第44話 『人質』
「君を探していたんだよ。ナサニエル君」
そう言ったその男は青白い顔をしているが、その瞳だけが篝火の明かりを受けてギラギラと異様に輝いていた。
ナサニエルは鼻先に突き付けられた男の持つ刃に息を飲みながら、懸命に声を絞り出す。
「だ、誰だ……あんたは?」
「俺はアドルフ。デクスターの弟だ。君に聞きたいことがある。そこで惨めに転がっている老いぼれにいくら聞いても教えてくれなくてな」
そう言う男の視線の先には倒れたままのレギンの姿がある。
ナサニエルは恐怖と怒りで唇を震わせながら男を睨みつけた。
「せ、先生に何をした……?」
「先生? そうか。君はその老いぼれの弟子か。君の先生にはこの街に出入りする方法を教えてもらおうと思ったのに意地悪をして教えてくれないものだから、少々痛い思いをしてもらったんだ」
ナサニエルはわずかに首を動かして倒れているレギンを見た。
レギンは体中ボロボロで、あちこちから血を流している。
もう息も絶え絶えで言葉を発することも出来ずに荒い息をついていた。
あの優しい師がそんなひどい目に遭わされているということが許せず、ナサニエルは怒りの涙をその目にためながら言う。
「許せない……外道め」
「山賊相手に言う言葉じゃないな。君は兄者のお気に入りだから傷付けないようにするが……」
そう言うとアドルフはまるで獣のような素早い動きでパッと移動し、倒れているレギンの背中を足で踏みつけた。
途端にレギンが苦痛の声を漏らす。
「あううううっ……」
「せ、先生! や、やめろ!」
慌てるナサニエルにアドルフはニヤリと歪んだ笑みを見せた。
「口の利き方に気を付けないと先生がもっと痛い目を見るぞ。君が舐めた態度を見せるたびに、指を1本ずつコイツで切り落としてやる」
そう言うとアドルフは右手で小刀を持ったまましゃがみ込み、左手でレギンの手を握る。
ナサニエルはたまらずに声を上げた。
「やめてくれ! 言う通りに……するから」
苦渋に満ちた表情でそう言うナサニエルにアドルフは満足げに目を細める。
「最初からそうやって従順な犬であってくれ。そのほうが俺も手間がかからなくて助かる」
そう言うとアドルフは縛られた状態のレギンを引き立たせる。
レギンは苦しげに声を漏らした。
「ぐうっ……」
「前を向いて歩けナサニエル君。おかしな動きを見せれば先生の首をかき斬るぞ」
「……どこに向かって歩けばいいんだ?」
「まずは案内してもらおうか。あの大木の傍の藪に隠された穴。あそこに通じる出入口に」
ナサニエルは驚愕する。
部外者がこの場に入って来ることが出来たのは、あの大木の近くの藪を出入口にした洞窟の所在のみならず、細かい分岐を経た先に辿り着ける仕掛け扉の存在までもが知られていたからだ。
そして今、アドルフの言う通りに仕掛け扉の場所を教えれば必ず扉を開けろと言われるだろう。
そうなれば山賊の仲間たちがさらに入り込んで来ることは間違いない。
(この場所が……山賊なんかに……)
レギンと自分にとって大切なこの街が山賊に蹂躙されることを思うと、ナサニエルの心は怒りと悲しみに染まりそうになる。
山賊の侵入を阻止するために、アドルフを殴り倒してしまえばいいのではないかという暴力的な思考がナサニエルの脳裏をよぎる。
だが、そんなことは自分には出来ないとナサニエルは悔しいほど分かりきっていた。
仮にそれをやろうとしても、ナサニエルの細腕では山賊相手に何も出来ないだろうし、抵抗すれば人質のレギンはさらに痛めつけられて苦しい思いをすることになる。
もうこれ以上、老いたレギンに苦しみを与えたくなかった。
こんな時、ネルならばアドルフを叩きのめしてレギンを救ってくれるのだろう。
