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第38話 『命の危機』

「くそったれ!」


 オオトカゲの前脚で腹を押さえられて動けなくなり、ネルは怒りの声を上げた。

 だがネルが反撃するよりも早くオオトカゲは彼女の首に食らいつこうと口を開ける。

 その時だった。


「ネルゥゥゥゥ!」


 ナサニエルの声が頭上から降ってきたかと思うと、オオトカゲがその頭部に衝撃を受けて体勢をくずした。

 何が起きたのかと思ったネルだが、彼女のすぐとなりにナサニエルが転がったのを見て状況を理解する。

 ナサニエルが上から落下してきて、オオトカゲの頭にぶつかったのだ。

 体にかかる圧迫感が弱まったのを感じ、ネルはすぐさま真横に回転しながらオオトカゲの脚の下から脱出した。


「ネルッ!」


 そう叫んだナサニエルは地面にれているなわを手探りで引き寄せたかと思うと必死に立ち上がった。

 その手に握られているのは……鉄の矢だ。

 それはがけの上かららされているなわの先端に金具で結ばれていたものだった。

 ネルもすぐさま立ち上がる。


「おまえ……そんなもんで何を……」


 そう言いかけたネルは背後からの気配を感じて咄嗟とっさに頭を下げた。

 その頭上をオオトカゲの太い尾が通り抜けていく。

 ネルの頭をねらってオオトカゲが尾を振るったのだ。

 まともに浴びれば頭部を強打されて即死か、運が良くても失神してしまうかもしれなかった。


「あっ……ぶねえ……うっ!」


 振り返ったネルは頭上から再びオオトカゲがのしかかってくるのを見て、咄嗟とっさに両手を上に伸ばしてその手でオオトカゲののどつかんだ。

 強烈な重量がネルの全身にかかり、彼女は耐え切れずに地面に片膝かたひざを着く。

 いかに屈強くっきょうな肉体を持つダニアの女戦士ネルでも、オオトカゲの体重はおそらく数百kgに及ぶだろう。

 それを支えることなど出来ない。

 かといって手を放してしまえば、その体重が容赦ようしゃなくネルの体にのしかかって来るだろう。


「くっ……くそっ……」


 いよいよネルの進退はきわまった。

 オオトカゲはネルを押しつぶそうと両前脚をジタバタと動かす。

 幸いにして短いオオトカゲの前脚はネルまで届かないが、ジタバタと動かれるたびにネルの腕は下へと押し込まれていく。

 足腰に大きな負担がかかり、それに耐えるのも限界だった。


(だ……駄目だめか……)


 だがそこで……ナサニエルが突然自分の前に低い姿勢で割り込んで来たのだ。


「ナサ。おまえ何を……」

「は……爬虫類はちゅうるいの心臓はここ!」

 

 そう言うとナサニエルは手にした鉄の矢を両手で思い切り突き上げた。

 鋭いやじりがオオトカゲの白い胸部に突き刺さる。

 途端とたんに白い皮が破れておびただしい量の血液が噴き出した。

 ナサニエルはそれを顔中に浴びながらもひるむことなく、矢をより深くオオトカゲの胸に突き刺した。


 オオトカゲは苦しげに身悶みもだえして暴れ出し、その勢いでのけって地面を転がり出す。

 ナサニエルは赤い血でれた顔をネルに向けて叫んだ。


「ネル! トドメだ! たぶんあいつの心臓は2心房1心室。突き刺さった矢のすぐ左隣ひだりどなりに同じように矢を刺せば倒せる!」


 ナサニエルの言葉にネルは反射的に動いていた。

 同じくなわつながって落ちている数本の鉄の矢のうち1本をむしり取る様に金具から外して手に取ると、オオトカゲに襲い掛かる。


「くたばりやがれぇぇぇぇぇ!」


 腹を見せて苦しげにもがいているオオトカゲの上に乗っかるとネルは、先ほどナサニエルが突き刺した鉄の矢のすぐ左隣ひだりどなりに思い切り鉄の矢を振り下ろした。

 やじりがオオトカゲの胸に深々と突き刺さる。

 多量の血が再び噴き出してネルの顔を赤く汚した。

 だがネルは構わずに矢を深く突き立てると、グリグリと押し込んでいく。


 急激にオオトカゲの動きが鈍くなり、その体がピクピクと痙攣けいれんをし始めた。

 ネルは深く息をつくと鉄の矢から手を放し、オオトカゲの体の上から飛び降りる。

 オオトカゲはまるで断末魔の叫びを上げるかのようにその口から大量の血を吐き出すと、地面にグッタリと横たわったままとうとう動かなくなった。

 その巨体に宿る命のが消えたのだ。


「や、やった……」


 ナサニエルはそう言ったきり腰が抜けてしまったかのように、その場にヘナヘナとしりもちをついた。

 そのまま放心状態のように虚空こくうを見つめる彼の顔はオオトカゲの返り血で赤く染まっている。

 同じくオオトカゲの返り血で顔をらしたネルは、腰袋こしぶくろから手拭てぬぐいを取り出すと自身の顔の血をぬぐい、動かなくなったオオトカゲの遺骸いがいを見下ろした。


「やれやれ。この谷底にこんなバケモンがいるなんてな。どこから来たんだコイツ」


 ネルの言葉にナサニエルはハッとして衣服の袖口そでぐちで自身の顔をぬぐった。

 そしてすぐにネルに声をかける。


「ネル。大丈夫? ケガは?」

「大したケガはしてねえよ。それよりおまえがさっさと上に上がらねえから面倒なことになったんだぞ」

「ご、ごめん……どうしても腕に力が入らなくて」

「まあ、またしても助けられたからチャラにしてやるけど。どちらにしろ、それじゃ上に上れねえな」


 そう言って嘆息たんそくするとネルは上を見上げ、それから地面に置かれた頭蓋骨ずがいこつを包んだ布を拾い上げる。

 そしてそれをナサニエルに手渡すと彼の手をつかんで引き起こした。


「アタシが先に上る。んで、上からつなを引っ張ってやるよ。つなつかまっているくらいは出来るだろ?」

「う、うん。苦労かけてごめんね」

「まったくだ。おまえはもう少し体をきたえることだな。何をするにも体力は必要だ。大事なところでヘバッていたら自分自身も守れねえんだぞ」


 そう言うとネルは近くに落ちていたなたを拾って腰帯のさやに戻し、それからつなを上り始めた。

 ダニアの女であるネルの筋力は回復も早く、ゆうべしっかり休息を取ったことで腕力や握力は戻ってきている。

 オオトカゲとの熾烈しれつな戦いをた今もその力は十分に残されていた。


 ネルは身軽にサッサとつなを上っていく。

 がけの半分までをあっという間に上り、上には崖際がけぎわの杭が見えてきた。

 そんなネルの髪を、谷底から吹き上がる風が揺らす。

 途端とたんにネルは顔をしかめた。

 

「……ん?」


 不意にネルはまたしても腐敗臭ふはいしゅうただよってくるのを感じて手を止めた。

 その時だった。

 下からナサニエルの悲鳴が響く。


「ネ、ネルッ!」


 反射的に下を見たネルが目にしたのは、ナサニエルを取り囲むように群がってくる多数のオオトカゲの群れだった。

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