第16話 『小さな自分を超えて』
「ネル。仕事を始める前に報酬の話をしようと思うんだけど……」
「金は路銀程度でいい。たくさん持っても重いだけだ。それより全部終わったら木の矢を100本用意してくれ。その中からアタシが半数の50本を選別してもらっていく」
ネルの言葉にナサニエルは思わず驚いて目を丸くする。
「それだけでいいの? それこそかさばらない貴金属とか……」
「いらねえ。あとは水と携行食、それにここにいる間の食事くらいでいい」
「君は……欲が無いんだね」
「そうでもないさ。けど、アタシは身軽でいたいんだ。必要以上の金は必要ねえ。いざって時に金が重くて身動きできねえなんてマヌケな姿を晒したくないからな」
貴族のナサニエルにはネルの生き方や考え方が新鮮に見えた。
貴族の力はつまるところ金だ。
金があるから人を動かせる。
だから貴族はせっせと金を貯める。
金儲けには敏感な嗅覚を持つ。
だが世の中には金では動かない人間もいるのだ。
そして大金を出さずとも力を貸してくれる人間もいる。
それを知ることはナサニエルにとって新たな、そして喜ばしい驚きだった。
家を継がない気楽な三男坊などと言われたところで、自分が生きていくための金を稼がなければならない。
気楽でも何でもないのだ。
だが世の中には金を稼げずとも生き生きとしている者がいる。
それを目の当たりにして、ナサニエルは勇気が湧いてくるような心持ちだった。
「了解。それならせめて食事は奮発させて。精の付くものを食べてもらいたいし」
そう言うナサニエルに頷くとネルは鉄の弓を手に立ち上がる。
ネルが心なしか楽しそうなのが、ナサニエルにとっても嬉しかった。
少なくとも彼女は嫌々仕事を受ける性格ではない。
嫌な仕事なら何としても受けないはずだ。
ということはこの仕事に少しは興味を持ってくれているのだ。
これまではナサニエルにとってごく個人的な計画だったものに仲間が加わった。
そのことがナサニエルを大いに奮い立たせるのだった。
☆☆☆☆☆☆
ネルとナサニエルの共同作業が始まった。
これからネルは向こう岸に向けて矢を飛ばし、あちらに立つ2本の杭に縄の付いた金輪を通すのだ。
その金輪につながれた縄はこちら側の杭に同じように金輪を通して固定されている。
向こうの杭に金輪が通れば、それは即ちこちらとあちらを繋ぐ一本の縄となるのだ。
それを何本も通してそれぞれの縄をこちら側からより合わせて太い1本の綱にする。
ナサニエルが事前に試したところ、吊り橋の太い綱を作るためには5本の縄が必要だった。
それが出来れば人1人の体重を支えるのに十分な強さを得られると彼は結論を得ている。
そしてその綱が両方の杭に数本通ったところで、ナサニエルが複数の縄と金輪の組み合わせを持って綱を伝い、向こう岸に渡るのだ。
そこまでいけばネルの仕事としては終了だ。
後はナサニエルがこの作業を繰り返して多くの綱を通すことになる。
最終的には丈夫な木板を組んで足場を作り、細部を補強すれば吊り橋の完成だ。
これが作戦の全容だった。
「そもそもこの矢と縄と金輪が一体になった仕組みは、どういうカラクリで向こうの杭に金輪がかかるんだ?」
鉄の矢に金具で取り付けられた縄と金輪を見つめてネルはそう尋ねる。
するとナサニエルは笑みを浮かべ、数メートル先のこちら側の杭を指差した。
「あの杭の先端に矢を突き立てるように撃ってみてよ。ただし至近距離だから軽めに撃ってね」
「あん? まあいいや。百聞は一見にしかずってやつだな」
そう言うとネルは縄と金輪に繋がった鉄の矢を鉄の弓に番え、杭の先端に向けて軽めに撃った。
