EP534:伊予の物語「内攻の瘡(ないこうのかさ)」 その8~自責の感情が内攻する~
兄さまはニヤッ!口の端で笑い
「菅公は
『既婚者が更衣の女房として宮中で勤めても一向にかまいません。
禁止した覚えはありませんが』
とすっとぼけてた。
『伊予と影男の結婚の命令を取り下げてくれますね?』
と迫ると
『そういえば、誰かに陥れられたというような意味の和歌を伊予から受け取りましたな。
結婚の命令?
どこかにそんな詔勅や太政官符が出ましたか?
口約束ですから、そんな命令は無視していただいて結構。』
と言い逃れるので
『影男と伊予の結婚命令はなかったと周知徹底してもいいですね?』
念を押すと、からかうようなニヤけ顔で
『伊予と影男は恋人であり、正式な結婚はしていないと、もし聞かれれば誤解を解きます。
そうそう、伊予は左大臣の大切な女子だと、付け加えてね。』
と冷やかされた。
また
『女色に溺れる好色腑抜け男』
のレッテルを貼られた気がする。」
う~~ん、それはお気の毒、だけど、やったーーっっ!!
わ~~いっ!!
すっかり嬉しくなって
「じゃさっそく今日?はさすがにダメか、明日、雷鳴壺に帰るわねっ!!」
兄さまが満面の笑みでうなずき
「それまでは左大臣邸で過ごそう!さ、一緒に帰ろう!」
立ち上がるので、私もつられて立ち上がって、フラフラと兄さまについていこうとした。
後ろから
「伊予さんっ!」
あっ!?影男さんのことすっかり忘れてたっ!!
振り向いて影男さんにペコッと頭を下げ
「あの、お世話になりました。ご両親にちゃんと誤解を説明してから帰った方がいいかな?」
影男さんと目が合うと、三白眼の黒目が大きく潤み、眉根を寄せた険しい、咎めるような、それでいて、泣き出しそうな、切ない表情だった。
ズキンッ!
骨に罅が入ったみたいに、まるで胸の奥が引き裂かれたような痛みが走った。
「あの・・・・その・・・勝手だとは思うけど、そもそも私は時平さまの妻です。
右大臣さまの命令が無効になったなら、ここにいる意味は無いので、その・・・・」
影男さんが貫くような鋭い視線で見つめ
「私があなたといる意味は無いということですか?
私には価値が無いということですか?」
ハッ!と焦って
「そんなこと言ってないっ!でもっ!結婚だって『フリ』だったハズよね?!
もうその演技はしなくていいんだから、影男さんも・・・自由に・・・・」
最後まで言い終えないうちに、腕をギュッ!と掴まれて、引き寄せられ、狩衣の胸に抱きしめられた。
兄さまが私を丸ごと包み込むように抱きしめ、影男さんを睨み付け
「往生際が悪いぞ!伊予はここ去ると言ってる!引き留めるなっ!これ以上引き留めるつもりなら・・・」
そう言うと、私の頬をわし掴みにして顔を傾け、唇で口を覆った。
はぁ??!!
御簾の後ろに野次馬がわんさかいるのにっ??!!
きっと影男さんの母君もいるのにっ??!!
御簾の向こうでザワッ!って色めき立つ気配。
バカなのっ??!!
人前でいちゃつきたい!的な、そーゆー性癖っ??!!
って反発しながらも、全身がとろけそうな舌の動きと、体温と、興奮を引き起こす体液?の魅力にとらわれて、ウットリとされるがままになってしまった。
口づけが終わると兄さまが
「どうだ?
これ以上ここにいる、なんて恥ずかしいこと伊予はしたくないだろうから、いくらお前が説得しても無駄だ。
あきらめろ!
さ、行こう!」
手を取ってグイッ!と引っ張って歩きだした。
「兄さま!荷物は?!」
「竹丸が積み込むのを牛車で待つ!」
急き立てられて、伴家の外に泊めてある牛車に押し込められた。
竹丸が荷物をまとめてくれてる間、止まった牛車の中で手持ち無沙汰になり、
はぁ~~~~
とため息をついた。
今頃、影男さんの母君や使用人たちが『左大臣さま乱心!』の噂に花を咲かせてるだろうな~~~!
『好色のあまり狂態を曝す破廉恥公卿!』
とか言われてそう。
はぁ~~~~~~~~~。
私のため息を聞いてか聞かずか、兄さまが乗り込んできて
「なぜ昨日左大臣邸に帰らなかった?
影男の妻になりたいのか?
ヤツと何した?この二日間で?
両親に結婚の挨拶をし、傷薬を塗ってやり、一緒に寝て・・・・肌を合わせた?」
こめかみに血管を浮かせ、口の端をピクピク引きつらせ、イライラが頂点で、私に唾をかける勢いで吐き捨てる。
ギクッ!!
何した?って・・・・・
やましいといえばやましいので、モゴモゴと口ごもり
「に、兄さまを、裏切って・・・はないっ!!
こ、子供ができるようなことはしてないわっ!!」
後簾の向こうから
「若殿!荷物はこれだけです!簾を上げてくださいっ!」
竹丸の声が聞こえ、兄さまが簾を上げると、竹丸の手と葛籠が見え、無事、私の荷物が積み込まれた。
「出発してください!」
竹丸の声が聞こえ、ゆっくりと牛車が動き始めた。
二人とも無言のまま。
兄さまは後簾越しの外を眺め、私は牛車の床の板目をぼんやりと見つめてた。
砂利を踏んでおきる、牛車の不規則な振動と、車輪の軋む音、でこぼこ道を通るときの揺れに心地よく身を任せていた。
兄さまはそれ以上何も聞かず、私を責めもしなかった。
私はただ、影男さんとの行為の意味をずっと考えてた。
拒み切れなかったという自己嫌悪。
求められる優越感に浸りたいという欲望に、抗えなかった自責。
性的な悦楽への誘惑に、負けた自分への侮蔑。
兄さまを裏切って傷つけてしまったという罪悪感。
それらの醜い感情が、自分自身を傷つけ、体内で腐敗し、汚辱にまみれた自尊心を発酵させ、膨れ上がり、熱を持つ。
どこにも吐き出せず、胸の内に滞留し、ズキズキと苦痛が増悪する。
この『内攻の瘡』を治療する薬は、どこにもないと思った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今は化膿には抗生物質を使いますが、このころの『伯州散』のような生薬にも、蟹のキトサンのように効果がある材料が含まれてることが凄いな!と思いました。
(*蟹を黒焼きするぐらいでは効果のある低分子キトサンは取り出せず、酸(酢)とアルカリ(灰汁)で処理するなどすれば、取り出せるそうですが。)




