第23話 『発想の転換』
昼時に差し掛かっていた。
「ああっ! くそっ!」
ネルは谷底に落ちていく矢を見て、すぐに次の矢を番えようとした。
しかし弓弦が元気を失くしているのを感じ取り、それを断念して苛立ちの声を上げる。
「チッ。もうヘタってきやがった」
すでに朝から200本以上の矢を放っているため、弓弦が傷み始めているのだ。
縄と金輪付きの重い鉄の矢を目一杯の力で放ち続けたため、普段よりも弓弦の傷みが早い。
ネルは度重なる射撃で疲れた手で弓弦を外した。
そして新たな麻の弦を弓に張ろうとする。
だが、そこで彼女は手を止めた。
ネルの頭の中でこの作業に成功する絵が描けなくなっている。
これまでの人生で彼女の頭の中には矢が的に命中するイメージは常にあった。
そんなネルでもこの作業の成功を想像できなくなっている。
苦悩を表すようにネルの眉間には深い皺が刻まれていた。
そんな様子の彼女を気遣うようにナサニエルは声をかける。
「ネル。昼食にしよう。休憩だ」
「……チッ。分かった」
ネルは弦を失った状態の鉄の弓を手に、ナサニエルと共に作業小屋へと戻った。
ナサニエルはすぐに手を洗うと昼食の準備に取り掛かりながら、あれこれとネルに話しかける。
しかしネルの耳には全く届かない。
彼女は思考の水底へと沈み込んでいた。
(……力を込めても射角を調整しても風に乗せても届かない。これが今のアタシの限界なのか?)
ネルは作業小屋の椅子にドカッと腰を下ろすと、ふと呟きを漏らした。
「アタシにブリジットくらいの力があれば……」
「ブリジット? それってもしかしてダニアの金の女王?」
ネルの呟きを聞いたナサニエルは興味深そうにそう尋ねる。
思わず漏らした言葉をナサニエルに聞かれ、ネルは少々バツが悪そうに頷いた。
ネルの故郷であるダニアには2人の女王がいる。
金の女王ブリジットと銀の女王クローディアだ。
双璧を成す2人は共にダニアの女たちの頂点に立つ最強の武人たちだ。
剣を振るえば大地を裂き、槍を突けば山を割り、弓矢を放てば月を落とすとまで謳われた2人のうち、金の女王ブリジットが矢を放つのを実際に見たことがある。
常人の力では弓弦を引くことすら叶わぬほどの剛弓を自在に操り、その矢は数百メートル先を飛ぶ鳥すら易々と射抜いて見せた。
自分にはとても真似できないと思った。
人間業とは思えぬほどの衝撃的な射撃だった。
「ダニアの女王は2人ともとてつもない武人だって聞いているよ。戦いの女神の血を引いているって」
「まあ、そうだな。あの2人ならこんな作業は1時間で終わるだろうよ」
そう言いつつネルは小さく息を吐いた。
逆立ちしてもネルには出来ない芸当だ。
そもそもの身体能力が段違いなのだ。
そしてネルの胸に残る金色の髪の友人は金の女王の娘である。
彼女は女王の血を引き、その超人的な身体能力も受け継いでいた。
次期女王とならなければならないそのしがらみは欲しくはなかったが、彼女の力は素直に羨ましいとネルは思う。
だがそれは望んでも仕方のないことだ。
ネルは頭に浮かぶ友の面影を消し去る様に頭を振った。
「ネル。お待たせ。食べて精をつけてね」
ナサニエルが用意した昼食は豪華な羊肉のスープと柔らかな小麦の白パンや新鮮な果実など贅沢なものだったが、せっかくの味も分からないほどネルは食べながら無言で考え続けていた。
(……飛距離を今すぐ伸ばすには……より大きな弓が必要だ。レギンのじいさんに頼めば2メートル級の鉄の大弓をすぐに作れるだろうか。いや……待てよ?)
ネルはそこであることを思い出し、口に入れたパンを飲み込む暇も惜しんでナサニエルに声をかけた。
「おいナサ。昨日アタシに見せたあの、おまえの作ったヘンテコな樹脂の弓弦、まだ残ってるか?」
「と、とりあえずパンを飲み込んでから喋りなよ。あれはまだあるよ。君にコテンパンに言われたから後で捨てようと思っていたんだけど……」
そう言うとナサニエルは立ち上がり、奥の寝床から特殊樹脂の弦を持ってきた。
飛距離を稼ぐために特殊な樹脂で弾力性を増したその弓弦は、ナサニエルが自作して鉄の弓に張っていた物だ。
しかしこれでは飛距離が出ても狙いが安定しないとネルに酷評されて弓から外したのだった。
「もしかして……これを使うの? これだと飛距離は出ても狙いが安定しないって君が……」
「ああ。だろうな。だがそもそも届かないんじゃ話にならねえ。発想を変えるぞ。届かせてから狙いを調整する」
そう言うとネルは茶で口の中の食べ物を全て流し込み、ナサニエルから受け取った弾力強化をした特殊な樹脂の弦を弓に張っていく。
その弾力性を指で確かめるとネルは口を真一文字に引き結び、立ち上がった。
「よし。やってみるか」
「え? もう始めるの? ろくに休憩していないけど……」
「急いで確かめたい。早く飯を食え。ナサ」
そう言うネルにナサニエルは目を白黒させて食事を口に詰め込むのだった。
☆☆☆☆☆☆
ネルは再び2本の杭の間に立つと、鉄の弓に鉄の矢を番えた。
そして弓弦をグイッと引いてみる。
ナサニエルが特殊な樹脂で作ったそれは麻の弦よりも遥かに弾力性が強く、実際に弓に張った状態で引いてみると違和感が大きい。
それでもネルは自分の腕を信じて思い切り矢を放った。
ビンッと強く弾ける音が響き、矢が虚空へと飛んでいく。
結び付けた矢が谷間に虹をかけるように弧を描いた。
そして……矢は向こう岸の杭の間を通り抜けて、その1メートルほど先の地面に突き立った。
それを見たナサニエルが両目を見開いて大きな声を上げる。
「と……届いた!」
「喜んでねえで縄を引け。ナサ。外れたんだぞ」
そう言うネルの言葉にハッとしてナサニエルは急いで縄を引っ張る。
そうして約80メートル先から鉄の矢を引き寄せると、向こう岸の地面に突き立った鉄の矢の鏃には向こう岸の地面の砂が付着していた。
ナサニエルは思わず歓喜の表情でネルを見る。
「向こう岸の砂だ。いける……いけるよネル!」
無邪気な様子のナサニエルにネルは肩をすくめながら、今の一射を顧みる。
力をそれほど入れずとも飛距離は出た。
しかも鉄の矢自体の重量かあるためか、射撃の勢いにも思ったほどブレることもなく意外にまっすぐ矢は飛んでくれた。
「まずは第一関門突破だな」
そう言うとネルは気持ちを新たに午後の挑戦に臨むのだった。




