表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/61

第35話 『ぬくもり』

 ネルは夢の中で寒さに耐えるために温かな岩を抱いていた。

 体を包み込む寒さの中、その岩を抱いているといくらか寒さをしのげるからだ。


(温かい。こいつは助かるぜ)


 そんなことを夢の中で思っていたネルは、抱いている岩が震えるのを感じて目を覚ました。


(夢か……ん?)


 そこでネルは愕然がくぜんとした。

 自分がナサニエルの体を背後から抱きしめていることに気付いたからだ。

 温かい岩だと思って抱いていたのは彼の体だった。


(何でだ? そうか……寒くてナサの奴にくっついちまったのか。ナサは……寝ているみたいだな)


 ナサニエルはピクリとも動かず、死んだように眠っている。

 わずかに体が呼吸で上下しているだけだ。

 ネルはナサニエルを起こさぬよう、そのままじっとしていることにした。

 起こせば彼は間違いなくあわてふためきさわぐからだ。


 寝ている間に空気がかなり冷えてきていた。

 朝まではまだ時間がありそうなので、体を冷やし過ぎないようにしたい。

 低体温症になってしまうと命の危険があるからだ。


(このまま大人しく寝ていろよ。ナサ)


 さわがれても鬱陶うっとうしいが、妙な気を起こされても面倒だ。

 ナサニエルも男だから、密着しているネルに対して欲情する恐れがある。

 正直、ナサニエルに対してネルはまったく男としての魅力は感じていなかった。

 ネルは比較的(たくま)しくて少々荒っぽいくらいの男が好きなのだ。

 ナサニエルのような優男やさおとこには魅力を感じない。


(それにしても細い体だな。ちゃんと飯食ってんのかコイツ)


 こうして身を寄せていてもネル自身が何ら妙な気にならないのが何よりの証拠しょうこだ。

 ネルは横たわったままナサニエルのぬくもりで自分を温めた。

 だがそれから数分もしないうちにナサニエルがビクッと身を震わせたのだ。

 どうやら目を覚ましたようで、そのか細い声が聞こえてくる。


「ネ……ネル?」

「起きたかナサ。そのままじっとしていろ。寒くなってきたからな。暖を取るためにこうしているだけだ。たがいの命を守るためだぞ。妙な気を起こすなよ。アタシはそのつもりはねえからな」

「う、うん……」


 そう言うナサニエルは小刻みに体を震わせていた。

 ネルは内心で嘆息たんそくする。

 

(これじゃアタシが言い寄って何とかして必死に関係を持とうとしているみてえじゃねえか。まったく嫌になるぜ)


 ネルはナサニエルの緊張をほぐすために言った。

 

「おまえは貴族だからやっぱり婚約者とかがいるのか? ならこのことはだまっておけ。別に悪いことをしているわけじゃ……」

「こ、婚約者どころか恋人もいないよ」

「そうなのか? なら別に誰に悪びれることもねえよ。朝までこうしてろ。ちゃんと寝ておけ」


 そう言うネルにナサニエルはコクリとうなづいた。

 それからしばらくは沈黙ちんもくが続く。

 ナサニエルは時折、身じろぎをする。

 眠れないようだ。

 ネルはその理由を何となく察して肩の力を抜いた。


(こいつ……単に女慣れしていないだけか。やれやれ)


 もしナサニエルが血迷ってネルの体を求めてきたら、力づくで押さえ込んで折檻せっかんでもしてやろうと思ったが、ナサニエルにそんな度胸どきょうは無いだろう。

 だがナサニエルが体を強張こわばらせていると、何だかネルも居心地いごこちが悪い。

 ネルは少しでもナサニエルをなだめようと、おだやかな声で話しかけた。


「ナサ。おまえ、女は苦手か?」

「苦手というか……どう接していいか分からないんだ」

「なら少しくらい慣れておけ。おまえは貴族だし、色香でだましておまえから金を巻き上げようとする悪い女がこの先、現れるかもしれないからな」

「慣れるなんて……とても無理だよ。この先も女性と触れ合うなんて経験は僕には無いと思うし……」

「そんなの分かんねえだろ。無理でも慣れるんだよ。身に迫る危機を排除したり回避するには、自分の中に積み上げた経験値が必要だ。その経験値を上げることをおこたれば、自分が痛い目を見るだけだぞ」


 ネルの話にナサニエルはだまってうなづいた。 

 そんな彼をネルは背中からしっかりと抱きしめる。

 

「とりあえずはアタシを女として意識しねえように慣れろ。おまえの母親だとでも思え。言っておくが変な気起こしたら容赦ようしゃなくぶっ飛ばすからな」


 無慈悲むじひにそう言うとネルはナサニエルのぬくもりを感じたまま目を閉じた。

 ナサニエルが到底とうてい眠れそうにないのをよそに、ほどなくしてネルは眠りの底に落ちるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 すぐ耳元でネルの寝息を聞きながらナサニエルは必死に自分をおさえていた。

 ナサニエルとて年頃の男だ。

 こうして女性に身を寄せられていると、身の内からたぎるものを隠し切れない。

 だが、ネルは彼女自身とそしてナサニエルが凍えぬようこうしてくれているのだ。

 彼女とて好き好んで自分などにくっつきたくはないだろう。


 そんな彼女の親切心に対してやましい気持ちを持つなど裏切り行為のような気がして、ナサニエルは罪悪感にさいなまれた。

 ネルは言った。

 自分を女として意識するな。

 母親だとでも思え、と。


(……母様)


 ナサニエルは母の顔を思い出す。

 すると次第に劣情れつじょうしずまっていき、ナサニエルの胸に不意に幼い頃の思い出がよみがえった。

 貴族然として厳しい父親。

 優秀で何でもそつなくこなす兄たち。

 自分だけが貴族らしくなく、いつも感じていた疎外そがい感や劣等感れっとうかん

 

 しかし母だけはナサニエルの性格や行動に理解を示してくれた。

 ある夜、1人の寝室で自分の情けなさに泣いていた幼きナサニエルをたずねてきた母が、優しく彼を抱きしめて言葉をかけてくれた。

 あの夜ほど安心したことはない。

 そのことを思い出すと、先ほどまでネルに抱きしめられて感じていた興奮や戸惑いが、安らぎや幸福感に変わっていく。

 まるで母の胸に抱かれているようなぬくもりに、ナサニエルは先ほどまでの緊張がうそのように自然と眠りにくことが出来た。


「……ん」


 それから何時間()ったのか分からない。

 空がうっすらと白み始めたようで、地下遺跡にもわずかながら明るさが戻りつつあった。

 ナサニエルはふと目を覚ます。

 尿意にょういもよおしたのだ。

 

 彼はネルを起こさぬよう、そっと腕の中から抜け出すと、くぼみの外に出た。

 空気はシンと冷えている。

 風が止んでいるのがせめてもの救いだった。


(ううっ……寒い)


 寒さをこらえて岩をよじ登り、岩場の外側に降りるとそこで用を足す。

 すると……何やら異様な臭気がただよってきた。

 それは生臭なまぐさく、魚がくさったような悪臭だ。

 ナサニエルは思わず顔をしかめて周囲に目をやった。


(何だ? このニオイは……)


 そういぶかしみ、用を足し終えて振り返ったその時だった。

 ナサニエルの目の前わずか数メートルのところに……それはいた。

 ナサニエルはあまりに信じがたい出来事に目をく。

 やみに溶け込むような黒いうろこを持つ、巨大な四足歩行の生き物がそこにいた。


「う……うわああああ!」


 ナサニエルの悲鳴が虚空こくうを切り裂くように響き渡るのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