(そうだ……ネルがどこかでこの様子を見てくれれば、きっと矢でアドルフを射倒してくれるはず)
そんなことを思うナサニエルの歩調は自然と緩やかに遅くなっていった。
だがそんな彼の背中にアドルフは鋭い声を浴びせる。
「キビキビ歩け。それともお友達の赤毛の女が助けに来てくれるのを待っているのかな?」
その言葉にナサニエルは内心でギクリとした。
(ネルを狙っている……ダメだ。彼女を巻き込むわけにはいかない)
ネルならば山賊などに負けないとは思う。
だが敵の数は多い。
万が一ネルが山賊たちに掴まってしまえば……それを考えるとナサニエルはとてつもない焦燥感を覚える。
女性のネルがあんな野蛮な山賊たちに捕らえられたら、その先に何をされるかは火を見るより明らかだ。
ナサニエルは怒りと焦りでどうにかなってしまいそうだった。
(絶対にダメだ。こんな奴らにネルを傷つけさせない)
ナサニエルは出来る限り冷静でいようと努め、慎重に言葉を選びながら言った。
「先生と僕が助かるためには……何をすればいい?」
その問いにナサニエルの背後を進むアドルフは端的に答える。
「簡単だ。隠し扉の仕掛けを明かしてここに俺の仲間を引き入れ、赤毛の女を俺に引き渡せ。そうすればおまえと老いぼれは助けてやる」
悪党の言葉など信じるに値しないとナサニエルは分かっている。
しかし彼は頷いた。
他に出来ることがないからだ。
「……扉は開けるし仕掛けも教える。でも彼女はもうここを去ってしまった。今から呼び戻すことは出来ない」
そう言うナサニエルにアドルフは残念そうに声を上げる。
「何てこった。麗しの赤毛の姫君はすでに去った後か。残念だ」
その言葉の後にバキッと何かを叩く音が聞こえ、レギンの呻き声が響く。
「うぐっ……」
ナサニエルはたまらずに立ち止まり振り返った。
するとレギンが口から血を流している。
「せ、先生!」
どうやら拳で口元を殴られたようで、レギンの前歯が折れている。
息を飲むナサニエルにアドルフは冷たい目を向けたまま言った。
「俺は言ったよな? 赤毛の女を俺に引き渡せと。いない? そんなことが通用すると思っているのか? 赤毛の女を俺に引き渡さない限り、この老いぼれは必ず殺す」
「や、やめてくれ! 殺すのは僕でいいだろ! 先生をこれ以上傷つけないでくれ!」
「ダメだ。おまえは兄者のお気に入りだからな。殺しはしない。だがこの老いぼれは今すぐここで死んでも仕方の無い人物だ。よく理解したほうがいいぞ。君の言動にカッとした俺が、勢い余って先生を殺してしまうかもしれない。で、俺は言うんだ。ああ何てこった。大事な人質を殺しちまった。失敗したぜ。ってな」
そう言うとアドルフはニヤリと笑う。
「そんなのはお互い嫌だろ? だから君は俺に赤毛の女を引き渡すしかない。同じことを言わせるなよ? 次は老いぼれの歯を全部へし折っちまうかもしれないぜ」
そう言うとアドルフは拳を握って見せる。
ナサニエルは唇を噛み、怒りに肩を震わせながら言った。
「……言う通りにする。もう先生に手を上げないでくれ」
悄然とそう言うナサニエルは辛そうな顔でレギンを見つめ、それから踵を返して再び歩き出す。
(ネル。ごめん。出来れば逃げていて欲しい。でも異変を察知したら君はこっちに向かってきてしまうんだろうね)
この苦しい状況を打開する術は今のナサニエルには思い付かなかった。
事態が何とか好転するのを神に祈るしかない。
だが……ナサニエルはすぐに思い直す。
(ネルが助けてくれるのを待つんじゃダメだ。僕は彼女に助けられてばっかりじゃないか。僕が……僕が先生を救わないと)
ナサニエルは歩きながら懸命にレギンを救う方法を考え続けるのだった。




