第41話 『向こう岸へ』
朝食をしっかりと摂り、1時間ほど作業小屋で仮眠を取ったネルとナサニエルの2人は、いよいよ向こう岸に渡る作戦を決行する。
まずナサニエルが作業小屋の奥からある器具を取り出してきた。
それは藁で何重にも編まれた厚手で幅広の帯のような物であり、縄で金属製の滑車と繋がれていた。
ネルは目を見張る。
「そりゃ何だ?」
「向こうに渡るための簡易的な吊籠だよ。向こう岸に綱が通せたら、これを使って渡ろうと思って作ったんだ。予備と合わせて二組あるからネルも使ってよ」
そう言うとナサニエルは崖際の2本の杭の間に立つ。
そしてすでに向こう岸と繋がっている合計10本の縄を右の杭の5本、左の杭の5本と順に注意深くより合わせて2本の綱を完成させた。
彼の手先は器用で、右の杭に通した綱に滑車を速やかに取り付けていく。
幅広の藁帯は人1人が座る椅子の役目を果たすのに十分な寸法だ。
「この藁帯はあらかじめ僕と先生の2人がかりで乗って安全確認してあるから。かなり丈夫だから安心してよ」
そう言うとナサニエルは2台目の滑車を左側の綱に取り付けていく。
左右それぞれの綱に吊籠が取り付けられた格好だ。
それから2人は万が一、吊籠が落ちた時のために命綱を腰にしっかり巻き、それを向こう岸と繋がった綱に括り付けた。
そしてそれぞれが注意深く藁帯に腰を沈める。
ナサニエルの言う通り、それはしっかりとした造りで、人1人が乗っても問題ないほど丈夫そうだった。
滑車の両側には回転式の持ち手が付いており、それを手でぐるぐると回して前に進む仕組みになっている。
「ネル。こういう感じで」
そう言って滑車を回して進むナサニエルの腰にはいくつかの縄と金輪が結びつけられている。
その片側はすでにこちら側の杭に金輪を通してあった。
せっかく向こう岸に行くのだから、先々のことを考えて縄を追加で通しておきたいのだ。
そしてナサニエルはもちろん小人族デイルの頭蓋骨をしっかりと袋で厳重に包み込み、その胸元に縫い付けていた。
彼を家族の元へ連れていくのだ。
ネルもナサニエルに倣って滑車を走らせ、先へと進めていく。
滑車には油が塗られていて、綱の上を滑らかに進んでくれた。
「おお。こいつは便利だな」
ネルの身体能力があれば綱を手で伝って向こう岸に行くことは可能だが、ナサニエルが作ったこの装置ならばそれよりもずっと楽に向こう岸へ辿り着ける。
実際、渡り始めてから2分ほどで2人は向こう岸へ到着した。
ナサニエルは感動の面持ちで向こう岸の崖際に足を踏み入れて上陸を果たす。
ネルも同じく向こう岸に降り立った。
それからナサニエルは持ってきた縄に接続した金輪を2本の杭に通していく。
これで新たに5本の縄が通されたのだ。
「そういう感じでどんどん縄を増やしていくんだな。行ったり来たりするのは手間だけど、おまえはそういう作業は得意そうだな」
ネルはナサニエルの想像力と創造力に感心した。
ひ弱で気弱な情けない男ではあるが、ネルには出来ないことを彼は色々と出来るのだ。
人にはそれぞれ得意とする領分というものがあり、こうした作業は間違いなくナサニエルの領分だった。
ネルの褒め言葉にナサニエルは照れたように笑う。
そして胸元に結い付けた頭蓋骨を包みから取り出すと、それを胸に抱いてネルに言った。
「さあ。彼を家に帰してあげよう」
ナサニエルはあらかじめ記憶していたデイルの家を探して進み始める。
ネルもその後に付いて歩いた。
長らく無人となっていたであろう谷のこちら側は、完全に遺跡と化している。
レギンのいる工房のような生活感は皆無だった。
建物は崩れかかり、風化が進んでいる。
人々が使っていた台車などの道具も放置されたまま朽ちかけていた。
時折、落石の下敷きになった哀れな遺骸が骨となって残されているのを見つけ、ナサニエルが痛ましい表情を浮かべる。
「とても大きな地震だったんだね。当時の被害の酷さがよく分かるよ」
「ああ。こういう場所で暮らすってことは、こういう危険があるってことだな」
今この街に大きな地震があれば同じように落石の危険に見舞われるのだろう。
そうした危険に見舞われ、この土地を去った者もいたかもしれない。
それでも残った者たちの末裔がレギンなのだろう。
そんなことを考えながら2人は時の流れに忘れ去られたかつての街の中を進んでいく。
そして15分ほど歩いたところでナサニエルは足を止めた。
「あった。あそこが採鉱場の入口だ。あの向こう側にデイルの家がある」
そこはかつて鉱物を採掘するための場所であり、その入口は大きく盛り上がった小高い丘のようになっていた。
そのせいで向こう側は隠れて見えない。
「デイルの家の入口には毛織物の飾りが飾られているって彼の日記には書かれていた。母親が元気だった頃は彼女が毛織物を織って生計を……」
丘を回り込みながらそう言いかけてナサニエルは足を止めた。
その顔が色を失う。
デイルの家は確かにそこにあった。
石造りの家の入口には毛織物の飾りが残されている。
それは長年の歳月によって茶色く変色しており、かろうじてそれが飾りであったことが分かる、というほど劣化していた。
そして……まるで巨大な剣のような縦長に鋭い大岩が2本、家屋の屋根を貫いて突き刺さっていた。
そのせいで屋根は崩れ落ち、家の入口の奥は完全に瓦礫に埋まってしまっている。
その凄惨な光景にナサニエルは立ち尽くしたまま呻くように声を絞り出した。
「そ、そんな……」
そう言ったきり言葉を失うナサニエルの隣でネルは冷静な目で家屋の状態を見ていた。
家を貫く大岩は幅2メートル、長さに至っては十数メートルに及ぶ巨大さで、こんなものに頭上から降って来られたら人間など成す術もないだろう。
人知を超えた力を前に人は無力なのだ。
「なるほどな。デイルを迎えに行くどころの話じゃなかったってことか」
そう言うと彼女はナサニエルをその場に置いて注意深く家屋に近付く。
正面から建物の脇に回り込むと窓があった。
2本の大岩に貫かれたために窓から見える部屋の中はメチャクチャになっている。
ネルはそのまま建物の裏側に回り込む。
そこにも木窓の外れた窓枠があり、家の中がよく見えた。
そして……2本の大岩に押し潰された2人分の遺骸が骨になって横たわっている。
そのうちの1つの遺骸は膝から下の骨が無かった。
「おいナサ。こっちに来てみろ」
ネルに呼ばれたナサニエルが家の裏手に回ってくる。
そして窓枠から家の中を見て、ナサニエルはハッとした。
「あれは……」
「デイルの母親と妹だろ。この感じだと恐らく即死だったと思うぜ」
ナサニエルは胸に抱いたデイルの頭蓋骨を持つ手を震わせながら唇を噛みしめた。
デイルが必死に家族の元に戻ろうとしていたその時、すでに彼の家族は亡くなっていたのだ。
残酷なその事実にナサニエルはやるせない気持ちになるのだった。




