第33話 『谷底の骨』
「……骨だ」
ナサニエルは驚いて立ち上がり、ネルの隣に並び立つ。
そして地面に横たわる何者かの遺骸を見下ろした。
それは完全に白骨化していたが、茶色い毛皮の衣服を身に着けており、全身の骨が残されていた。
ネルはその遺骸のすぐ傍にしゃがみ込み、しげしげと骨の状態を見つめる。
両手の骨は細かく砕けており、頭骨も一部が割れてしまっていた。
そしてその遺骸は特徴的で、子供ほどの背丈しかなかったが全体的に骨が大人のそれのように太かった。
ネルもナサニエルもそれがどのような人種の骨であるのかすぐに悟る。
「……小人族だ。落下して死んだのか?」
どう見てもそんな感じだった。
ナサニエルは先ほどまでの恐怖も忘れて、ネルと同じように遺骸のすぐ傍にしゃがみ込んだ。
そして衣服や骨に手を触れる。
衣服は劣化が激しく、軽く手で触れるだけで簡単に裂けてしまった。
長い時間の経過により、風化して繊維がひどく脆くなってしまっているのだ。
「これ……相当古いな。かなり前に亡くなったんだ。この人。少なくともレギン先生が生まれてからは、ご両親以外の同胞をこの街の中で見たことはないって……」
そう言いかけたナサニエルはハッとして動きを止めた。
その目が捉えたのは、遺骸の衣服の裏側に縫い付けられていた布だ。
ナサニエルは震える手を伸ばして破らぬようにその布にそっと触れた。
その布には何やら小人族の文字で刺繍が施されている。
ネルはナサニエルの変化に気付き、彼が手を触れている布に目を向けた。
「ナサ。そりゃ何だ?」
「こ、この人の名前だ。デイル……。あの作業小屋に住んでいた小人族の男と同じ名前なんだ。日記にそう書かれていた」
ナサニエルの話にネルは思わず顔をしかめ、あらためて遺骸を見下ろす。
そしてあることに気付いた。
その足に何かが巻き付いているのだ。
それは……ボロボロになった縄の残骸だった。
「おいナサ。コイツの足を見てみろ」
ネルの言葉にナサニエルも遺骸の足に注目し、巻き付いた縄の残骸に気が付いた。
そして……確信した。
「間違いない。ネル。この人が200年前にあの鉄の弓矢で向こう岸に渡ろうとしていた小人族の男性だ」
ネルはレギンの話を思い返した。
あの小屋に残されていた日記は2ヶ月ほどでプツリと途絶え、男のその後の消息は不明となっていたという話を。
「なるほどな……射撃の際、矢に結び付けた縄に足を取られてそのまま谷底に転落したのか。きっとコイツはさっきのナサみたいに疲れ切って、ボーッとしちまってたんだろう」
そう言うネルにナサニエルは沈痛な面持ちで遺骸を見下ろした。
「そんな……必死に家族の元に帰ろうとしていたのに、こんな谷底で最後を……」
人が呆気なく死に、慈悲もなく土に還ることをよく知っているネルにとっては、人の死はこんなもんだと思うだけだ。
だがナサニエルの悄然とした様子を見ても、何も言わずにいることにした。
(また拗ねられても鬱陶しいからな)
ナサニエルはほどなくして気を取り直し、衣服からその名札をそっと破り取る。
そしてネルを見上げた。
「彼の家族の元へ持っていってあげたい。出来れば遺骨も」
「骨全部は無理だろ。かさばるからな」
そう言うとネルは遺骸の頭部の傍にしゃがみ込み、手を伸ばして頭蓋骨を掴むと、それをむしり取った。
ナサニエルは思わず声を上げる。
「うわっ!」
「なに驚いてんだ。頭を持っていってやるのが一番いいだろ」
「そ、そうだけど……君のやることにはいつも驚かされるよ」
