EP551:伊予の物語「黒鉄の拘泥(くろがねのこうでい)」 その9~伊予、頑なになる~
そうこうするうちに、立ち止まった兄さまの下腹部に、臺与が手を添えてモゾモゾ動かしてる。
兄さまはジッとしてる。
臺与がしばらくその動作を続けたあと、ふいに手を放し諦めたようにため息をついた。
兄さまもフッと息をはき
「すまないな。
役立たずで。
だが、仕事の件はくれぐれもよろしく頼んだぞ。」
低い声で言い放ち、兄さまが背を向けて出ていこうとした。
あっ!ダメッ!!引き留めなきゃ!
焦った私は屏風を掴んで思いっきりズラし
ガタガタッッ!!
臺与の房に踏み込んだ。
兄さまは物音にビクッ!として振り返り、臺与はゆっくり振り返った。
私が遠慮がちに口を開く
「あの、お邪魔してすいません。
臺与にどうしても聞きたいことがあるの!
その鉄釉陶器の茶碗ってもしかして、天目という陶芸家からもらったの?
天目は昔の知り合い?
知り合いというのは、その、臺与が少女の頃の・・・・・」
臺与の気の毒な過去の仕事についてモゴモゴと言葉を濁す。
臺与が怪訝な表情で大きなタレ目を細め、豊かな頬を歪め不愉快そうに
「そうよっ!
あの小児性愛者のキモい陶芸家の天目からもらったのよ!
あいつは昔の常連客で、私を気に入ってたから今でもときどき接触してくるの。
少女じゃなくなったから手は出さないけどね。」
兄さまが突然の私の登場に目を白黒させてたけど、落ち着きをとりもどしたように
「天目について?伊予は何を知ってるんだ?」
私はゴクリと息をのみ
「おそらく、だけど、枇杷屋敷で忠平さまと天目の会話から推理すると、少女たちの経血を集めて、釉薬や素地に混入して陶器を作ったんじゃないかしら?
天目は独特のこだわりがあって、彼の作品には黒い斑点や小さい泡があるのが特徴なの。
その特徴は釉薬や素地に有機物などの異物が混じった時にできるって言ってたから、経血を混ぜたんじゃないかなと思って。
天目は『鉄釉の匂いや土の手触りがたまらない、一生やめられない』って言ってたから。
異常なこだわりがある人ならやりかねないと思ったの。」
兄さまが腕組みして顎に指を添えフム!と唸り
「なるほど。あり得るな。
では四郎に詳しく話を聞いて天目の工房を調査することにしよう。
小屋に少女を集めたのは天目の妻の仕業だな。」
そこまで言うと、顔を上げ、私と目が合った。
変な間があり、兄さまはイラ立ったようにすぐに目を逸らし
「では、私は戻る。
二人ともご苦労だった。」
と背を向けると几帳をずらして臺与の房を出ていった。
姿が見えなくなると後悔に襲われた。
兄さまの言ったことは全部、事実だった。
臺与を抱いてなかった。
他の女子を抱いてなかった。
謝らなきゃ!!
疑ったことを!!
愛してくれてると、信じられなかったことを!!
臺与の横を通り抜けて、小走りで兄さまのあとを追った。
麗景殿と綾綺殿の間の廊下で追い付いて、数歩前を歩く兄さまに
「ごめんなさい。私が間違ってました。」
兄さまが立ち止まり、背を向けたまま
「浄見の何が間違っていたんだ?
私が他の女子に不能なことと、浄見が私に対して怒っていることは別物だろ?
臺与と浮気してなければ、浄見を侮蔑した演技は許せるというのか?」
それはそうだけど・・・・。
一番の不満は、私より臺与と仲良くしてること。
愛してくれてると信じられなかった。
だけど・・・・・
「ごめんなさい。
でも、誰でもバカにされれば嫌な気持ちになるし、本当につらかったから・・・・」
あの時のことを思い出して、やっぱり元に戻らない方がいいかも、と思い直した。
好きなあまりに、どんなことでも受け入れて、傷つくのはもうたくさん。
「いいの。謝りたかっただけよ。兄さまを傷つけたことを。ごめんなさい。じゃ、またね!」
雷鳴壺へ戻ろうと踵を返すと、時平さまが振り向き
「愚かなんだ!私は!
私も同じだ!
天目のことは、他人事だと思えない。
拘泥というぬかるみに足を取られ、そこから抜け出せず、ただひとりの女子に執着してる。
だが、それでも構わない。
自分を変える気はない。
浄見がもう一度、好きになってくれるのを待ってる。
好きになってくれるよう努力する。
だからよく考えてくれ。
考えるのをやめないでくれ!」
私はその言葉を後ろに聞きながら、雷鳴壺へと急ぐ足を止めなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
経血中の鉄の濃度では、陶器の黒い鉄の色は出せないので、釉薬の鉄は紅柄(酸化第二鉄)などの鉄成分を加えてるという設定です。




