第34話 『寄り添う男と女』
「ん……腹減ったな」
周囲を大岩で囲まれた窪みの中でネルはうたた寝から目を覚まして身を起こした。
1時間ほど眠ったようで、頭上を見上げると岩場の外はすでに暗くなっている。
しかしながら地上では月が出ているようで、天井の亀裂からうっすらと差し込んでくる月明かりでわずかに視界は照らし出されていた。
すぐ隣ではナサニエルが座り込んだまま頭上を見上げている。
「ナサ。寝てねえのか? まさかベッドじゃないと眠れないクチか? これだから貴族の坊ちゃんは」
そう言うとネルは立ち上がり、岩に足をかけて窪みの外に顔を出す。
相変わらず谷間は風の音しかしない。
夜になって風は冷たく強くなり始めていた。
「風除け出来る場所が見つかって良かったぜ」
赤毛を風に揺らされながらそう言うと、ネルは首を引っ込めて窪みの中に座り込んだ。
「おいナサ。水と食料を。今のうちに食っておくぞ」
そう言うネルにナサニエルは小袋の中の干し果実や焼き菓子を取り出した。
食事というにはあまりに寂しい分量だったが、状況が状況なだけにネルも一切不満は言わない。
2人はそれらを半分ずつに分けて食べ、水を飲んでわずかばかりの食事を終えた。
しかしそれだけでも何も口にしないよりは大分マシなのだ。
「ごめんよネル。本当なら今頃もっとおいしくてたっぷりの食事を振る舞えていたはずなのに」
「おまえは本当に後ろ向きだな。起きちまったことは仕方ねえだろ。余計なことを考えるのも体力が消耗するんだからやめとけよ。もう少し適当に考えろ」
そう言うとネルはまたしてもゴロリと横になった。
「おまえも寝ろ。横にならないから眠れねえんだよ」
「でも……狭いし」
「仕方ねえだろ。ほれ」
そう言うとネルはナサニエルの首根っこを掴んで半ば強引に彼を自分の隣に寝そべらせた。
「あっ……」
ナサニエルはネルの顔のすぐ傍の地面に押し付けられるような格好になると、パッと彼女に背を向ける。
そんな彼の態度にネルは少々面白くなさそうにフンッと鼻を鳴らす。
「んだよ。別に取って食ったりしねえよ」
「分かってるけど……一応男女だしこういうのは……」
モジモジとそう言うナサニエルにネルは眉をひそめた。
「ああ? こんな時に男も女もねえだろ。いいから寝ろ。目を閉じて余計なことは考えずに眠るんだよ」
そう言うネルにナサニエルは唇を引き結び、固く目を閉じる。
地面は思ったほど冷たくなかった。
風の音が遠くに聞こえる。
ナサニエルは余計なことは何も考えずに、ひたすらその風の音だけを聞いていた。
己の手による物づくりや、埃にまみれた山仕事など、多くの貴族が経験しないであろうことを色々と経験してきたナサニエルだが、さすがにこんな地面で眠るのは初めてのことだった。
そして……隣には女性が寝ているという状況がナサニエルにとってはさらに異常だったのだ。
貴族なので5年ほど前から何度か縁談を持ちかけられたことはあった。
しかしナサニエルはそれらを全て断り、この土地での自分の生活基盤を固めることを優先したのだ。
そのために今まで恋人の1人もいたことがない。
女性といるより物作りをしているほうが楽しい。
自分でもおかしな性分だと思う。
母だけはそんな自分を心配してくれていた。
ハッキリと言われたことはないが、良縁があればナサニエルには身を固めてもらいたいと思っている節が母にはあった。
そんな母を安心させてあげられないことは気掛かりではある。
そして女性が身近にいない生き方をしてきたため、女性にどう接したら良いのかナサニエルには分からなかった。
ネルとこれまで普通に接してこられたのは、彼女の口調や態度が男勝りであり、女性を感じさせない振る舞いをネルがしていたからだ。
それでもこれほど近くにいるとなるとナサニエルはとても平常心ではいられない。
(ね、眠れるわけがない……)
だんだん空気が冷えてきたこともあり、ナサニエルは縮こまるように背中を丸めた。
背後ではすでにネルの寝息が聞こえてきている。
すぐに眠れる彼女の性格が羨ましかった。
それから丸一時間ほどナサニエルは目をつむり、ひたすら闇の中で風の音を聞いていた。
そうしていると少しずつ眠気が訪れたが、眠りに落ちそうになると寝ているネルが身じろぎをしたりするため、どうしても眠りに就くことが出来ない。
もう寝ることを諦めて起きていようか。
そう思ったその時だった。
「んん……」
すぐ背後でネルが寝ぼけたような声を漏らしたかと思うと、ナサニエルの体に手を回して抱きついてきたのだ。
ネルの髪や体のニオイが鼻腔をくすぐり、ナサニエルは心臓が止まるかと思うほど驚いて必死に声を絞り出そうとする。
(ネ、ネル? な、何を……)
しかしそれは言葉にはならず、細い吐息のような声だった。
ネルはナサニエルをその腕力で抱き寄せる。
その力に抗う術はナサニエルには無い。
まるで蛇に巻き付かれた小動物のようにナサニエルは動けなくなってしまった。
ネルの温かな体温、耳元に聞こえてくる息遣い、背中に押し付けられる柔らかな双丘の感触がナサニエルの心を激しくかき乱す。
荒波となって押し寄せる興奮は、ナサニエルにとってあまりにも刺激が強過ぎた。
跳ね上がる心臓の鼓動に必死に耐えていると息苦しさに気が遠くなってくる。
思考はぼやけ、意識は輪郭を失い、ナサニエルは無意識の水底へと沈んでいくように気を失うのだった。
☆☆☆☆☆☆
アドルフは逆さ宙吊りになった小人族の老人を見て目を細める。
「おお。本当に小人族だ。久しぶりに見たなぁ」
そう言うアドルフを小人族の老人は険しい顔で睨みつけてくるが、彼は意に介することもなく老人に尋ねた。
「赤毛の女と貴族の坊やを匿っているな? ああ。否定も肯定も不要だ。俺は自白させるのは嫌いなんだ。面倒な割に真実味が低い。事実を推測し確定させる。自分で得た結論だけがこの世で信じるに足る事実だからな」
そう言うとアドルフは短剣を取り出し、その切っ先を老人に突き付けた。
「俺はな、小人族の女を殺したことがある。もっと若い、子供のような女だったがな。あれは楽しかった。あんたみたいな老いぼれを殺しても面白くないなぁ。残念だ」
そう言うとアドルフは短剣を鋭く振るうのだった。
今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回、第35話『ぬくもり』は
7月3日(金)21時10分に掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




