第57話 『帰還』
「爺さん。死ぬなよ。すぐに医者に見せてやるからな」
頭目のデクスターを討ち果たし山賊団を全滅させたネルは、ひどい傷を負ったレギンを背負って地下遺跡の道を足早に進んでいた。
ネルならば走って進むことも出来たが、あまり振動を与えると満身創痍のレギンには辛いだろうと思い、なるべく体を揺らさぬようナサニエルがネルに頼んだのだ。
ナサニエルはそのすぐ隣を松明を手に足元を照らしながら進んでいく。
血のニオイがそこかしこに漂っていた。
進む先々に山賊たちの遺体が転がっている。
全てネルが倒した者たちだ。
その壮絶な状況に息を飲みつつ、ナサニエルはあらためてネルに感謝を伝えた。
「ネル。ありがとう。君が来てくれなかったら僕も先生も危なかった」
「大したことはしてねえよ。ザコどもと遊んでやっただけだ」
平然とそう言うネルにナサニエルは思わず苦笑した。
これほど多くの敵をたった1人で倒しながら、ネルは疲れた様子を微塵も見せずにレギンを背負って歩き続けているのだ。
彼女のとてつもない体力には舌を巻くばかりだった。
「それよりせっかくの街を死体だらけにしちまったな」
「いいんだ。僕が何日でもかけて山に埋葬するから」
「埋葬? こんなクズどもにそんな上等なことをしてやる必要はねえだろ。あの谷底に捨てちまえ。オオトカゲどもが喜んで食ってくれるぜ」
「そ、そんな……」
そんなことを言い合いながら進むとやがてレギンの工房が見えてきた。
「ネル。一度工房に寄って欲しい。工房ならちゃんと応急処置が出来るから。さっきの資材倉庫にはちゃんとした救急用具が無かったからさ」
「あいよ」
工房に足を踏み入れると、ネルとナサニエルは2人がかりでゆっくりとレギンを寝台に寝かせた。
それからナサニエルは綺麗な水で再びレギンの傷口を洗うと、消毒液を染み込ませた薄布を当て、その上から包帯をレギンの体に巻いていく。
レギンは痛みに顔をしかめたが、それでも応急処置が終わると少しだけ楽になったようで目を開けた。
その口からか細く弱々しい声が紡ぎ出される。
「すまんな……2人とも」
「先生。すぐに村の医者に連れていきますから安心して下さいね」
ネルはナサニエルが応急処置をしている間、水を飲み、干し果実などを食べながら体を休めていた。
ナサニエルは応急処置を終えるとそんなネルに声をかける。
「ネル。ちょっと先生を見ていてくれる? 小工房から医者に診てもらうためのお金を持ってくるから」
そう言ってナサニエルが工房の出入口から出ようとした瞬間だった。
(……ん?)