「そうかよ。感傷に浸るのはそれくらいにしておけ。もう日没が近い。少しでも視界が利くうちに寝床を探すぞ。風が吹いてきている。吹き曝しにいたんじゃさすがに体が冷えちまうから、風除けになる場所を見つけねえと。急ぐぞ」
そう言うとネルは平然と頭蓋骨を崖に垂れ下がった綱の傍に置いた。
明日、ここを昇る時に持っていけばいいという考えだろうと理解したナサニエルはネルの背中に声をかける。
「ネル。ちょっとだけ待って」
そう言うとナサニエルは小袋の中に入れていた焼き菓子を包んだ薄布を取り出した。
それを二度三度と払うとナサニエルはそれで頭蓋骨を包み込み、その場に置く。
(明日、一緒に連れて行きますから。少しだけ我慢していて下さいね)
ナサニエルは頭蓋骨と、そして頭部のなくなった遺骸に心の中で謝りながら、ネルに付いていった。
少し歩くとゴツゴツとした岩場が姿を現す。
ずいぶん昔に落石していた跡のようだとナサニエルは思った。
「ちょうどいい。風除けになるぞ」
そう言うとネルは身軽にその岩々を乗り越えていく。
ナサニエルは苦労しながら必死に岩によじ登った。
すると背の高い岩がいくつか折り重なるようにして並ぶ中、周囲を岩に囲まれた窪みのような場所をネルが見つけていた。
周囲の岩が倒れて来ないかと手で触れて確認しながら、ネルはそこに身を滑り込ませる。
そして隙間風が無いかを確認すると上を向いてナサニエルに手を差し伸べた。
「ナサ。ここにしよう。狭いが一晩明かすくらいなら我慢できるだろ。ここなら風も入ってこない」
「うん」
ナサニエルはネルの手を取り、足を滑らせぬようゆっくりと窪みに降り立った。
ネルと2人でそこに立つと、岩が開けた口の中にスッポリと飲み込まれてしまったかのような錯覚を覚える。
ネルは周囲を隙間なく覆う岩の表面に手で触れて、崩れてこないかを確認していた。
「もしかしたらレギンのじいさんが呼びに来るかもな。夕飯時にアタシらが作業小屋にいなかったら不審に思うんじゃねえか?」
「そうかもしれないね。でも先生は時折、製作に夢中になると周りが見えなくなって一晩中でも作業し続けるから、そうなると作業小屋に来ないかもしれない」
「それならそれで明日の朝になったら綱を伝って上ればいいさ」
そう言うとネルは狭い中でゴロリと横になる。
ナサニエルはさらに狭くなった隙間にチョコンと腰を下ろした。
ナサニエルも寝転がるとすると、ほとんどネルのすぐ隣に寝なければならないほど狭いため、彼は所在無さげに上を見上げる。
ネルはそんなことお構いなしに横たわったまま、早々に寝息を立て始めた。
ナサニエルは思わず目を丸くする。
(す、すごいな……もう眠り始めた。旅暮らしだと、どこでも眠れるようになるのかな。いや……彼女も疲れているんだ)
数百本の矢を放って疲れ切った後に、ナサニエルを助けるために余計な体力を使ってしまったのだ。
ナサニエルはあらためて心の中で彼女に深い感謝を覚えた。
ナサニエルが命を失わぬよう、ネルは自らの命をかけて助けてくれたのだ。
ナサニエルはすぐ近くでネルを見た。
ネルの年齢は聞いたことがなかったが、自分よりは若いだろう。
筋肉で覆われたその逞しい体は、ところどころ女性らしく丸みを帯びている。
彼女の肉体の美しさにナサニエルは思わず目を奪われてしまった。
(な、何を考えているんだ僕は……)
ナサニエルは恩人であるネルに対して一瞬でも邪な思いを抱いたことに罪悪感を覚え、彼女から目を逸らした。
そして彼は自分の膝に顔を埋めて視界を閉ざす。
そのまま丸く縮こまって座り、目を閉じたが一向に眠ることは出来なかった。




