第59話 『別れと旅立ち』
山賊団との戦いから丸1日が経過し、山では到着したばかりの巡回兵団がデクスター山賊団の遺体を検めていた。
レギンを村の病院に運び、医者の手に預けた後、ネルとナサニエルの2人がかりで苦労して全ての遺体を洞窟の外に運び出したのだ。
ネルは本当に谷底に遺体を捨てるつもりだったが、ナサニエルが彼らにもせめて土の下で眠ることを許してやってほしいというものだから、仕方なく遺体は全て洞窟の外の山肌に並べた。
半日がかりの大仕事だ。
ナサニエルは巡回兵団に説明をし、物資を巡っての山賊同士の仲間割れがあったと説明したのだった。
ネルは厄介事は御免だと言って巡回兵団の前には顔を出さずに村の宿でゆっくり休んでいた。
そして巡回兵団が山賊の残党がいないことを確かめて次の地へと移っていった翌日、ネルはこの地を発つことにしたのだった。
「世話になった。じいさん。じゃあな。長生きしろよ」
病院の寝台に横たわるレギンにネルはそう別れを告げた。
レギンはあちこちに傷を負い、体力も相当に消耗してしまっていたが、医者の治療の甲斐あって快方に向かっている。
「うむ。良い旅を。またいつか必ず顔を出しに来るんじゃぞ。そうせんとワシもいつくたばるか分からんからな。ハッハッハ!」
快活に笑いながらそう言うレギンに満面の笑みを返し、ネルは病室を後にした。
ネルの矢筒には上質な木の矢がいっぱいに詰まっている。
昨日ナサニエルが約束通り、報酬として木の矢を100本ネルに渡し、彼女がそのうちの50本を厳選して受け取ったのだ。
その他にも弓弦用の麻弦や上等な牛肉の干物などの携行食をネルはすでに受け取っていた。
病院の外に出ると、そこにはナサニエルが待っている。
彼女を山向こうまで案内するためだ。
「んじゃ行くか」
「うん。行こう」
2人は連れ立って村を出ると、山道をゆっくりと歩いていく。
降り注ぐ木漏れ日が心地よく、肌を撫でる風は穏やかだった。
鳥の鳴き声と沢を流れる水の音がのどかさを醸し出している。
「ネルの旅はずっと続くんだね」
「どうだろうな。ま、東側諸国を一通り見て回ろうとは思ってるぜ」
「ねえネル……その旅が終わったらさ、またこのシスタリスに戻ってきてくれないかな。僕は……また君と……し、仕事がしたい……んだよ」
そう言うナサニエルにネルは肩をすくめた。
「さあ、それは約束できねえな。気が向いたらまたここに来るし、気が向いたらまたおまえと仕事をするかもな。けどアタシは何も約束しねえよ。誰にも縛られるつもりはねえからな。そもそも道中のどこかで野垂れ死ぬかもしれねえしな。そんな女と約束なんかするもんじゃねえよ。ナサ」
そう言うネルにナサニエルは残念そうに、だが諦めたように笑みを浮かべて頷いた。
ネルを縛ることなど誰にも出来ない。
彼女はまるで風なのだ。
土地から土地へと吹き渡る風だ。
そういう生き方をしているからこそ、彼女は幸せなのだ。
ナサニエルは湧き上がる悄然とした気持ちに蓋をして、それ以上その話はしなかった。
(彼女が幸せになれるなら、それが一番なんだ)
それはナサニエルの本心だった。
どこか遠くでネルが楽しくやっていてくれるなら、それでいい。
寂しさはどうしても付いて回るけれども。
それから1時間ほど歩き続け、2人は谷川にたどり着いた。
ここを渡ればもう山向こうだ。
10メートルほどの川幅はあるが水深は浅く、大きくて平らな加工石が橋の代わりに点々と置かれている。
ネルはそこで振り返るとナサニエルを見た。
ここが2人の別れの場所なのだ。
「じゃあな。ナサ。ちゃんと吊り橋を完成させろよ」
「うん。絶対に完成させるよ。色々ありがとう。感謝してる。ネルも……元気でね」
そう言うとナサニエルはネルが一歩ずつ加工石の足場を渡っていく背中を見送る。
(さよなら……ネル)
唇を噛みしめながらナサニエルは心の中で彼女に別れを告げた。
またいつか会えるかもしれない。
だが、これが今生の別れになるかもしれない。
そう思うとナサニエルはネルが川の半分くらいまで渡ったところで思わず声を上げていた。
「ネル!」
そしてその声に振り返ったネルに向かってナサニエルは駆け出していた。
(な、何をしているんだ僕は……彼女を呼び止めてどうするつもりなんだ一体……)
彼女への想いを告げる勇気も資格もない。
自分ではネルの隣を歩き続ける男にはなれないのだ。
彼女の生き方の邪魔をしたくない。
そもそも彼女は常に隣にいてくれる者を求めていない。
自分など必要ないのだ。
だが、それでもナサニエルはネルの前に立った。
そして……指にはめていた翡翠の指輪を外すと、それをネルに差し出す。
母からもらった指輪だ。
一度は報酬代わりにネルに渡したが、やはりいらないと突き返された物だった。
ネルは怪訝な表情を見せる。
「それはいらねえって言っただろ」
「もらってよ。お守りとして。僕はこれを身に着けていて、君に救われ、仕事も成功への第一歩を踏み出すことが出来た。きっと君にも幸運をもたらしてくれるはずだよ。それに……時々これを見れば僕を思い出してくれるかなって……」
そう言うナサニエルにネルは頭をかくと渋々指輪を受け取った。
「別にこんなもんなくても忘れねえよ。おまえのその泣きそうな情けねえ面は特にな」
「ネル……」
「もらっとくが路銀が足りなくなったら売って金に替えちまうからな」
そう言うネルにナサニエルは思わず笑ってしまった。
彼女なら本当にそうしそうだからだ。
「うん。それでもいい。君の役に立つのなら」
そう言うとナサニエルはネルに手を差し出した。
ネルもその手を握る。
「またいつか。ネル」
「ああ。達者でな。ナサ」
言葉と握手を交わし合うと2人はそこで別れるのだった。
ネルが去って見えなくなった後もナサニエルはその場を動かなかった。
手に残るネルの温もりを惜しむようにその場に立ち、山の頂を見上げる。
滲んだ涙が零れ落ちないようにするにはちょうど良かった。
きっとあの山のように高いところにネルはいる。
今の自分では見上げるばかりだ。
だがナサニエルはいつか彼女に再会した時に、胸を張って好きだと言えるよう自分を高めることを心に誓ってその場を後にする。
歩きながら自分の細腕を見て思わずため息が出た。
「……もう少し体を鍛えようかな」
道はまだまだ遠い。
だがナサニエルはこの先も歩みを止めないだろう。
少しでも彼女に近付くために。




