第20話 『邪悪な狩人』
「ここです。ここで女を見失いました」
そう言う山賊の男にアドルフは上を見上げた。
そこは下り坂の山道であり、両側は切り立った崖と上りの急斜面に挟まれている。
部下たちの話によるとダニアの女は協力者である貴族の青年ナサニエルの手引きでこの上りの急斜面を縄を掴んで登っていき、その後、姿が見えなくなったという。
「その後、貴族の坊やの姿は見たのか?」
「いえ。麓の街にも戻っていないようです」
部下の話を聞いたアドルフは急斜面を見上げると何を思ったか急にそこを登り始めた。
ほとんど崖のような急斜面で縄もなしに登れるとは思えず、山賊らは驚く。
しかしアドルフはあちこちの出っ張りを目敏く見つけると、両手両足を的確にかけてスルスルと急斜面を登って行った。
そしてわずか1分足らずで30メートルほどの崖を登り切ってしまい、さらに山賊たちを驚かせたのだ。
アドルフは軍にいた頃、強襲部隊に所属し、過酷な任務に当たっていた。
建物の壁を登り、上層階の窓から侵入して標的を殺すのもお手の物だった。
崖を登り切ったアドルフはその地面に付いた足跡を見る。
いや、正確には膝頭あるいは踵を着いた跡だ。
崖を登り切って最初の一歩を踏み出す時は必ず足を押し込む力が強くなる。
その跡が残っているはずだと思った。
だがパッと見たところでは、そうした強い踏み込みの跡は残されていない。
しかしアドルフは集中していた。
そして手でその辺りの地面を均すように土を払っていく。
すると……比較的簡単に土が払われる箇所をアドルフは発見した。
「……見つけた」
強く踏み込んだ跡を隠すように上から土が被せられた形跡が残されている。
時間をかければもっと入念に足跡を消せただろうが、山賊たちから追われている最中であればこの程度で済ませるのも仕方のない話だ。
「ある程度、軍人としての作法を弁えた女のようだな。そんな女は初めてだぞ。楽しみだ。楽しみで仕方ない」
アドルフは嬉々とした表情を浮かべて立ち上がる。
そしてそこから地面を見つめながら周囲を警戒しつつ慎重に追跡を開始した。
山道には多くの足跡が残されていたが、先ほどの強い踏み込みから予測できる足跡だけをアドルフは追いかける。
後方から山道を登ってようやく追いついてきた山賊たちが声をかけてきた。
「兄貴! 待って下さい兄貴!」
そうして追いついてきた部下にアドルフは腰帯から抜き放った短剣を突きつける。
突然のことに部下は短い悲鳴を上げて立ちすくんだ。
「ひっ!」
「今集中しているんだ。静かにしてねえと息の根を止めるぞ」
「は、はい……」
アドルフは短剣を下ろすと地面にしゃがみ込みながら足跡を見定めて追跡する。
「ダニアの女は足も男のように大きいんだな。歩幅も男性並みだ」
ブツブツとそんなことを言いながら足跡を辿って進むアドルフは、足跡のすぐ近くに落ちているものに気付いて目を細める。
そして指でそれを摘んで拾い上げた。
それは1本の頭髪だった。
「……まだ新しい。抜け落ちてすぐか」
そう言うとアドルフはそれを頭上に掲げ、太陽に透かして見る。
それは色鮮やかな赤毛だった。
アドルフの顔が歪な笑みに彩られる。
「綺麗な赤毛だ。艶もある。女の毛だ。ああ。この持ち主に早く会いたい。殺したい。髪の毛を切り取って俺の物にしたい」
恍惚としたアドルフの様子を山賊たちはビクビクしながら見守った。
とにかくこの男の不興を買うようなことはしないよう、彼らは声も出さずにアドルフの後をひたすら付いていく。
やがてアドルフは足を止めた。
彼の目の前には人の足首くらいまでの背の低い草が地面を隠すように一面に生い茂っていた。
こうなると足跡は見えなくなってしまう。
それを見越しての逃走経路だろう。
だがアドルフはしゃがみ込んで草の状態を見ながら部下たちに命じる。
「今から俺が言う通りに草を刈れ。俺が踏むなと言う場所は絶対に踏むな」
アドルフの指示に従い、部下たちは用意していた鎌を手に草を刈り始めた。
アドルフが連れてきた部下は10名ほどであり、藪全面の草を刈るならば時間がかかってしまうが、アドルフが指示したのはごく狭い範囲の草刈りだけなので10分ほどで終わった。
アドルフは藪に入る直前の足跡から向かった方角を予想し、該当する範囲の草を刈るだけにして無駄を省いた。
すると……刈った草の下から2人分の新しい足跡が現れたのだ。
アドルフはニヤリとした。
「さて、逃げた女と貴族の坊やは藪を通ってどこへ向かったのか」
アドルフは罠の存在を警戒し、部下たちを先行させて草を刈りながら進んでいく。
すると……1本の大木に行き着いた。
そこで足跡は急に途絶えたのだ。
山賊たちが顔を曇らせる。
「一体どこに……」
だがアドルフは冷静さを失うことはなく、そこらから小石を拾い集めると、それらを大木の根元に生い茂る草の中へと次々投げ込んでいく。
2分ほどその動作を続けるアドルフを山賊たちは黙って見守り続けた。
正直なところアドルフが何をしているのかまったく分からなかったが、質問などをしてアドルフの機嫌を損ねたい者はいない。
やがて……小石を投げ続けていたアドルフがふと動きを止めた。
彼は藪の中のある1点に注目すると部下たちに指を差して命じる。
「そこ。1メートル四方の草を刈れ」
アドルフの指示通りに部下たちは鎌を手に草を刈り始めた。
すると……突然部下の1人が悲鳴を上げたのだ。
「うわっ!」
その部下は藪の中で忽然と姿を消した。
驚いた仲間たちがアドルフに目を向ける。
アドルフはしたり顔で頷いた。
「穴だ。そこに穴がある」
そう言われた部下が慎重に藪をかき分けると、アドルフの言葉通り、そこには人が1人通れるくらいの穴がポッカリと口を開けていた。
その中には先ほど姿を消した山賊が落ちて倒れているのだった。




