第21話 『挑戦2日目』
挑戦2日目。
ネルは崖際に建てられた2本の支柱の間に立ち、谷間の向こう側を見つめながら鉄の弓を握りしめる。
すぐ傍にはナサニエルが手袋をはめて控えていた。
ネルは鉄の弓の麻弦の張り具合を指で確かめながら何気なくナサニエルに声をかけた。
「そういえばナサ。おまえ。こいつの持ち主だった男のために向こう岸に渡ろうとしているんだってな?」
「え? そうか。先生から聞いたんだね。うん。仕事なんて言ったけど、本当はそうじゃないんだ。一応、向こう岸で何か役に立つ物資が手に入るんじゃないかっていう打算はあるけと、それは副産物的なものであって、本当は僕の個人的な思いから来る感傷的な行動なんだ。ネルから見たら貴族の道楽だよね」
そう言ってナサニエルは少し恥ずかし気に俯いた。
「その弓の持ち主だった彼の代わりに、彼の家を……家族を確かめてあげたいって思ったんだ。そんなことしたって何の意味もないけれど、自分の気持ちを止められなくてね」
自嘲気味にそう言うナサニエルだが、ネルは平然と言った。
「フンッ。いいんじゃんねえの? 意味なんかなくたって」
「えっ?」
「別にいいだろ。おまえの人生なんだからおまえの好きにやれば。小さいこと気にすんな」
「ネル……」
驚くナサニエルの顔を見もせず前方を見つめたままネルは話を続ける。
「別にどこかの国の王子様でもないんだ。おまえやアタシみたいなただの人間が好き勝手に生きようと、肩肘張って御立派に生きようと、世の中に大した影響はねえ。なら好き勝手生きてみりゃいいじゃねえか」
「そうか……そうだね。僕は囚われているみたいだ。自分が貴族の三男坊だから稼げる事業をしなければならないって思いに。でも……小さいことだよね。そんなの」
そう言うとナサニエルは随分と気が軽くなったような表情でネルに目を向ける。
「ネルはすごいね。誰の後ろ盾もなく1人でいるのに、堂々としている。僕も君みたいに強い心を持ちたい」
「別に。アタシはこの暮らしが性に合っていただけだ。そして他人の評価なんかどうでもいいだけさ。とにかく向こう岸に行ってみようじゃねえか。さっさとこの谷間に橋をかけてな」
そう言うとネルは鉄の弓に鉄の矢を番え、2日目の挑戦を開始するのだった。
☆☆☆☆☆☆
「何だこりゃ……」
アドルフが発見した穴の中に入った山賊たちは驚きの声を漏らした。
そこは天然の洞窟でありながら、様々な人工物が置かれている。
木材、縄、そして樽。
山賊の1人が樽に手をかけて言った。
「この樽……あの赤毛女を挟み撃ちにしたときに斜面の上から落ちてきたものと同じだ」
そう言う部下の言葉にアドルフは樽に顔を近づけた。
中からはほのかに油の臭気が漂ってくる。
「その女を助けた貴族の坊やが使っている洞窟だな。ここは。どうりで赤毛の女が山の中で見つからないはずだ。こんな穴倉に隠れていればな」
地面は比較的平坦だが固い岩盤であり、土の地面と違ってハッキリとした足跡は残らない。
松明が必要な闇の中で足跡を追うのは困難だった。
だがそれでもアドルフは部下たちに命じる。
「先へ進め。どこかに赤毛の女が隠れてこちらを狙っているかもしれねえ。全員、盾で体を守りながら進め」
アドルフの命令に従って山賊たちは緊迫した面持ちで洞窟を進んでいく。
全員、盾を前に出して首や胸を守りながらの行軍だ。
真っ暗な洞窟の中を松明の炎で照らしながら進んでいくと、途中で道が二股に分岐していた。
思わず足を止めて戸惑う部下たちをアドルフは半分ずつに分けて告げる。
「この先、分岐に差し掛かったら2手に分かれて進め。その際、必ず地面に矢印を書いて、自分が通ってきた道を分かるようにするんだ。もし道に迷っても助けにはいかねえから、そん時は野垂れ死ぬのを覚悟しな。それと撤退の合図は俺が指笛を吹く。それが聞こえたら、おまえらも指笛で合図して元来た道を戻れ」
そう命じるとアドルフは半分に分けた部下の片方と共に分岐を右に進んでいく。
もう半分は左に入っていった。
その先も幾度かの分岐が続き、その度に部下を分けて進むが、とうとうアドルフと部下の2人だけとなった。
「随分と厄介な場所だな……その貴族の坊やがこんなところを迷わずに進めるか?」
そう言ったアドルフは眉をひそめる。
彼が感じ取ったのは更なる協力者の存在だ。
この山にはデクスターが縄張りを増やすために3ヶ月ほど前に入ったばかりで、まだ全容は掴み切れていない。
特にこのような山中の洞窟については未知のものが多かった。
(この洞窟……何かあるな)
だが、それが何であるのか分からない上に、分岐がどの程度続くのかも分からない。
何にせよ枝分かれの道が多すぎて今いる人数では捜索が困難だろう。
(もう少し準備が必要だ)
そう考えたアドルフは迷うことなく撤退の指笛を響かせた。
甲高い音が洞窟内に鳴り響き、少しするとそれに呼応するように部下たちの指笛が響き渡った。
もしこの洞窟のどこかに赤毛の女が潜んでいたら、気付かれてしまうだろう。
だがそれでもよかった。
むしろ刺激を与えて炙り出したいと考えていた。
「暗い穴蔵に隠れていないで出て来い。ダニアの女。明るいところでおまえの死ぬ間際の顔を見ながら殺したいからなぁ」
そう言うとアドルフは喉を鳴らして笑いながら、来た道を引き返していくのだった。
☆☆☆☆☆
外界での調達を終えて工房に戻ったレギンは、まず採集した麻で弓弦を作り出す作業に取り掛かる。
麻の繊維を引き裂いてそれをいくつもより合わせて糸状にすると、接着剤となる樹脂を塗りつけていった。
これを何本も作っていく。
それらは乾燥させたらさらにより合わせ、最後に松脂を油で煮て作る薬練と呼ばれる薬剤を塗り、さらに乾燥させて弓弦を完成させるのだ。
「初日の様子からすると今日も苦戦しそうじゃの」
レギンはそう言いながら何本かの麻糸を乾燥させる。
ネルの弓の腕は昨日の射撃でよく分かったが、あの谷間での作業は難業だ。
いかにネルでも簡単には成し遂げられないだろう。
だが作業を円滑に行えるよう補助だけはきちんとしてやりたいとレギンは思った。
自分に出来ることはこうして弓弦などの資材を用意したり食事を用意することくらいだが、若者たちの挑戦に少しでも助力になればと老翁はそう考えたのだ。
「さて、ワシも自分の得意分野で本領発揮するとしよう。矢と金輪はまだまだ必要じゃろう」
そう言うとレギンは鉄の矢と金輪の製造に取り掛かるため、炉へと向かうのだった。
レギンは鉄細工の作業に入る時は、これ以上無いほどに集中する。
ゆえに作業中の彼は気付かなかったのだ。
遠くでかすかに鳴り響く指笛の音に。




