第40話 『悪漢』
ネルが綱を上から引っ張り上げてくれるおかげで、ナサニエルは徐々に上へ上へと引き上げられた。
小人族デイルの頭蓋骨を握った右手を綱に絡み付かせ、左手で綱を握るのみならず、口を開けてその歯で綱を噛みしめて死に物狂いでナサニエルは綱にしがみついている。
顎が痛み、綱の埃臭い苦味が舌を苛むが、それでも彼は必死に耐えた。
下では彼が落下してきたら一番に食らいつこうと、オオトカゲの群れが競い合うように上を見て大口を開けている。
しかしナサニエルにはもう下を見る余裕もない。
ネルを信じてひたすら綱に掴まるのみだ。
そして……。
「オラァ!」
ネルの気合いの声と共に、ナサニエルは崖の上まで引っ張り上げられ、地面にゴロリと転がった。
それでもナサニエルは自分がまだ助かったとは信じられず、綱を噛んだまま必死に目を閉じている。
そんなナサニエルの頭をネルはパシッと叩いた。
「おい。ナサ。もう大丈夫だぞ。いつまで綱を噛んでんだ。美味くねえだろソレ」
ネルの言葉にナサニエルは恐る恐る目を開ける。
するとネルが不機嫌そうな目でナサニエルを見た。
「おまえ。いい加減にしろよ。そんな骨のために自分も骨になるところだったんだぞ。苦労をかけやがって」
ナサニエルはようやく綱を口から外すと、ゆっくりと起き上がる。
そして頭蓋骨を胸に抱いてネルを見た。
「ま、毎度毎度ごめん。助けられてばっかりだね」
「おまえは体力もねえくせに無茶し過ぎなんだよ。根性だけで何とかなると思ったら大きな間違いだぞ」
そう言うとネルは崖際に這い寄って崖下を見る。
谷底ではナサニエルを食い損ねたオオトカゲたちが、巨大オオトカゲの遺骸に群がり始めていた。
その様子にネルは顔をしかめる。
「ナサ。おまえを食い損ねた奴ら、デカブツの死体を食い始めたぞ。共食いだ。食われなくてよかったな。あんな奴らの餌になったら、死んでも死に切れねえよ」
そう言って振り返ると、ナサニエルが青い顔をしていた。
その情けない顔にネルは思わず噴き出してしまう。
「プッ。何だその面は。気弱すぎるんだよ。おまえは」
そう言うとネルは立ち上がった。
「とりあえずちゃんと朝飯食って少し休もうぜ。腹減って仕方ねえよ」
ゆうべは非常食として干し果実と焼き菓子しか口にしていなかったため、空腹は相当なものだった。
「そうだね。先生の工房から食材を取ってくるよ」
「ああ。頼むわ」
そう言うとナサニエルは小人族デイルの頭蓋骨をネルに手渡した。
レギンの工房へ戻っていくナサニエルを見送り、ネルは作業小屋に戻っていく。
とりあえず風呂を沸かそうと思った。
オオトカゲの血を浴びて汚れた体を洗いたかった。
「まあ、これで仕事も終わりだな。後は向こう岸でも見て、報酬を受け取って、そしたら明日にはここを発つか」
後はナサニエルが時間をかけて吊り橋を構築していくのだ。
それはネルの仕事ではない。
ただ向こう岸にはネルとしても渡ってみたい。
どのような状況になっているのか見てみたいという好奇心がくすぐられるからだ。
ネルは作業小屋に入ると、デイルの頭蓋骨を小屋に置いた。
「どうだ。かつての寝床に戻って来た気分は。ナサに感謝しろよ。アタシは捨てちまえって言ったんだが、あいつはどうしてもおまえを家族の元に連れて行きたいんだとよ」
デイルの頭蓋骨に向かってそう言うと、ネルは血で汚れた革鎧を脱ぎ、浴場へと向かうのだった。
☆☆☆☆☆☆
ナサニエルはレギンの工房に到着すると、すぐにレギンが不在だと分かった。
レギンがいる時は大抵、工房の外壁から突き出した煙突から煙が出ているからだ。
今はそれがない。
(先生、朝一番で出かけたのかな)
そう思ったナサニエルは工房に入り、机にレギンの置き手紙を見つけた。
そこにはレギンが弓弦に使う特殊樹脂の原料となる植物を採集しに行くという旨が記されていて、ナサニエルは思わず苦笑した。
「もうネルの仕事は無事に終わったから、弓弦は必要ないんだけどなぁ。そう言ったら先生ガッカリするかも」
そう呟きつつもナサニエルは師への感謝で胸がいっぱいだった。
厳しい師だが、最高に優しいのだ。
面倒見は良く、その言葉は的確で、ナサニエルにとっては一生の師と仰ぎたい人だった。
「先生が戻ってきたらあらためて御礼を言わないとな」
そう言うとナサニエルは水場で濡らした手拭いで、オオトカゲの血で汚れた体を拭う。
それから工房に置いておいた朝食用の食材を手に、ネルのいる作業場へ引き返していくのだった。
☆☆☆☆☆☆
「ほう。こんな地下に街が」
アドルフは篝火に照らし出された街の様子を見て驚きの声を漏らした。
その膝下には縄で後ろ手に縛られた小人族の老人が座らされている。
老人の右腕には痛々しい刀傷があり、今も少しずつ血が流れ出ていた。
アドルフによって小刀で斬りつけられたのだ。
アドルフはその探索力で小人族たちの出入口を複数見つけ、各所に罠を仕掛けておいた。
そしてちょうど岩壁の向こう側から現れた小人族の老人をそのうちの一つで捕らえると、閉まりかけていた岩壁の向こう側に老人を連れて飛び込んだのだ。
そうして彼は不思議な地下の街に足を踏み入れたのだった。
「さて、ご老人。まず教えてもらおう。ここと外を隔てるあの動く岩壁。あれの開閉の仕方は?」
そう言うアドルフの視線の先、つい今しがた入ってきた出入口はすでに岩壁によって閉ざされている。
その岩壁にはいくつもの穴が空いていた。
どの穴に六角棒を差し込めば再び岩壁は開くのかアドルフには分からないのだ。
アドルフは小人族の老人から奪った六角棒をしげしげと見つめた。
「こいつをどの穴にぶち込めばいいんだ? 教えてくれよ」
薄笑みを浮かべてそう言うアドルフだが、老人はフンッとそっぽを向いた。
そんな老人の脇腹をアドルフは六角棒で容赦なく殴りつける。
「ぐはっ!」
老人は苦痛の声を漏らして地面に倒れ込んだ。
激痛に歪むその顔にはたちまち脂汗が浮いてくる。
肋骨が数本折れたのだろう。
アドルフは冷めた気持ちで老人を見下ろした。
「すぐに喋れば痛い思いはしない。喋らないならもっと想像を絶する痛みを与えてやる。さあ言え」
アドルフは倒れている老人の目の前に六画棒を突き出した。
それでも老人は口を割らないどころから、アドルフに挑みかかるように言った。
「貴様のような不埒な輩に我が一族の誇りを傷つけることは出来ん」
老人の言葉にアドルフは冷たい光をその目に宿す。
悪漢の汚れた光を。
「そうか。ではその誇りとやらがどこまで保てるか試してやろう」
そう言うとアドルフは再度その六角棒を老人の体に叩きつけるのだった。




