第49話 『対決!』
「先生。ここに……」
そう言うとナサニエルはゆっくりとレギンの体を柔らかな綿毛の山に横たえる。
埃のニオイが充満しているそこは、かつては資材倉庫として使われていた場所だった。
数百年前は近隣の店が共同で使用していたのだろう。
様々な物資の残骸が残されていた。
ここならば鉄の閂で施錠できる地下室があるのを知っているナサニエルは、レギンを背負って必死にこの場所へたどり着いたのだ。
「先生。もう大丈夫ですよ」
今、地下室は内側から鉄の閂でしっかりと施錠されている。
扉も表面こそ錆びついているが鋼鉄製だ。
もしここを見つけられたとしても、山賊たちもおいそれとは入って来られないだろう。
そしてナサニエルがここを選んだ理由はもう一つある。
古くなっているがここには各種の布製品などが置かれているのだ。
ナサニエルは山積みになっているかつての衣服のなるべく奥から、埃をかぶっていないものを選ぶとそれを引き裂いて包帯代わりにし、レギンの体のあちこちに巻いた。
レギンは体のそこかしこを刃物で細かく切り刻まれており、一か所の出血は多くないものの負傷箇所が多い。
ナサニエルはその惨さに歯を食いしばった。
あのアドルフという男はレギンをあの手この手で痛めつけて拷問したのだろう。
レギンの両手の指の爪は全て剥がされていた。
(神様みたいに細かい工芸品を作れる先生の指なのに……)
ナサニエルがレギンの両手の指を水袋の水で洗った時は、さすがにレギンは激しい痛みに呻いていた。
今、レギンの両手はまるで手袋をしているように布を巻かれている。
そしてナサニエルは水袋の水で出来る限り傷口を洗い、包帯代わりの布できつめに縛る。
血は止めることは出来るだろう。
しかしあちこちを殴られた打撲傷でレギンは虫の息になっている。
一番ひどいのは左右の肋骨の骨折だ。
鈍器のような物で殴られたようで、あばらが紫色に変色して腫れ上がっていた。
医師の元で継続的な治療が必要な危険な状態だ。
(早く麓の村の病院に連れて行かないと……)
それからナサニエルは今頃1人で戦っているであろうネルのことを思う。
ネルは強い。
きっと山賊なんかに負けない。
ナサニエルはネルの勝利を信じていた。
だが、どうしても胸のざわめきが消えない。
(あのデクスターの弟のアドルフという男……あいつはとても嫌な感じがする……)
ナサニエルは不安に押し潰されぬよう両手を組んで握りしめ、ネルの無事を祈るのだった。
☆☆☆☆☆☆
ネルが街路の角を注意深く、かつ素早く曲がると前方に山賊たちの姿があった。
すぐに戦闘態勢に入るネルだが山賊たちはネルを見ても向かってこようとはせず、慌てて後方に逃げていく。
先ほどまでとは異なる山賊たちの様子に、ネルは眉をひそめた。
「何だ? 臆病風に吹かれたのか? 腰抜けどもめ」
そう言うとネルは山賊たちを追って走り出す。
だがそれから数分経って幾度か山賊たちを見かけたが、彼らは遠目から姿を現してはすぐに逃げていくことを繰り返す。
ネルは訝しんだ。
(誘っていやがるな。罠にでもハメようって魂胆か)
ネルは再び屋根の上に上がると山賊たちの逃げた方角を予想して、屋根から屋根へと最短距離を走る。
そして走る山賊らのほぼ真上に出るとネルは弓に矢を番えて躊躇することなく屋根から身を躍らせる。
そして空中で矢を放った。
その矢は山賊の脳天から垂直に突き立ち、山賊はガックリと膝立ちになったまま絶命する。
「ひいっ!」
一瞬で死んだ仲間の姿にもう1人の山賊は悲鳴を上げる。
ネルはその山賊にも次の矢を放ち、首を射抜いて仕留めた。
あっさりと敵を倒したネルは山賊たちの遺体から矢を引き抜く。
「もったいないから再利用するぜ」
そう言ったネルはハッとして頭上を見た。
先ほどまでネルがいた屋根から人影が飛びかかってきたのだ。
足音も気配も感じさせなかったその人影が投げてきた短剣を、ネルは身を捻ってギリギリでかわす。
しかしかわしきれずに刃先がネルの頬を掠った。
「うっ!」
頬に熱い痛みが走り、血が滲んだ。
しかしネルは痛みに顔をしかめることもなく、前方を鋭く睨む。
そこに立っているのは栗色の長い髪を後ろでひとつに束ねた、陰鬱な表情の男だった。
ヒョロリと痩せているように見えるが、腕や足はしなやかな筋肉がついていることが一目で分かる。
男はネルを見ると実に悲しそうな表情を見せた。
「ああ……顔に傷がついちまった。本当にすまない。せっかくの愛らしい顔に傷をつけてしまって」
「……何だてめえは」
そう言いながらネルは男の挙動に注目する。
この男が近寄ってくるのを直前まで気付かなかった。
他の山賊とは明らかに違う不気味な雰囲気を漂わせている。
「俺はアドルフだ。デクスターの弟さ。君に会いに来たんだ。ダニアの女。名前を教えてくれないか?」
「うるせえ。ゲスに名乗る名はねえよ」
「これは手厳しい。じゃあ君が名乗りたくなるよう、俺が出来る男だってところを見せよう」
そう言うとアドルフは左右の手に小刀を握る。
その目に浮かぶ狂気じみた殺気をネルは感じ取った。
(こいつ……ただの山賊じゃねえな)
ネルは鉈を手に腰を落とす。
そんなネルに対してアドルフは薄笑みを浮かべながら襲い掛かった。
変則的な動きから繰り出す左右の小刀は確実にネルの急所を狙ってくる。
目、首、胸、下腹部、太もも。
どこに一撃を受けても致命傷となり得る箇所だった。
アドルフの攻撃には一切の躊躇がなかった。
人を何人も殺めてきた男の太刀筋だと分かる。
ネルは気を引き締めて男の攻撃を防いだ。
そして反撃で鉈を振るうが、男はネルの攻撃を全て的確に回避する。
アドルフはわずかに後方に下がると嬉しそうにその顔を綻ばせた。
「すごいじゃないか。弓兵だと聞いていたが、それ以外の武器もお手の物ってわけだ。ダニアの女と戦うのは初めてだけど、正直なところ噂は誇張されたものだと思っていたよ。これほどやるとは驚きだ」
「……気持ち悪いんだよ。ニヤニヤしやがって。てめえ元軍人だな。山賊稼業とは落ちぶれたもんだな」
ネルはアドルフが変則的な動きを見せながら、その攻撃は基礎を学んだ軍人の動きであることからその出自を悟った。
アドルフはネルの棘のある言葉にも気を悪くした様子を見せずに、その顔に笑みを湛えたまま言う。
「そういう君も軍人崩れだろう? ダニアの女戦士は女王の元で働いているはずだからな。こんな辺鄙な場所に1人でいるはずはない。脱走兵といったところかな?」
「うるせえよ。てめえと楽しくお喋りするつもりはねえ。アタシにちょっかい出してきたってことは殺される覚悟があるってことだな」
そう言うとネルは鉈を振りかざして果敢にアドルフを攻める。
アドルフは終始笑みを浮かべたままそれを迎え撃った。
2人の一進一退の攻防はそれから数分に渡って続くのだった。




