第18話 『置き去りの過去』
夜になると地下遺跡の中も冷えてくる。
外気が吹き込んでくるせいだ。
作業小屋では暖を取るために焚き続けている竈の炎が揺れている。
その炎を見ながらレギンはネルに話して聞かせた。
かつてこの小屋に住んでいた小人族の男の話を。
「その男は元々向こう岸に住んでいたそうじゃ」
「向こう岸に? どうやってこっちに渡ってきたんた?」
不思議がるネルにレギンは話を続ける。
ここに残されていた男の日記から知ることが出来た過去の出来事を。
「男が若い頃にはまだ吊り橋が残っていたそうじゃ。男はその橋を渡ってあちらとこちらを行き来しておった。当時この辺りには数世帯の同胞が暮らしておって、物々交換などの交流があったらしい。男には向こう岸に住む家に年老いた母親と生まれつき両足の無い妹がおったことが日記に記されておる」
「なるほど。満足に動けない家族のために働いていたってことか」
ネルの言葉にレギンは頷いた。
「じゃが……200年前のある時、大きな地震がこの場所を襲ったんじゃ。岩石に潰された建物が今もいくつか残っておるのを見たじゃろ? その時の名残じゃ。元々数が減っておった我が同胞たちは、その大地震の際にさらに大きく数を減らしてしまったそうじゃ。当時ここらに住んでいた者たちも例外なく死に絶えた。そしてその地震によって吊り橋も谷底に落ちてしまい、あちらとこちらを繋ぐ唯一の道は断たれてしまったのじゃ」
その後、男は必死に向こう岸に戻ろうとした。
残してきた母と妹に食べ物を届けなければならないからだ。
何日も家を空ければ2人とも弱って死んでしまうかもしれない。
その焦りから男は一度崖下に降りようと考えた。
縄を伝って崖下に降り、そこから向こう岸の岸壁を登るのだ。
実際、男は杭に縛り付けた縄を使って何とかして崖下まで降りた。
だが向こう岸の崖はどこまで歩いても絶壁が続き、岩に手足をかけて登ろうにも男の力では限界があった。
ついに男は登ろうとした崖から転落して地面の石に頭を打ち、気を失ってしまったのだ。
「半日ほどして目が覚め、男はこの方法では無理だと愕然としたらしい。そこからは刻々と経過する時間の中で焦る男の心情が綴られておる。読んでいて辛いほどじゃ」
敢えて日記に書くことで男は1人孤独に抱える辛い思いを必死に吐き出していたのだろうとレギンは言った。
「それから男はすぐにこちらの岸に縄を伝って上がり、今ナサニエルがやっている弓を使った方法を考えたのじゃ。たまたま弓を持っていたというのも、この方法を選択した理由なのじゃろうな」
「で、結局うまくいかなかったんだろ?」
「うむ。残念なことにな。1日経ち、2日経ち、あっという間に数日が経ってしまった」
ネルは眉をひそめる。
「家族はどうしてたんだ? 男がいなくなって呼びに来なかったのか? 両足の無い妹はともかく、年老いた母親は歩くことも出来なかったのか?」
「家族は一度も呼びに来なかった。母親は……老衰して頭が弱っていたそうだ。男は日記の中で嘆いていた。母はおそらく何故自分がいないのか分からないだろうと」
酷な話だった。
男は家族の元に戻りたいと願い、焦り、絶望しかけた。
「それでも男はあきらめなかった。何とか向こう岸に渡ろうともがき続けた。不幸だったのは彼は孤独であり、他に手や知恵を貸してくれる者がいなかったということじゃ。当時はワシの祖先もこの近くには住んでいなかったそうじゃからな」
「それからどのくらいの時間、男はここで悪あがきを続けたんだ? 1年か? 5年か?」
そう尋ねるネルにレギンは神妙な面持ちで首を横に振った。
「2ヶ月じゃ」
「2ヶ月? たった2ヶ月であきらめちまったのか?」
「いや……日記には強い筆圧でこう書かれておる。何としても家族の元に帰る、と。もう2ヶ月が経過して家族も生きているかどうかも絶望的じゃというのに、それでもこの男はあきらめておらんかった。じゃが……この日を最後に日記は途切れておる」
そう言うとレギンは男が書き残した最後の言葉をネルに見せる。
小人族の文字なので読み取ることは出来ないが、それでもその荒々しい筆跡には男の並々ならぬ執念が表れていた。
「どうにか向こう岸に戻ることが出来たってことか?」
そう言うネルにレギンは深い皺の刻まれた顔を竈の炎に向ける。
赤く照らされた老練な表情は、ネルの言葉を肯定も否定もしていなかった。
「分からぬ。男は忽然と姿を消したのじゃ。真相は藪の中……いや、時間の彼方に置き去りにされたまま」
「なるほどな。まあ200年も前のことじゃハッキリ分からなくても当然か」
「しかしこの日記にはこの男の家族が暮らしていた家の場所も記されておる。きっと自分が志半ばで倒れるようなことがあった時のために、この日記をいつか誰かが見た時のために、男が書き記しておいたのじゃろう。それを見てナサニエルは俄然やる気になってな。男の代わりに自分が彼の家族の元を訪れ、男のことを伝えて供養するのだと言っておった」
ナサニエルは向こう岸へ渡ることを仕事と言っていたが、仕事というよりはやり甲斐のようなものを感じて取り組んでいるのだろう。
「貴族の坊ちゃんにはありがちな道楽だな」
「まあそれは否定せんが、ワシは別の見方もしておる。向こう岸にまだ掘られていない鉱脈が数多く残されているかもしれんのじゃ」
レギンの話によるとこちら側の鉱脈は古の時代からあらかた掘り尽くされていて、これ以上は空洞維持のためにも掘れないとのことだった。
無理に掘ると崩落の恐れもあるからだ。
「へぇ。向こう岸に行けば新たに鉱石を掘り出せる余地があるかも知れないということか。じいさん。意外と強欲だな」
そう言ってニヤリとするネルにレギンは不服そうに鼻を鳴らす。
「馬鹿を言うな。ワシ1人で扱える鉱石などたかがしれておるし、鉱石を売り払って金に換えたところで身寄りもない老人が大金を持っても仕方あるまい。じゃが……あいつはまだ若い。未来がある」
「ナサに財産を残してやろうと思っているのか」
「探求心に溢れた奴じゃ。財力さえあれば大きな事業を興して自らの人生を切り開くじゃろう。こんな地下通路でひっそりと終わる男にはなってほしくない」
血の繋がりもない若者をそうまで思う老人の心はネルには分からなかった。
(人生の終わりが近付くとそういう心境になるのかね)
ネルが内心でそんなことを思っていると、風呂を沸かしていたナサニエルが浴場から戻ってきた。
「ネル。風呂の用意が出来たよ。浴場の前に風呂用の手拭いと夜着を用意しておいたから。僕用のだから小さいと思うけど我慢してね」
「ありがとよ」
「僕と先生は工房に帰るから、君はゆっくりと休んで。明日の朝、太陽が差し込んできたらまた来るから。おやすみ」
「明日は必ず成功させるぜ」
そう言うネルに手を振り、ナサニエルとレギンは作業小屋を後にした。
途端に小屋に静寂が訪れる。
「ふぅ。妙な一日だったぜ」
そう言うとネルは一日の汗を落とすべく浴場へ向かうのだった。




