EP542:伊予の物語「痴嫉の骨(ちしつのほね)」 その8~伊予、執着を捨てる決心をする~
兄さまは狩衣の掴まれた部分の乱れを整え、平然とした態度で
「越前国で龍に飲まれる?
それを知ってるという事は、お前の父が黒幕だったんだな?
あの九頭龍川事件の?
お前の父・源希が唐花殿の女房・敦賀と結託し、呉越との密貿易と竜骨の産地偽装で私腹を肥やしていた公卿だったんだな?」(*作者注1)
は?
え?
えぇぇぇぇっっ!!!
あの、私が誘拐された事件の黒幕?が源号の父親である参議・源希っ?!!
確かに『乙女を輪姦する祭りの風習』について源号が内緒話してたけどっ!!
兄さまは味方にしようとしてるけど、源希は昔から兄さまを嫌って蹴落とそうとしてたのねっ??!!
兄さまが皮肉気に頬を歪めて笑い
「そして見ての通りあの『賭け』も私の勝ちだな?
お前は一生、下僕となって私のために尽くしてもらおう。」
『賭け』?って何?
何を賭けてたの??!!
兄さまは続ける
「フンッ!
臺与に横恋慕?
愚かな嫉妬で口を滑らせてくれて助かったよ。
九頭龍川事件の黒幕だと分かったからには、平泉寺白山神社宮司の『名も知らぬ公卿に頼まれた』という拇印捺印つき自白書を盾にお前の父・源希を私の配下にできるしな。
ああそうだ、敦賀に自白を迫ることもできる。」
う~~~~ん、でも、源希は「『名も知らぬ公卿』は私のことじゃない!」と言い逃れできる気もするけど。
敦賀さんを脅して?自白を引き出す方が現実味がある?
源号は愕然として何も言い返せず、源号を羽交い絞めして引き離した源寄がキョトンとしつつも
「あの、何のことか分かりませんが、号をお許しください。
もちろん号はあなたに一生尽くします!
な、号?」
源号の肩を叩くが、源号は顔面蒼白で呆然と虚空を見つめたまま固まり、動かなくなった。
私はやっとなんとかショックが和らぎ、立ち上がり、椛更衣のところへ戻ろうとすると、兄さまがスタスタと近づいてきて、すれ違いざまボソッと
「今夜左大臣邸で会おう。話がある。」
誰にも聞こえないぐらいの声で呟いた。
誰にともなくウンとうなずきながら
『私だってあなたに話したいことがある』
無言で呟く。
静かな決心が心の中で、はっきりとした形になっていた。
椛更衣に理由を話して、私は左大臣邸に向かった。
門を出たところで竹丸が待ってて一緒に歩いた。
竹丸が困惑した顔で口をとがらせ
「姫が最後まで話を聞いてくれないからどうしようかと思いましたよ!
若殿が十日間、姫を無視してたのは源号とある『賭け』をしてたからです。
源号が酒に酔って若殿にウザ絡みしたとき
『あんたは伊予とかいう女子の色香に狂って職務をおろそかにした「好色腑抜け野郎」だろ?(*作者注2)
違うってんならこれから十日間、その女子を断ってみろ!』
というので『十日間の伊予断ち』に若殿は同意したんです。
もし若殿が勝てば源号を一生、僕にするし、源号が勝てば臺与から一生身を引くという約束で。」
兄さまに十日間無視された理由がハッキリした。
だけど、私の決心は揺るがなかった。
今でも目に浮かぶのは臺与と兄さまがウットリと見つめ合い二人だけの世界を作ってた、あの空間。
臺与のことを『この世でただ一人の愛おしい人』って雰囲気で見つめてた。
思い出すだけで胸が締め付けられ、息ができなくなる。
例え演技だとしてもあの遊戯で私を軽蔑してるような振る舞いもあったし、この先あの人の妻としてやっていく自信が失くなってしまった。
この先もきっとあんなふうに、時平さまは私を傷つける。
それだけは確信がある。
その度に、心がズタズタに切り裂かれ、胸の奥がえぐられるような苦しみに耐える必要がある?
