第5話 『救いの手』
山賊に取り囲まれたネルは一か八か崖に飛び込もうと決意したところ、頭上のけたたましい音に弾かれたように顔を上げた。
そして急斜面から転げ落ちて来る物体に目を見張る。
「何だありゃ……」
勢いよく転げ落ちてくるそれは複数の茶色い樽だった。
それらの樽には着火した火縄が付いている。
そして樽はネルの前後数メートルのところに落下すると、割れて中から液体が飛び散った。
すぐに油の臭気が鼻を突き、火縄からそれに引火して炎が激しく燃え上がる。
ネルの前後を炎の壁が遮り、山賊たちはネルに近寄れなくなった。
さらに上から落ちてきた新たな樽が地面に激突すると、今度は中から真っ白な粉が噴き出し、それが火の壁に引火して爆発を起こす。
ネルは即座に耳を塞いで身を伏せた。
爆発音が響き渡り、熱風が頭上を吹き抜けていく。
わずかに目を開けると周囲が白煙で煙っていて視界がひどく悪くなっていた。
そこで新たに上から投げ落とされた何かがネルの数歩先で地面に当たってパサッと音を立てる。
それはより合わせた縄だった。
急斜面の上から投げ落とされたものだ。
ネルは頭上を見上げる。
ハッキリとは見えないが、上で手を振っている人物がいた。
何者かが助けの手を差し伸べてきたのだ。
その意図は分からなかったが、ネルはすぐさまその縄を掴んでグイッと引いてみる。
しっかりと固定されている手応えがあった。
躊躇っている暇はない。
視界が悪く山賊たちから狙われにくいこの好機を逃す手はない。
ネルは縄を強く掴み、それを頼りに急斜面を登り始めた。
下から山賊たちの怒声が聞こえてくる。
そして矢や石が飛んでくるが視界が白く煙っているせいで、どれも狙いは外れてネルに当たらなかった。
ネルは持ち前の脚力と身軽さでスルスルと急斜面を登っていく。
そしてものの1分と経たずに十数メートルの急斜面を登り切った。
上まで登り切ると視界は明瞭になっており、そこで1人の男が手を差し伸べている。
「おまえは……」
それは先ほど会ったばかりの貴族の青年、ナサニエルだった。
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目の前に広がる白煙に苛立ちながらデクスターは声を荒げた。
「上だ! 女は上に逃げたぞ! 追え! 逃がすな!」
白煙が徐々に晴れてくると急斜面に垂らされていた縄がスルスルと上に引き上げられていくのが見える。
「くそっ! 女を助けた奴がいるぞ。余計なことを……」
デクスターは頭上を見上げた。
そして見たのだ。
自分が性的な欲望の対象として狙っていた貴族の青年が、赤毛の女と共にいるのを。
「あの坊や……女を助けたのか。ふざけやがって! テメーら! 急げ!」
頭目にどやしつけられ、山賊たちは泡食って上り坂を駆け上がりながらネルを追う。
部下の数人が死に、1人が戦闘不能の負傷を負わされた。
デクスターは怒りに震えながら側近の部下に命じる。
「山狩りだ。総動員で女を炙り出せ。貴族の坊やは殺すな。それと……念のためアドルフを呼び戻せ」
その言葉に部下は顔色を変える。
今は別の仕事で不在にしているがアドルフはデクスターの実弟であり、兄以上に恐ろしい男だった。
「ア、アドルフの兄貴を? わ、分かりました」
デクスターは自分の面子を潰した相手を絶対に許さない。
蛇のような執念でどこまでも追い続けるのだ。
それを良く知る側近の部下は、赤毛の女はむごい死に方をするだろうと思うのだった。
☆☆☆☆☆☆
「無事で良かった」
ナサニエルはそう言いながら両手でネルの手を掴んで必死に彼女を引き上げた。
そしてすぐに急斜面の下に垂らしていた縄をスルスルと引き上げる。
「これで山賊たちはしばらく上がって来られない。今のうちにこっちへ」
そう言うとナサニエルは足早に山道を進んでいく。
ネルはその後についていきながら、彼の背中に問いかけた。
「おまえ。この山に詳しいのか?」
「うん。ここを仕事場にしているからね。最近この山に入り込んできたばかりのデクスターたちなんかよりもずっと詳しいよ」
そう言うとナサニエルはいきなり山道を外れて藪の中に踏み入っていく。
「おい。どこに行くんだ」
「こっちだよ。普通に逃げても奴らの仲間に回り込まれて捕まるから」
そこから1分ほど藪の中を進むとそこに大木が姿を現した。
ナサニエルは大木の根元に群生する藪の一部をかき分ける。
するとその奥には人が1人通れるほどの穴が空いていて、そこから風が吹き出してきていた。
ネルはそれが何かすぐに理解する。
「洞窟の入口か」
「ここは連中には知られていない場所だよ。この先から崖の向こう岸まで移動できるんだ。付いてきて」
そう言うとナサニエルはその洞窟の中に身を滑り込ませる。
ネルは後方から山賊たちの声が追ってくるのを聞き取り、すぐにナサニエルの後に続いて洞窟の中へと足を踏み入れるのだった。




