第53話 『会心の一撃』
路地をすばやく曲がったネルはそこからさらに全力で走り、手ごろな家屋を見つけると仕掛けに入る。
家屋の中に足を踏み入れると置かれていた机を窓辺に引き寄せ、そこに木の矢を1本置いた。
そしてその鏃が外から見えるように、ほんの少し窓枠にかかる程度に固定する。
そして机の上に置かれたボロ布を手ごろな大きさに引き裂くと、それを鏃に被せて隠した。
それからすぐに向かいの家屋に飛び込み、暗がりの奥に手ごろな机を見つけるとそこにも1本の矢を置いて鏃の角度を窓枠に向ける。
そして再びその家屋から外に出ると、最初の矢を設置した家屋に再び足を踏み入れた。
その裏手の扉から1本向こうの通りに出て、ちょうどいい位置の家屋を見つけるとそこに身を潜ませた。
その家屋からは向かいの1本目の矢を設置した家屋の脇の隣の家屋との間のわずか十数センチほどの隙間を通して、向こう側の通りが見える。
真正面に見えるそこは……2本目の矢を設置した家屋だった。
ネルは弓に木の矢を番えようとして、ふと手を止める。
そして考えを変えた。
「レギンのじいさん……力を借りるぜ」
そう言うとネルは木の矢を矢筒に戻し、鉄の矢を弓に番えた。
そしてその時を待つ。
アドルフを待ち伏せして狙い撃ちにするためだ。
正々堂々と勝負して負けるつもりはなかったが、相手は相当に手強い。
思いもよらぬ方法で奇襲しなければ、倒すのに時間ばかりがかかってしまう。
そして時間がかかればかかるほど、どこかに身を潜めているナサニエルが山賊たちに捕まってしまう恐れがあるのだ。
さらには負傷している老いたレギンの命も危うくなるだろう。
のんびり構えている暇は無い。
ネルは息を殺し、微動だにせずに集中力を高めた。
相手は気配を悟らせない技量の持ち主だ。
さらにはすぐ近くに水量の多い用水路があるようで、水音がかなり響いているため聴覚もアテには出来ない。
頼れるのは主に己の目だった。
ネル自身も闇と同化するように暗い家屋の中でその時を待つ。
そして……すぐにその瞬間はやってきた。
家屋の隙間からほんのわずかにアドルフの姿が見えたのだ。
アドルフの姿はすぐに家屋の陰に見えなくなる。
(あいつは間違いなく1本目の罠を見破るはずだ。だが……)
2本目も罠なのだ。
ネルの目論見通り、アドルフは2本目の矢を設置した家屋に飛び込んで小刀を投げつけていた。
ネルの目がカッと見開かれる。
(ここだ!)
ネルが弓弦を引き絞るのと、20メートルほど先の家屋でアドルフが振り返るのは同時だった。
ネルは迷いなく矢を放つ。
放たれた矢は家屋と家屋の間のほんの十数センチの隙間を通り抜けて、一直線にアドルフに向かっていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
アドルフは飛んできた矢を防ぐべく盾を掲げる。
ほんの一瞬だが赤毛の女の鏃の向きが見えた。
距離は十数メートルあろうともアドルフの目はそれを見逃さない。
矢はアドルフの首を目掛けて正確に飛んでくる。
(おまえの矢はその正確さゆえに、きっちりと急所を狙ってくる。読みやすいんだよ)
だが……矢の軌道がアドルフの思い描いていたものとはわずかに異なったせいで、アドルフの読みは狂った。
矢の軌道はほんのわずかに沈み込み、首の前に掲げた盾を逸れてアドルフの左の脇腹に突き刺さったのだ。
「がはあっ……」
しかも矢の威力はすさまじく、アドルフの脇腹から背中に貫通して止まった。
アドルフは信じられないというように、自分の体を貫いたその矢を見る。
その目が驚愕に見開かれた。
「なっ……この矢は……」
それは赤毛の女が使っている木の矢ではなく、鉄製の矢だったのだ。
アドルフは矢の軌道が下方に沈み込んだ理由を悟り、忌々しげに顔をしかめて歯を食いしばる。
鉄の矢は木の矢よりも重い。
物理法則に従って軌道が落ちるのは当然のことなのだ。
「あ、あの女……やりやがったな」
怒りに顔を歪めるアドルフは即座に身を伏せた。
この状況で第2射目を浴びれば致命的だ。
しかしそこで猛然と迫りくる足音に気付くのが遅れたのは、おそらく家屋のすぐ裏の用水路を大量の水が流れていて水音が激しいせいだろう。
それはアドルフにとって不運だった。
家屋の窓枠から弓矢を構えた赤毛の女が猛然と飛び込んできて、その強襲に対する反応が遅れたのだから。
☆☆☆☆☆☆
思惑通り鉄の矢を命中させたネルは、一気に家屋を飛び出して前方へ猛然と駆け出す。
手前の家屋の裏手から中を突っ切り、窓枠から一本向こうの通りに飛び出すと、アドルフが入っていった家屋に一気呵成に飛び込んだ。
反応が遅れたアドルフだが、脇腹を鉄の矢で貫かれながら、それでもネルに向けて小刀を投げる。
その小刀は正確にネルの顔を狙って飛んでくるが、ネルはこれを持っている弓の弓幹で叩き落とすとそのまま突進した。
「うおおおおおおっ!」
勢いよく飛び上がったネルは両足で思い切りアドルフに飛び蹴りを浴びせる。
アドルフは咄嗟に盾でこれを防ぐが、衝撃で脇腹を貫かれた痛みが激しく増し、踏ん張りが利かなかった。
そのためネルの飛び蹴りの猛烈な勢いを止め切れず、後方に吹っ飛ばされる。
「ぐうっ!」
そのままアドルフは後方にある窓枠にはめられた木窓にぶつかった。
すると……その木窓は長年の経年劣化により腐食していたらしく、あっさりと壊れてしまう。
アドルフの体は建物の外に投げ出された。
建物の裏はまるで崖のようになっていて、5メートルほど下に用水路があり、大量の水が相当な速さで流れている。
ネルはその窓枠に足をかけると、弓に番えた矢を放った。
「くらえっ!」
「くはっ……」
ネルの放った木の矢は空中を落下するアドルフの左の胸に突き刺さった。
会心の一撃だ。
正確に心臓の位置を貫かれたアドルフはそのまま用水路に落下し、流されていく。
赤い血が水面を染め、すぐに水流によって散っていく。
ネルはアドルフが流されていくのを見送った。
用水路の先は滝のようになっていて、アドルフはそのまま滝の下に落ちていくのだった。
「フンッ。あばよ」
そう言うとネルは机の上に置いた矢を回収し、家屋を後にするのだった。




