第27話 『落胆と決意』
レギンが工房で夕食の支度をしているとナサニエルが戻って来た。
浮かない顔をしている。
老翁は弟子の佇まいですぐに彼がどんな心持ちでいるのかが分かった。
「何じゃ。きょうも失敗か」
そう言う師にナサニエルは悄然と頷いた。
「はい……いえ、仕事よりも僕が余計なことを言って彼女を怒らせてしまって……」
「何じゃ。ケンカしたのか。それで落ち込んでおるわけじゃな」
そう言うとレギンは呆れたような笑みを浮かべながら調理を続ける。
ナサニエルは水場で手を洗うと、師の調理を手伝いながら先ほどの出来事を話した。
レギンは弟子の話にフムと頷く。
「彼女のためを思って言ったことが、余計に彼女を怒らせてしまったというわけか。まあ、そう気を落とすな。美味い飯でも食わせてやれば機嫌も直るじゃろ」
「依頼を受けてもらって、でもそのせいで彼女がデクスターたちに襲われたら……」
「馬鹿者。おまえは本当に馬鹿者じゃな」
突然のレギンの叱咤にナサニエルは思わず口を閉ざして目を白黒させた。
そんな若き弟子に老翁は言う。
「ワシも昨日の時点ではそう思っておった。早めに逃がしてやったほうが良いと。だが、ゆうべの彼女の目や態度を見てワシは考えを改めた」
「目や……態度?」
「彼女はあの若さで祖国を捨てて放浪の旅に出ておる。それもたった1人で。その危険さや無謀さ、そして世間の理不尽さも全て理解した上でのことじゃろう。好き勝手生きているのだから、降りかかる火の粉は自分で払う。結果としてその火の粉に焼かれることになっても誰も恨まない。その覚悟のある目をしとった。若いのに肝が据わっておる」
レギンの話にナサニエルはネルの顔を思い返した。
何事にも動じない表情。
その目に宿る揺らぎない光。
それは彼女の覚悟の表れなのだ。
「たとえ理不尽に殺されようとも、それは自分の行動の結果だとネルは受け入れておるのじゃよ。おまえがゴチャゴチャ心配する必要などない。ネルは自分の人生を自分の足で歩んでいるだけじゃ。余計な気遣いは無粋というもの。彼女のやりたいようにやらせてやれ」
「先生……」
ナサニエルはネルが親切心で自分の仕事を引き受けてくれたわけではないと理解している。
だがどこか彼女は自分の仕事を手伝ってくれているのだと思っていた。
だが、そうではないとナサニエルは今になって気付いた。
あれはもうネルの仕事でもあるのだ。
仕事を引き受けるということはそういうことだ。
ネルがどうして怒ったのか、ナサニエルはようやく理解した。
同時に自分の浅慮を悔いた。
彼女のために言ったその言葉は、せっかくやる気になっている彼女の心に冷や水を浴びせることになったのだ。
ネルにすれば自分の仕事に余計な口出しをされた気分なのだろう。
悄然としていたナサニエルの顔が引き締まっていく。
弟子の表情が見る見る変わっていくのを見たレギンは再び穏やかな表情に戻ると言った。
「とりあえず美味い夕食でも作って持って行ってやれ。腹も膨れた頃に謝れば、彼女も許してくれよう。仲直り……」
そう言いかけたレギンの言葉を遮り、ナサニエルは声を上げた。
「先生! すみません! 彼女に夕食を持っていく役、代わってもらえませんか?」
「何じゃと?」
思わず面食らって目を丸くするレギンにナサニエルは決然と言った。
「僕と彼女の仕事の成功のために僕は今すぐやらなければならないことがあるんです」
そう言うとナサニエルはレギンに深々と頭を下げるのだった。
☆☆☆☆☆☆
自分で沸かした風呂にネルはゆっくりと浸かりながら、立ち昇る湯気を見つめていた。
思い返すのは先ほどのナサニエルとの険悪な一幕だ。
「あのアホ。へこんでるだろうな。ヤワな野郎だぜ」
つまらなさそうにそう言ったネルだが、ムキになってあのようなことを言った自分に戸惑っていた。
他人とケンカばかりしてきた人生だ。
もちろんそのことに後悔はない。
気に入らない奴には徹底的に言ってやると今も思っている。
だがネルが今、自分自身に戸惑っているのは、ナサニエルから受けた依頼に対して、自分でも思った以上に入れ込んでいると気付いたからだ。
ナサニエルに妙な気遣いをされたことで、自分のやる気に水を差されて苛立ったのだ。
仕事の成否に関わらず、山賊たちがいない間にここを去ったほうがいいとナサニエルは言った。
それが自分の身を案じての発言だとネルにはもちろん分かっているが、あんな山賊どもを恐れて逃げることを勧められたこともダニアの戦士として誇りが傷付けられたのだ。
「馬鹿野郎。余計な気を回してんじゃねえよ。アタシをそこらのお嬢さんだとでも思ってんのか。何があっても最後までやり遂げるってこっちは決めてんだから、テメーもそのつもりでいろってんだ」
そう言うとネルは十分に温まり火照った体を冷ましたくなり、浴槽から立ち上がる。
しなやかな筋肉に包まれた褐色の肌には多くの傷が付いていた。
戦士として幾多の戦いをくぐり抜けてきた証だ。
ネルは大きな手拭いで髪と体を拭く。
貴族の息子らしく、ナサニエルが用意したそれは柔らかくてよく水を吸う。
ネルが使ったことのないほど上等な手拭いだった。
短めの赤毛をしっかりと拭いて乾かすと、ネルはこれから夕食にやって来るであろうナサニエルのことを考えた。
険悪さを引きずるのは嫌だった。
なに暗い顔をしているんだとナサニエルの背中でも叩いて、笑い飛ばしてやればいいだろう。
ネルがそんなことを考えていると、さっそく小屋に訪問者が顔を見せた。
「ほれ。夕飯にするぞ」
そう言って訪ねてきたのはレギン1人であり、ナサニエルの姿はなかった。