もっと以前に嫌いになれればよかった。
もっと早く決断すればよかった。
時平さまと、仕事上の付き合いとか、財産や地位が目当てで仕方なくとか、赤の他人としてなら付き合えても、妻として彼を愛するのは限界。
考えながら歩いてるとすぐに、左大臣邸に到着した。
時平さまが私の対の屋にやってきたとき、既に夜も更けていたけど、灯火の消えた真っ暗な部屋で、私は姿勢を崩さず背筋を伸ばして座り、彼を待ちかまえていた。
妻戸の向こうで呼びかける声に応える。
彼が入ってくると、私の様子を見て驚いたように眉を上げ、素早く瞬きした。
黙って対面して座り、慎重に口を開いた。
「浄見、どうした?怒ってるのか?」
低い、硬い、吐息交じりの、体の芯が痺れるような艶めいた声。
背筋の真っ直ぐで上品な容姿と、白檀と汗の混じった香しい匂いに、自然と胸が高鳴る。
何度も頭の中で予行演習してたのに、いざ兄さまを目の前にすると、決心が揺るぎそうになる自分に驚いた。
ためらいつつも
「臺与と親しくして源号を嫉妬させ醜態を誘う作戦だったとしても、私はもうあなたを愛し続ける自信がありません。
兄さまは臺与を信頼できる相棒だと思ってて、私のことは餌を与えれば満足して側にいる飼い猫か何かだと思ってるのよね?
だからあんなに酷いことができるのよね?
『目的のためには手段を選ばない非道で冷酷な左大臣』の本性がやっと理解できたわ!」
兄さまはビクッと肩を震わせ、でも落ち着いた声で
「・・・・なんだよ。
理解?なんて全然してないじゃないか!
私が本当に愛おしい人を見つめるときと、そうじゃないときの違いに気づかないのは、浄見が私を愛していないからじゃないかっ!
いつも私の何を見てるんだっ!
浄見・・・だけを・・・・
浄見・・・だけには・・・・素顔を見せているのにっ!」
暗くて表情はよく見えないけど、泣きだしそうな顔をしてると思った。
胸が締め付けられ、目頭が熱くなった。
それでも、引き返せないと思った。
ゴクッと息をのみ
「なぜ、あんなに臺与に嫉妬したのか、理由を考えてみたの。」
「・・・・・・」
説き伏せようと真剣に見つめ、
「私が愚かな嫉妬をするのは、その背後に兄さまへの不信があるからよ。
竜骨の存在が、龍の実在を示しているのと同じように。」
兄さまが理解できないというふうに頭を横に振り
「どういう意味だ?何を言ってる?」
私はもう一度ゴクリと息をのみ込み
「あのね、私は兄さまを信用してないということよ。
いつもいつも愚かな嫉妬をして不安になって、あなたを失う恐怖におびえ、傷つき、理性を失い、パニックになるのは、あなたが私を愛してくれていると、信じられないからよ。」
「・・・・・・」
「それならもう妻でいる意味は無いわよね?
失うかもしれない恐怖や不安にいつも怯えるぐらいなら、いっそ失ってしまった方が楽なの。」
「・・・・・・」
「あなたのことで悩んで傷つき、苦しみ、自分を責め、落ち込むなんてこと、もうしたくない。
これ以上耐えられない!」
兄さまが絞り出したような声で
「・・・・・だから?
どうするんだ?
・・・しばらく距離を置く?逢わない、というのか?」
ウンとうなずき
「そう。できるだけ長く、あなたから離れて、あなたのことを忘れたい。
全ての記憶を消すことはできないけど、あなたのことを考えても胸が痛まなくなったら、また会って話せるかもしれない。
あなたを恋人じゃなく他人として見れるようになったら、また会いましょう?」
兄さまは凍り付いたように動かなくなった。
まるで、長い長い、果てしなく続く、冷淡で無慈悲な、沈黙の川が、
私たちの間に横たわっているように思えた。
(*作者注1: EP63:清丸の事件簿「太古の九頭龍王(いにしえのくずりゅうおう)」にあります。)
(*作者注2:EP426:伊予の物語「企みの胯下(たくらみのこか)」にあります)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
二年二か月?の時をへて『太古の九頭龍王(いにしえのくずりゅうおう)』の伏線を回収するとは思いもよりませんでした。
参議たちは実在の人物ですが、事件はもちろんフィクションでございます!