至近距離であるため当然、矢は寸分違わず杭の先端に命中する。
するとその勢いで縄に括り付けてある金輪が反転して、うまい具合に杭の上からスポッと入った。
ネルは思わず感嘆の声を上げる。
「おおっ!」
ナサニエルは得意げに笑みを浮かべ、それから鉄の矢に結び付いた縄を引っ張った。
「後はこうして杭から矢を抜けば……」
縄で引っ張られた矢が杭から抜け落ちると、金輪がストンと杭の下まで通った。
それを見てネルは得心する。
「なるほど。こういうカラクリか。分かりやすくていいぜ」
「で、僕の役目は……」
ナサニエルは厚手の革の手袋をはめると鉄の矢に結び付けられた縄を握った。
「もし君の矢が外れた時に、鉄の矢が谷底に落下して破損しないよう、素早く引き上げることだよ」
「へっ。もし君の矢が外れた時にか……面白え」
そう言うとネルは手に握った鉄の弓を自分の眼前に掲げる。
普段使っている木の弓に比べるとずっしりと重い。
ネルにとっては自分の物である木の弓矢を使った方がやりやすいが、木の矢では鉄の矢とその付属品の重さに耐え切れずにたわんでしまったり、折れてしまったりするだろう。
木の弓にもかかる負担が大きく痛んでしまう恐れがある。
それゆえにネルは慣れない鉄の弓矢を使うことにした。
「じゃあさっそく始めていくか。吊り橋復活大作戦開始だ」
ネルは鉄の矢を拾い上げた。
一緒に縄と金輪も付いてくるという奇妙な状態かつ鉄の弓の重さに違和感を覚えながら、それでもネルは集中する。
つい先刻、自分の感覚が狂うのが嫌だから鉄の矢は不要と言った彼女が翻意したのは理由がある。
200年前の小人族が使っていたという弓を手にした時、自分が何だかとても小さなことを気にしているように思えたのだ。
(感覚が狂う? 随分とアタシも小さいことを言うようになったもんだ。狂ったなら戻せばいいだけだろ)
そして先ほどの試し撃ちで、的を外すどころか向こう岸に届きさえもしなかったという事実がネルの闘争心に火をつけた。
かつてのこの弓の持ち主であった小人族に言われているような気がしたのだ。
自分が出来かなったこの偉業、おまえごとき小娘に出来るものかと。
(やってやらぁ。弓矢だけは譲れねえんだ。アタシは)
鉄の弓の握りは樹脂で覆われているが、鉄特有の冷たさを感じる。
鉄の矢も同様だ。
縄や金輪が付属しているためより重くなっているその矢を番えると、まるで両手両足に錘を付けながら弓矢を構えているように感じる。
その状態でネルは矢を放った。
「ふっ!」
勢いよく放たれた矢と共に足元の縄がヒュルヒュルと前方の虚空に吸い込まれていく。
だが鉄の矢はまたしても向こう岸に届かずに谷底へと落下していった。
ネルは間髪入れずに声を上げる。
「ナサ!」
「任せて!」
ナサニエルは縄を素早く引っ張って手繰り寄せる。
縄の長さは90メートルもあり、谷底に落ちてしまうと鉄の矢が地面に激突して破損してしまうのだ。
鉄の矢の数には限りがある。
ゆえに矢が向こう岸に届かなかった場合は、厚手の手袋をはめたナサニエルがその手で素早く縄を引っ張って矢を引き戻すのだ。
ネルとの二人三脚の作業と言えた。
「やっぱり重いな」
そう言うとネルはナサニエルが引っ張り上げた鉄の矢を拾い上げる。
「ナサ。どんどん行くぞ。気を抜くなよ」
「うん!」
ネルは鉄の弓に鉄の矢を番える。
これは彼女にとって小さな自分を超え、己の殻を破るための挑戦でもあるのだ。
ネルは先ほどよりも力を込め、狙いを微調整して気合いの一射を放つのだった。




