第56話 『決着』
衣服の下の全身を包み込む鎧で固めたデクスターは、唯一の露出箇所である目を盾でいつでも守れるよう気を張りながら、剣を手にネルに突進していく。
一方のネルは適度な距離を保ちながら、木の矢ではなく鉄の矢を放つ。
それはデクスターの左足に命中した。
木の矢よりも破壊力のある鉄の矢だが、デクスターの足を包む鎧を貫通することは出来ない。
「無駄だ! おまえの弓は俺には通じん!」
デクスターは重装備でありながら、そこなしの体力でネルを追い続ける。
身軽さではネルに遠く及ばないが、それほど広くない地下室内という状況がデクスターに味方した。
デクスターはネルを壁際に追い詰めていき、そこで剣を振るう。
「くたばれ!」
しかしネルはまるで猫のようにすばしこく、デクスターの剣を身軽に避けた。
そしてデクスターの目を狙って鋭く木の矢を放つが、デクスターは唯一の露出箇所である目に防御を集中させているため、盾でしっかりそれを防御してしまう。
だがそれでもネルは焦らなかった。
デクスターの動きではネルの速さに付いていくことは出来ない。
ネルが警戒を怠らなければ、デクスターの剣が彼女を捉えることはないだろう。
唯一、ネルにとっての懸念は残りの矢の本数だ。
もう木の矢は残り2本、鉄の矢は残り8本となっていた。
ここに来るまでに多くの山賊を射殺してきたため、必然的に残り本数も少なくなっているのだ。
再利用できる矢は再利用したが、折れて使えなくなってしまった矢も少なくない。
アドルフに勝利してからネルはすぐにナサニエルを探して街を駈けた。
そしてそれほど時間はかからずにナサニエルの居場所は分かった。
多くの山賊たちが集結して、ある建物を取り囲んでいたからだ。
それを見たネルは静かに彼らを1人ずつ暗殺していった。
死角から矢を放つ。
暗闇に潜んで山賊たちの首に刃物を突き立てる。
背後から近づいてその腕力で首をへし折る。
そうして1人また1人と山賊たちを葬り去っていった。
殺すたびにその数を記憶しながら。
デクスター山賊団は50人前後と聞いていたからだ。
20人、30人と殺すと目に見えて山賊の数は減り、40人目を殺した時にはもう地下室への入り口付近に数人が残っているだけだった。
先刻のアドルフとの激しい戦いがネルの心と体に火をつけていた。
殺意は研ぎ澄まされ、五感は鋭敏化している。
要するにネルはノッていた。
そしてこのデクスターとの戦いにおいても、松明1本の明かりしかない薄暗い地下室でネルの目はハッキリとデクスターの太刀筋を見切っている。
だが、デクスターもネルの矢筒の中の残り本数が少ないことはその目で見ていた。
「ハッハッハ! もう残りの矢が少ないな! それがなくなったら、おまえはオシマイだ」
「ケッ。ほざいてろ」
矢がなくなろうともデクスターに負ける気などしない。
だがネルは弓矢にこだわった。
これこそ我が生涯の武器と決めて研鑽を積み重ねてきたのだ。
ネルは今までもこれからも弓矢を信じて愚直に相手を射抜くのみだ。
それがネルの矜持だった。
ネルは薄暗い中でデクスターの全身をじっと観察する。
衣服に隠されているため中に着込んでいる鎧の全容を知ることは出来ない。
だが鎧には必ず関節部分などに継ぎ目がある。
そこは装甲がまったく無いか、あっても比較的薄くなっている。
(威力の高い鉄の矢ならブチ抜けるかもしれない……)
しかし鉄の矢はその重量によって軌道が下に沈み込むため、ネルも木の矢ほど精度を操れていない。
先ほどのアドルフとの戦いではそれを逆手に取って鉄の矢をアドルフに命中させた。
だがごく狭い範囲に限られた的に当てるには心許ない。
