第51話 『歪んだ男』
弓に矢を番えたまま赤毛の女は突進してくる。
アドルフは今度こそ不覚を取らぬよう、どのような攻撃にも対処するべく全神経を集中させた。
だが女はアドルフに突進してきたかと思うと、突如として狭い街路の曲がり角を曲がったのだ。
「……何を考えている?」
アドルフは注意深く曲がり角付近の家屋の壁に背をつけた。
先ほど女に殴られた顔の痛みが残り、アドルフを苛立たせる。
(どうせ俺が顔を出したところを弓矢で狙ってくるのだろう? そんな小賢しい手には乗らん)
アドルフは角から盾だけをスッと通りに出した。
相手からはアドルフが顔を覗かせているように見えるはずだ。
だが5秒経っても10秒経っても矢は飛んでこない。
(……何だ?)
不審に思ったアドルフは地を這うような低い姿勢で路地に出た。
すると……遥か前方を駆けていく女の姿が見えた。
もう100メートル以上は先だ。
「なっ……逃げた……だと?」
アドルフは愕然とする。
せっかく楽しくなってきたところなのだ。
手強い女だった。
アドルフがこれまで殺してきたどの女とも比べものにならないくらいの魅力がある。
(あの女を殺したら……俺はどれだけ気持ちよくなれるんだろうか)
アドルフは自然と赤毛の女を追いかけ始めていた。
何としてもあの女を殺したくてたまらなかった。
初めて女を殺した時のような興奮と執着がアドルフの全身を熱く駆け巡り始めていた。
今も忘れない。
アドルフが初めて女を殺したのは、彼がまだ15歳の頃だった。
☆☆☆☆☆☆
「まあ金さえもらえればどうでもいいけどさ。若いのにお気の毒様」
安宿のベッドの上で半裸の娼婦は憮然としてそう言う。
その顔には明らかな侮蔑の表情が浮かんでいた。
15歳になったアドルフは野良仕事で貯めた金で娼婦を買ったのだ。
それも奮発して街で一番上等な娼婦だった。
アドルフにとってその行為は単に性的な欲求を満たすためではない。
自分が【まとも】に戻れるか試すための行為だった。
しかし結果は失敗だった。
娼婦と肌を合わせ、いざという段になって彼のそれは沈黙したままだった。
結局、行為は出来なかったのだ。
自分は変われない。
アドルフは絶望した。
幼い頃に両親が死に、アドルフは兄のデクスターと共にある豪農の夫婦に引き取られた。
その夫婦には子供がいなかった。
ゆえに養子として、または農家の貴重な労働力として孤児兄弟を引き取ったのだろうと周りはそう見ていた。
しかし実際のところはまったく違っていた。
豪農夫婦は兄弟を夜な夜な性的に虐待したのだ。
夫は兄のデクスターを、妻は弟のアドルフを性の玩具として扱った。
逆らうことは出来なかった。
逆らえば衣食住を失うのだ。
そのせいで兄弟はすっかり性根がねじ曲がってしまった。
養母の虐待によってアドルフは女性を恐ろしく思うようになり、それが彼の心身を蝕んだのだ。
そんな暮らしもデクスターが14歳、アドルフが12歳の時に終わりを告げた。
成長して大柄になったデクスターが虐待に耐えかねて、養父を殺したのだ。
そして弟のアドルフを連れて逃げた。
2人はそれから流浪の暮らしを続け、農奴のような仕事をして何とか食いつないだ。
「せっかくわりかしいい男なのにモノがそれじゃハリボテみたいなもんね。さあ、さっさとお金をちょうだい。こっちは時間を切り売りしてるんだからね」
娼婦は不機嫌さを隠そうともせずにそう言う。
街一番の娼婦であり、彼女を買った男たちは誰もが喜んで彼女を抱いた。
自分を抱きたいという男たちが列を成す様子が、彼女の自尊心を大いに満たしてくれたのだ。
だが若きアドルフが自分を見ても奮い立たなかったことが娼婦の誇りを傷付けた。
ゆえに娼婦は棘のある言葉と蔑みの視線をアドルフに向けて暴言を吐いた。
それが彼女にとっての失敗だったのだ。
ハリボテ。
嘲るようにそう言う娼婦の顔に、かつて自分を虐待した養母の顔が重なって見えた。
その途端、アドルフは逆上した。
気付くと彼は娼婦を殴りつけていた。
養母の顔を思い出したくなくて、何度も何度も娼婦の顔を殴った。
頭の形が変わってしまうほど殴った時には、すでに娼婦は死んでいた。
真っ赤に染まった自分の拳と、血だらけの娼婦の顔を見た時、彼のそれは今まで見たことがないほどいきり立っていた。
「ああ……」
彼は股間でそそり立つ自身のそれをその手で握る。
性的興奮が全身を奮い立たせ、彼は喜びに打ち震えた。
それからすぐに街を出た彼はかつての豪農の元に戻り、夜中に養母の寝室に忍び込むと憎き養母を惨殺した。
その時も同じようにアドルフは【まとも】になった。
こうして彼の生き方は決まった。
女を殺し続けることで【まとも】になるのだ。
その後、兄のデクスターと共にシスタリス軍に入隊し、軍人として腕を上げる間も、アドルフは女殺しを続けたのだった。
☆☆☆☆☆☆
「逃がさん……逃がさんぞ! おまえを殺した時……俺は最高に【まとも】になる!」
アドルフは執念深く赤毛の女を追い続ける。
もう彼は決めていた。
たとえここであの女を取り逃がしたとしても、地獄の果てまで追いかけて必ず殺すと。
あの女を殺した時こそ自分は男として最高に満たされるのだ。
そう思うと絶対に諦める気にはならなかった。
やがてアドルフの視線の先で赤毛の女が不意に路地を曲がって姿を消した。
恐らく罠でも張っているのだろう。
そう考えたアドルフは近くの足場を利用して石造りの家屋の屋根に上った。
そして屋根伝いに赤毛の女を追いかけるのだった。




