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第31話 『油断』

 疲労は確実に蓄積ちくせきされていたが、それでも彼女は集中力を欠かさなかった。

 矢を放つ。

 それは美しい曲線を虚空こくうに描いた。

 

 この日すでに300を超える射撃になった彼女の一矢は……見事に向こう岸の杭に突き立った。

 その勢いで金輪かなわが杭の上からスッポリとはまり込む。

 間髪入れずにナサニエルがなわを引くと、鉄の矢は杭から外れて、そして金輪かなわが杭の下まで落ちた。

 ナサニエルが歓喜の声を上げる。


「よし! 10本目だよ! ネル!」


 そう叫ぶナサニエルに目を向け、ネルは白い歯を見せて笑った。


「とりあえず目標達成だな」


 そう言うネルにナサニエルはうなづき、向こう岸に通った10本のなわを手で引っ張る。

 なわはしっかりと張られていて問題はなさそうだ。

 

「よし。後はこのなわを5本ずつより合わせて2本のつなに……」


 そう言ったナサニエルの体がグラリと揺れる。

 何が起きたのかと思ったネルは思わず声を上げた。


「ナサ!」


 ナサニエルは不意にふらついてそのまま地面に倒れ込んだのだ。

 そして……勢い余って地面を転がるとがけの下へ転落していった。


 ☆☆☆☆☆☆


 ゆうべは一睡もせずに弓弦ゆんずるを作り続け、疲労困憊(こんぱい)のはずのナサニエルはこの日のネルとの作戦中、不思議ふしぎとまったく眠くならなかった。

 興奮していたからだ。

 そしてその興奮は、ネルが10本目の矢を命中させたところで頂点に達した。

 喜びいさんだナサニエルはなわをより合わせてつなにするために立ち上がったのだ。


 そうして数歩歩いて崖際がけぎわに近付いたその時、不意に気が遠くなった。

 地に足の着いた感覚が消え、気付くとナサニエルは転倒していた。

 受け身もうまく取れずに転がり、体が突如として浮遊感に包まれる。


「え……?」


 気付くとナサニエルはがけ下へと落下していた。

 だが、彼が叫び声を上げるよりも早くその体は空中で止まる。

 崖際がけぎわの作業なのでネルもナサニエルも安全のために腰に命綱いのちづなを巻き、それを杭に結び付けておいたのだ。

 そのおかげでナサニエルはがけ下2メートルほどのところで宙吊ちゅうづりの状態で止まり、落下をまぬがれた。


「ナサ!」


 ネルの声が頭上から響く。

 彼女は崖際がけぎわから顔を出して自分をのぞき込んでいる。

 転落死への恐怖で心臓は痛いくらいに早鐘はやがねを打ち、全身があわ立ってナサニエルは荒い息をついた。


「……はっ……はっ」

「ナサ!」


 ネルは地面に置かれているナサニエルの予備用の革手袋かわてぶくろをその手にはめ、彼を引っ張りあげるべく命綱いのちづなつかんで引っ張り上げる。


「動くな! おとなしくしてろ!」


 そう言うとネルはその腕力でナサニエルを引き上げていく。

 だが……ブチブチと嫌な音がしてネルは思わずその手を止めた。

 ネルもナサニエルも思わず顔を強張こわばらせる。

 ナサニエルを助けている命綱いのちづなが重さと衝撃に耐えかねて裂けかけているのだ。

 ナサニエルは恐怖に青ざめた。


(い、命綱いのちづなが切れる……)


 十分な太さのつなを用意したつもりだったが、もしかしたら古くて繊維せんいいたんでいたのかもしれない。

 ナサニエルは上向きに宙吊ちゅうづりになったまま背中の下に広がる虚空こくうに計り知れない恐怖を感じる。

 この高さから落ちたら即死だろう。


 ナサニエルは今更いまさらながらに自身の体力を過信していたことを悔いた。

 興奮によって眠気を感じていなかったものの、体や頭は確実に疲労を蓄積ちくせきさせていたのだ。

 睡眠不足と過労から来るふらつきでこんな最悪の状況になってしまった。

 作戦の進展という天国から一気に地獄へ突き落とされた気分だ。


「ナサ。そのままじっとしていろ」


 ネルは鉄の矢の結び付けられたなわを5本ほど同時に持ち、それをナサニエルに当たらぬよう慎重に谷底に下ろしている。

 それは一方を杭に金輪かなわを通して固定したなわだ。

 彼女が自分を助けるためにあのなわを使って降りて来ようとしていることが分かり、ナサニエルは声を上げた。


「ネル? 君も危ないよ!」

だまってろ。声の振動でなわが切れるかもしれねえだろ」


 そう言いながらネルは自分の命綱いのちづなを急いで外し、らした5本のなわを大急ぎでより合わせていく。

 そうして即席のつなを作ると、ネルは躊躇ちゅうちょすることなくなわを伝ってがけ下へ降りてくるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 レギンは六角棒を使って出入口の仕掛けを解除していく。

 この地下遺跡から地上への出口は17ヶ所。

 いずれもとびらの役目を果たしているのは仕掛けをほどこされた特殊な岩壁だ。


 そしてこの岩壁は、出入口の場所によってそれぞれに仕掛け解除の方法が異なる。

 複数のあなに六角棒を差し込むという方法は同じだが、出入口それぞれで六角棒を差し込む順番が定められているのだ。

 その順番を間違えると出入口のとびらとなる岩壁は開かない。

 レギンは親から教えられたその順番を完全に記憶していた。


 こうして順番を設けることによって、仮に外部の人間が型の合う六角棒を用意したとしても岩壁のとびらを開いて侵入してくることはほぼ不可能となっていた。

 弟子のナサニエルにも全ての出入口を教えてあるわけではない。

 ナサニエルが知るのはわずか数ヶ所の出入口だけだ。

 そして今レギンが出ようとしているのは、ナサニエルも知らない洞窟どうくつの奥の出入口だった。


「数百年の歴史の中で外部からヨソ者に侵入されたことが一度としてない堅牢な仕掛けじゃ。山賊さんぞく程度にどうこう出来る代物しろものではないわ」


 長年の経験に裏打ちされた絶対的な自信。

 だが、それがレギンにとっての油断だったのだ。

 開いた岩壁から一歩踏み出した途端とたん、レギンは足を取られて転倒する。


「おわっ!」


 見ると足首になわがきつく巻き付いていた。

 そのなわがピンと張られて上に持ち上げられ、レギンの体は頭を下にした逆さまの宙吊ちゅうづりとなってしまう。

 そして……あわてるレギンの背後から声がかけられた。


「ごきげんよう。小人族のご老人」


 そこに立っていたのは長い栗色くりいろの髪を後ろで一つにたばね、陰鬱いんうつな表情の中にもギラギラと異様な光を宿した目を持つ男だった。

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