませんか?」
衝立を隔てた、妻戸を開け放った入口から、雑色の云何さんの声がした。
ハッ!と現実に引き戻され、慌てて
「え!あっ!はいっ!わかりましたっ!どうぞっ!」
立ち上がって文机ごと横に移動させると、入ってきた二人の検非違使が胡坐をかいて座るのを、ぼんやりと見つめてた。
そのうちの一人が
「あれ?もしかして、伊予さんですか?」
へ??!!
とその人の顔をちゃんと見ると、目鼻立ちは整って、眉は端が下がりがち、切れ長な目は兄さまに少し似てる、文句なしの美男子!
二十代前半ぐらいで第一印象は『優しそう!!』な、検非違使の狭野方さんだった。(*作者注1)
思いがけない場所で、思いがけないタイミングで、親しい人に出会った偶然に、思わずテンションがあがり
「えーーーっっ!!狭野方さんっ??!!お久しぶりですっ!!
どうしたの?ここで何してるのっ??!!」
狭野方さんも驚いたように目を丸くして、照れたように萎烏帽子から出た後ろ頭をポリポリ掻き
「あ、久しぶりですね!元気でしたか?
私は、ええっと、仕事です。
実は、三日前に失踪した爾時子という三世女王の行方を捜してたんですが・・・・」
一瞬、ためらったように口をつぐみ、決心したように口を開くと
「その、先ほど、ここへ来る途中の山中で、高貴な身分の女性と思われる遺体を見つけました。」
きっぱりと言い切ったあと、様子をうかがうように私を見つめる。
(その4へつづく)
(*作者注1: EP462:伊予の物語「沐猴の木通(もくこうのあけび)」で知り合いました!)




