第26話 『すれ違う心』
天井の亀裂から差し込む陽光が徐々に弱くなってきた。
夕刻が近いのだ。
地下世界の視界は次第にその明瞭さを失っていく。
作戦開始から2日目。
ネルとナサニエルの苦闘は続いていた。
ネルが狙いを外した鉄の矢に結び付いた縄を必死に手繰り寄せるナサニエルは、すでに両腕が筋肉疲労でひどく張っている。
ナサニエルの作った特殊樹脂の弓弦を張った弓を使ってネルが矢を放ち続け、かれこれ2時間が経過していた。
未だ金輪は向こうの杭に通せていない。
要するに1本も命中していないのだ。
午後だけですでに200本近い矢を放っている。
杭のすぐそばを掠めるような惜しい射撃は何度もあった。
それでも未だ命中なしだ。
ネルは大きく息をつく。
「ふぅぅぅぅ」
時折短い休憩を挟んでいたものの、すさまじい集中力で矢を放ち続けたネルは現時点での限界を感じていた。
疲れで指の感覚が鈍くなり、全身が重い。
そして特殊樹脂の弓弦は飛距離は出るものの耐久力は弱く、伸びやすい。
すでに二度ほど取り換えた最後の弓弦も限界を迎えていた。
これ以上はますます命中率が下がり、無理に続けても徒労に終わるだけだろう。
弓弦の替えはもう無い。
ネルは水袋の水を呷り、その場にドカッと腰を下ろした。
(飛距離さえ出て向こう岸に届けば何とかなるかもしれないと思ったが、やはりそう甘くはなかったな)
ネルはこの状況を予想はしていたが、予想通りの展開となったことにため息をつく。
助手を務めるナサニエルは疲れ切って呆然としていた。
しかし彼はすぐに気を取り直したように動き出す。
休憩用に用意しておいた焼き菓子の包み紙をネルに手渡した。
「ネル。糖分補給して」
そう言うナサニエルの顔は実に情けないような申し訳ないような顔をしている。
ネルが嫌いな顔だ。
ネルは焼き菓子を口に放り込むとそれを咀嚼しながら言った。
「つまんねえこと考えてるだろ。ナサ」
「え?」
「自分が作った弓弦が駄目だからアタシに迷惑をかけてる、とかそんなことをウジウジ考えている奴の顔だ。あのな、鬱陶しいからそういうのやめろ」
ネルの言葉とその様子にナサニエルは呆気に取られた。
ネルは思いのほか苛立ってなかったのだ。
「ネル……」
「この仕事を引き受けると決めたのはアタシだ。おまえのせいにして途中で投げ出したりしねえから、その辛気臭え面を今すぐやめろ」
「腹を立てていないのかい?」
「別に。アタシがこの暴れ馬を抑えきれてないから当たらない。その事実に腹を立てても仕方ねえだろ」
そう言うとネルはその場にゴロリと寝転んだ。
「こりゃ長期戦だな。ナサ。おまえ明日はこの弓弦作りに専念しろ。今のままじゃ数が足りねえからな」
「で、でもネル。それだと1日長く君を引き留めてしまうことになる」
「あ? 別に急ぐ旅じゃねえから構わねえよ。言ってんだろ。アタシは暇だって」
そう言うネルだがナサニエルは首を横に振る。
「明日が期限なんだ。ネル。仕事の成否に関わらず、君は明後日にはここを出るべきだ」
「……どういうことだ? そんな話は聞いてねえぞ」
訝しむネルにナサニエルは決然と言った。
「明後日……この国の巡回兵団がここに回ってくる。その間はこの山からデクスターたちが出ていくだろう。でもそれは巡回兵団がいる1日の間のことだけだ。それが過ぎればすぐにデクスターたちは戻ってきてしまうよ。奴らがいない1日だけが君がこの山から逃げる好機……」
そう言いかけたナサニエルの胸倉をネルは乱暴に掴んだ。
「……本当につまんねえこと言うんじゃねえよ。ナサ。デクスターだと? あんなカスどもどうでもいいんだよ。何でアタシが受けた依頼を放り出し、尻尾巻いて逃げなきゃならねえんだ。ああ?」
「ネ、ネル……」
「アタシを見くびるんじゃねえ」
「ご、ごめん……」
悄然と項垂れるナサニエルの胸倉を放すと、ネルはきっぱり言った。
「忘れんじゃねえぞナサ。アタシはこれを成し遂げるまで絶対に降りねえからな。分かったらおまえは明日1日かけて出来る限りの弓弦を作れ。今日は解散だ」
「うん。分かった」
そう言うナサニエルに背を向けるとネルはサッサと作業小屋へと戻っていった。
残されたナサニエルは地面に置かれたままの鉄の矢を確認する。
度重なる射撃で曲がっていないか、鏃が欠けていないか、縄や金輪を止めた金具が緩んでいないか。
それらを確認すると彼は静かに工房へと引き上げていく。
地下世界に差し込む陽光は薄くなり、夜が近付いていることを告げているのだった。




