EP579:伊予の物語「渇愛の空性(かつあいのシューニャ)」 その1~伊予、山籠もりする~
今回は一話ずつ毎日0:50~公開します!
すでに公開した平安宮廷の女房・伊予の物語「渇愛の空性(かつあいのシューニャ)」の『簡潔版』を掲載します!(エピソードあたりのユニークアクセス数が多かったので)
『詳細版』の一部をちょっと差し込んだ部分もあります。
(._.)
【あらすじ:時平さまとの関係を続けることで、ご正室を思った以上に追い詰めていたことを知った私は、厭世的な気分が高じて山中のお寺に、写経するという口実で逃げ込んだ。
全ての実体は空虚であると語りかけるお経を写すうちに、夢とうつつの境界が曖昧になり、おまけに高貴な女性の殺人事件まで起こり、余計に現実逃避しそうになった。
渇愛が引き起こす煩悩は、耐えがたい苦につながるから消すべき?
私は今日も悟りの境地を諦める!】
ザッ・・・ザッ・・・ザッ・・・・
「ふぅ~~~~」
ため息をついて立ち止まる。
私は今、ある寺に向かって山を登ってる最中。
みずみずしい新緑の、鶯の鳴く山道を、休み休み登ってる。
市女笠、引きずらない長さの単と袿をさらに短く裾をたくし上げて腰でくくって壺装束にし、くくり袴に脛巾をつけ草履をはいた動きやすい恰好で歩いてる。
緑の濃い山の中だから、空気は濃密なはずなのに、日ごろの運動不足のせいかすぐ息が上がり、呼吸が荒くなると、クラクラと眩暈がする。
夜明け前に内裏を出て、舗装された路のある都の端までは牛車に乗せてもらえたけど、それからかれこれ二刻(4時間)は歩き続けてる気がする。
ザザザッ・・・・!!!
急に強い風が吹き抜けた。
人ひとりがやっと通れるくらい細い山道を取り囲む、背の高い木々がざわめく。
見上げると、まるで巨大な未知の生物が高い葉叢を順番に四方八方に揺らし、お互いに意志疎通してるようにみえた。
また眩暈がして、目の前が真っ暗になり、思わずその場にしゃがみこんだ。
目をつぶり、思い出してみる。
守庚申の夜、みんなで枇杷屋敷で和歌を詠んだあと、一人で寝ていた北の対に夜中、兄さまが現れた。
二人で過ごして、兄さまは『きょうの撫子 藤にぞ匂う』と和歌を詠んだ。
そのあと・・・・・何があったっけ?
そうだ、元佐さんの『怪談』を話したんだ。
****************
元佐さんから聞いたんだけど、と前置きして兄さまに
「ある貴族のご正室が、庚申の夜、夫がほかの女子のところへ行ってしまうことに腹を立てて、徹夜で過ごす間に太郎君を折檻してたらしいの」
と話して、顔色を窺い、続けて
「まさか、廉子さまのことじゃないわよね?
だって、弟君は藤原氏の大学別曹(*作者注1)である勧学院の寄宿生で大学寮の学生じゃないし、廉子さまの御子さまは三人だものね?」
枕にした兄さまの胸の上で首を傾げ、問いただすと、眉根を寄せ、苦渋の表情を浮かべ
「廉子が太郎に手を挙げたことは何度かあったが、それが庚申の夜かどうかは定かではない。
そして折檻した理由も、廉子の言い訳によると浮気に腹を立てたわけではなく、太郎が勉強を怠けたとか、妹をいじめたとか、そういう理由だった。」
少なくとも私のせいで家庭内暴力が起きたわけじゃない!とホッとしつつも、険しい表情の兄さまに
「どうしたの?何か心配ごとでもあるの?」
聞くと、ためらいがちに
「・・・思い返してみると、私が宿直で浄見と過ごした次の日に堀河へ帰ると、太郎に新しい傷が増えている気がする。」
ドクンッ!
心臓が飛び跳ねた。
顔から血の気が引き、目の前が真っ暗になった。
黙り込んだ私の様子を見て、兄さまが取り繕うように
「浄見のせいじゃない!
廉子は私に怒ってるんだ。
だが、怒りなら私にぶつければいいのに、か弱い、抵抗できない子供を傷つけるなんて、最低のっ!酷い親だ。
やっぱり子供は年子に育てさせよう。」
言ったあと、物憂げに唇を噛んだ。
キリキリと胃が締め付けられるように痛くなった。
私のせいで・・・・・
まだ十歳の太郎君が・・・・・
母に憎まれ、折檻される・・・・なんて・・・・・
大好きな、愛する人に、目の敵にされ、嫌われるなんて・・・・・
尊敬する、認められたいと願う、この世でたったひとりの人に、疎まれ暴力を振るわれるなんて・・・・
『可哀想』という言葉ではすまされないほど、痛ましいと思った。
そして、罪悪感と自己嫌悪に陥った。
あっ!と確かめたくて
「以前の、年子さまが兄さまの側室におなりになったときにも、そんなこと・・・・あった?
そのときは恋人もたくさんいて、とっかえひっかえしてたんでしょ?!」
と聞くと、兄さまは眉間にしわを寄せ、ますます険しい顔で首を横に振り
「いいや。
私がほとんど家に帰らなくても、廉子は眉一つ動かさなかった。」
そして皮肉気に口をゆがめて笑い
「あの時はいつもどこにいても不機嫌だったからな。
・・・・・彼女は幸福だったのかもしれない、私が想い人と添い遂げられず一生、不幸で不機嫌なままでいるほうが。
私が浄見と幸せになるのが、どうしても許せないようだ。」
ズキンッ!と胸が痛んだ。
私がいる限り、廉子さまも太郎君も姫君たちも、不幸なのかもしれない。
私と兄さまが、二人だけの幸せをかみしめてるとき、彼らは暗闇で私たちを憎み、恨んで、泣いているのかもしれない。
そう思うと、虚脱感に襲われた。
体に力が入らなくなった。
もういい・・・・と思った。
誰かを傷つけてまで、幸せになりたくない、と思った。
無垢な子供たちを不幸にしてまで、兄さまと一緒にいたくない、と思った。
そんなの、全然、幸せじゃない。
****************
(その2へつづく)
(*作者注1:大学別曹は大学寮の付属機関である。ただし、実際の運営は設置した氏族に属し、大学寮の統制下にはなかった。)