ネルはわずかに異質な物音を聞いた気がして立ち上がる。
そしてほとんど反射的にナサニエルに駆け寄るとその襟首を掴み、そのまま彼を後方に引き倒した。
「あうっ!」
ネルは見た。
ナサニエルの鼻先を刃が鋭く一閃したのを。
「ゴホッ! ゴホッ! ネ、ネル?」
尻もちを着いたナサニエルはワケが分からずに咽ながらネルを見る。
ネルは工房に置かれた手近な1本の鉄棒を手に取るとナサニエルの前に立った。
「ナサ! 爺さんを頼む!」
ネルの鋭い声に、ナサニエルは初めて気付いた。
工房の入口に全身ずぶ濡れの男が立っているのを。
その男の顔は忘れもしない。
レギンをひどく痛めつけた男だ。
そこに現れたのはデクスターの弟・アドルフだった。
☆☆☆☆☆☆☆
倒したはずの男が再び目の前に姿を現した。
ネルは鉄棒を構えながら驚愕に目を見開く。
「てめえ……なぜ生きていやがる」
デクスター山賊団で間違いなく一番の使い手であるアドルフ。
だが先ほどの戦いでネルはその矢で彼の心臓を間違いなく貫いたはずだった。
その証拠にアドルフの胸には包帯が巻かれていたが、矢が刺さった左胸には血が滲んでいる。
アドルフは狂気じみた笑みを満面に浮かべてネルを見つめた。
「ネルという名前なのだな。おまえに会いたくて地獄から戻って来ちまった」
「ふざけんなよ。おまえは心臓が右側にでもあんのか?」
そう言うネルにアドルフは左手を自分の右胸に当てた。
「よく分かったな。今も俺の心臓はここでドクドクと脈打ってるぜ。ネルを殺してその生き血をすすりたいって欲望で痛いくらいにな」
「チッ……おいナサ。爺さんを連れて裏から出ろ。アタシがこいつをぶっ殺すまで、安全なところに隠れてな」
「ネル……うん。分かったよ」
ネルのことが心配なナサニエルだが、彼はもう心得ている。
この場に自分とレギンがいても邪魔なだけだ。
何の助けにもならないどころか、ネルは2人を守りながら戦わなければならない。
万が一2人がアドルフに人質に取られたりすれば、ネルにとっては命取りになってしまう。
「先生。掴まって下さい」
ナサニエルはレギンを抱え起こすと、そのまま工房の裏手の勝手口に向かう。
そして出て行く前にネルに一言だけ声をかけた。
「ネル……負けないで」
「ったりめえだろ」
背を向けたままそう言うネルの勝利と無事を祈りながらナサニエルはレギンを抱えて外に出て行った。
冷めた目でそれを見送るアドルフは、すぐにニヤリと歪な笑みを浮かべると、ネルを見ながら口を開く。
「随分と仲間思いじゃないか。安心しろ。お前を殺したら、あの2人もすぐに後を追わせてやるさ」
「こっちのセリフだぜ。てめえこそ兄貴の元に送ってやる。地獄で兄弟仲良くやんな」
ネルの言葉にアドルフはわずかに目を見開いた。
そして静かに唇を噛む。
「やはりそうか……おまえがこうして生きているということは兄者は討たれたのだろうと思っていたが……ひどい女だ。たった1人の俺の肉親を殺すなんてな」
「抜かせ。戦場で殺し殺されする順番は誰にでも等しく回ってくる。デクスターはアタシを深追いしたことで、その順番が早まったんだよ。そして……次はてめえの番だ」
「いいや……」
そう言うとアドルフは手負いとは思えないほどのすばやい動きでネルに襲い掛かってきた。
ネルは手にした鉄棒を鋭く横一閃するが、アドルフは一瞬にして床を滑るように身を低くして剣を避けるとネルの間合いに入った。
そしてそのまま足でネルの両足を蹴り払う。
「うおっ!」
「次に死ぬのはおまえの番さ!」
たまらずにネルが転倒するとアドルフはそんなネルの手首を蹴って鉄棒を手放させ、そのままネルにのしかかろうとする。
だがネルは下からアドルフの腹を蹴り飛ばしてこれを許さなかった。
アドルフの腹も先刻の戦いでネルの鉄の矢によって貫かれており、今は矢が抜かれて包帯が巻かれているもののやはり赤い血が滲んでいる。
そこを蹴られてアドルフはさすがに苦痛に顔を歪めた。
「ぐうっ!」
わずかに動きを止めたアドルフを見てネルは跳ね起きると、左手でアドルフの右手を掴んで封じ、右手でアドルフの負傷した左胸を殴りつけた。
胸に巻かれた包帯の血がさらに広がる。
傷口が再び開いたのだろう。
だがネルは容赦なくそこを何度も殴りつけた。
「今度こそくたばれ! 死に損ない!」
「俺は死なん! おまえを殺して【まとも】になるんだ!」
2人は激しく取っ組み合い、工房の中にある様々な物を蹴散らして暴れる。
それはさながら互いに食い合おうとする獣の争いのようだった。




