EP580:伊予の物語「渇愛の空性(かつあいのシューニャ)」 その2~伊予、道に迷う~
その後、内裏に戻り雷鳴壺で世間話してると、もうすぐ母君の命日だったのを思い出された椛更衣が
「あっ!もうすぐ母さまの命日だわ!
今から写経して母さまの命日に間に合うようにお寺にお経を納めましょう!
急がなくちゃ!」
と仰ったのをきっかけにして、私はハイ!と手を挙げて
「私が持っていきます!ついでに私も数日間、宿泊させてもらって写経して納めてきます!」
と申し出た。
すっかり厭世的な気分が頭からつま先まで染みついた私は、憂き世の俗世から離れて、人里離れた山中の寂れたお寺で、ひっそりと無心に写経したい、と心から願った。
で、今、椛更衣の写経を携えてお寺に続く山道を、登ってるってわけ。
『般若心経(般若波羅蜜多心経)』か『観音経』(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)あたりの、お経を観音菩薩さまにお祈りしつつ写して、椛更衣の母君の菩提を弔うつもり。
そのためには早くつきたいのに、まだお寺の気配すらしない。
さっきから幹のまっすぐな背の高い木に囲まれた、曲がりくねった山道をずっと上り続けてるのに、一向に景色が変わらない。
このままずっと、お寺に到着できなかったら、どうしよう?
ずっと一本道を歩いてきたはずなのに。
このままたどり着けないとなると、私はどうなるの?
疲労や空腹で動けなくなれば、狼や熊に襲われて、生きたまま食べられる?
それとも餓死して、朽ち果て、骸を虫や烏たちに食べられる?
怖い・・・・
けれど、
それもかまわない、のかもしれない。
私がこの世からいなくなれば、廉子さま家族は、幸せになれる。
この山に棲む生き物たちが私を食べてくれれば、私の一生には意味があった。
何者かの糧になることができた。
「ふぅ~~~~っ」
立ち止まり、一息ついた。
同じ一本道を進んでいるのに、今度はすぐに開けた場所に登りついた。
南北にお堂が二つと、雑舎が並ぶお寺だった。
私は雑舎の開いた遣戸から中を覗き込んだ。
中は土間に竈があり、高床になった部分は衝立で奥が見えなくされている。
「ごめんください~~~」
声をかけると、六十歳ぐらいの年取ったお坊さんが出てきてくれて、ご挨拶して少しお話しすると、このxx寺の住職の無尽意さんだとわかった。
私が椛更衣から預かった写経を納めてもらいたいとお願いし、私もここで数日間、写経させてもらいたい旨を伝え、お布施を渡すと、快く許可してくれた。
このお寺は住職の無尽意さんと、初老の雑色の云何さんと二人だけで成り立っているようだった。
ただでさえ寂しい山の中で、鳥の声と、シンと冷たい空気と、古めかしい建物と、老成した人物と、しわがれた読経と、それだけで時が過ぎてゆくと想像すると、落ち着くような、退屈すぎて頭がぼぉっとするような、白昼夢の中にいるような気がした。
無尽意さんは私を一番南にある観音堂に案内してくれた。
茅葺の屋根に、北側は板壁で、東西はあかり取りの格子がはまった遣戸を閉め切っていて、正面の妻戸は開いてあった。
そこで宿泊し写経もするようにと住職の無尽意さんが文机を持ってきてくれた。
明るい昼間の光のもとで、北側に安置されている木像の十一面観音さまをはっきりと見ることができた。
子供ぐらいの大きさの立像で、頭の上に十一面のお顔を乗せている。
体つきは全体に丸みを帯びていて、特に胸や腰が女性らしい。
形のいい鼻と細い美しい曲線を描く蛾眉や、色っぽい唇の厚みはどうみても実在しそうな美女の顔。
信仰すれば、病気にかからない、金銭や食べ物に困らない、恨まれない、災害を受けない、などの現世利益をもたらしてくれる。
私も手を合わせて
『数日間お世話になります。
よろしくお願いします。
椛更衣の母君が極楽浄土で幸せに過ごしておられますことをお祈りします。』
と挨拶?お祈り?しておいた。
山登りの疲れが出たのか、強烈な眠気に襲われ、頭が重くなって座っていることができず、その場でパタンと横になって、眠り込んでしまった。
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目が覚め、起き上がると、文机の上に、おにぎりとお漬物と汁物と水瓶が置かれてて、あたりはすっかり暗くなってた。
遣戸と妻戸は閉められて、格子から、お堂の中に月明かりが差し込んでいた。
「目を覚ましましたか?」
低い掠れた声で、耳元でささやかれ、
ビクッ!
と飛び上がるほど驚いた。
(その3へつづく)