(命中させるには……重量が軌道を左右しないほど近付くしかない)
接近射撃は弓兵にはあるまじき行為だったが、ネルの得意技でもあった。
あまりにも近くから放つから、敵は避けようがないのだ。
もちろん至近距離まで近付くため、ネル自身も攻撃を受ける危険が生じる。
致命的な一撃を受けてしまえば、ネルの命運は尽きる。
諸刃の刃だ。
だがネルはそんなことは躊躇しない。
彼女は知っている。
相手の命を奪うには、こちらの命を奪われる覚悟で踏み込まねばならない時があることを。
ネルは弓に鉄の矢を番え、猛然とデクスターに踏み込んでいく。
「自分から死にに来るか。馬鹿め!」
デクスターはネルをギリギリまで引き付けると、大振りはせずに細かく速く剣を振るう。
ネルはそれを至近距離から俊敏にかわすものの、さすがに近すぎてかわしきれずに革鎧の一部を斬り裂かれる。
デクスターはすばやい剣さばきを見せながらネルの足を引っかけるべく、素早く足払いを繰り出してきた。
だが逆にネルはそれを狙って弓弦を引き、デクスターの足の膝関節の横に鉄の矢を撃ち込んだ。
「うぐっ!」
硬質な金属音と共に鉄の矢は弾かれるも、デクスターは苦痛の声を上げてその場に片膝を着いた。
床に落ちた鉄の矢の鏃の先端に血が付着している。
わずかだがデクスターの鎧の装甲の薄い部分を貫いたのだ。
デクスターはその顔を憤怒に染めて剣を真横に一閃させた。
しかしネルはそれを紙一重で避けながら、再び超至近距離から鉄の矢を放つ。
それは剣を振るったデクスターの右肘関節に命中した。
「うぐあっ!」
激痛に顔をしかめたデクスターは剣を取り落としてしまう。
しかしすぐに左手に持つ盾でネルを押し倒そうと突進してきた。
これをネルは持ち前の跳躍力で飛んでかわすと、次の矢でデクスターの目を狙う。
だがデクスターは咄嗟に痛む右手で目を守った。
しかし……ネルは矢を放たなかった。
代わりに腰袋から取り出した拳大の壺をデクスターの頭に向かって投げつける。
それはデクスターの兜に当たり、けたたましい音を立てて割れた。
そして中から零れる液体が兜の隙間から入ってデクスターの顔を濡らす。
「な、何だこりゃ……」
立ち込める異臭にデクスターは顔をしかめる。
一方のネルは素早く後方に下がると、続いて腰袋から取り出した綿毛を木の矢の鏃に突き刺した。
そして床に置かれたままの松明の火でその綿毛を燃やして火矢を完成させる。
「以前にな、おまえみたいに全身を鎧に包んだ厄介な男がいたんだよ。その時と同じ手を使わせてもらおうと思ってな」
デクスターは思わず青ざめる。
自分の顔を濡らしているのが油だと理解したからだ。
「よ、よせっ……」
「アタシが熱くしてやるよ」
そう言うとネルは間髪入れずに火矢を放った。
それはデクスターの兜にカツンと当たった。
途端に火がデクスターの兜に燃え移り、その頭部を激しく燃やし始めたのだ。
「うぎゃああああああっ!」
熱さに耐えられなくなったデクスターは慌ててその兜を脱ぎ捨てるも,火は彼の顔を包み込んですぐには消えない。
それでもデクスターは盾を前面に構えることをやめなかった。
盾を下ろせば途端に射撃を頭部に受けて自分は絶命すると分かっているからだ。
だが……ネルはもう目の前にいなかった。
彼女の声が聞こえてきたのは背後からだったのだ。
「あばよ」
デクスターが顔を猛烈な炎で焙られて恐慌状態に陥っている隙にネルは彼の背後にすばやく回り込んでいたのだ。
そしてネルが放った矢はデクスターの首を貫いて、その延髄を断ち切った。
デクスターは言葉を発することもなく、バタリと前のめりに倒れて動かなくなる。
その頭部にまだ火を燻ぶらせながら、山賊団の頭目は息絶えたのだった。




