第15話 『試しの一矢』
ナサニエルはネルに頼まれた弓弦用の麻糸を始めとして各種の物資を詰めた袋を手に、先ほどの作業小屋へと駆け戻ってきた。
「ネル。麻糸を持ってきたよ。あと食料と水も。葡萄酒もあるけれど……」
「酒は飲まねえんだ。食いもんと水だけでいい」
そう言うネルは作業小屋の椅子に腰をかけて、すでに鉄の弓から弦を外していた。
ナサニエルは彼女の慣れた手さばきを見つめ、ネルがいかに弓を愛し弓に触れてきたのかを知る。
(すごい……まだ若いのに職人みたいだ)
ナサニエルから受け取った麻糸をネルは慣れた手つきで鉄の弓に張っていく。
弓を固定して体重をかけてしならせながら、麻弦を張り終える。
それからじっと弓と弦の形を見ながら、指で弓弦の張り具合を確かめ微調整を行った。
「よし。こんなもんだろ。さて、どんな感じか試し撃ちするぞ」
「了解!」
そう言うとナサニエルは鉄の矢と縄と金輪が一体になった道具をありったけ胸に抱えて意気揚々と小屋の外に向かう。
その後に付いて外に出たネルは、崖際に立つ2本の杭の間に立った。
向こう岸までの距離はおよそ80メートル前後。
ネルはこれから向こう岸に向かって矢を放つことになる。
使うのは鉄の弓と鉄の矢だ。
鉄の矢はすべてレギンがあらかじめ作っておいたものだった。
そしてその矢には縄が結び付けられている。
解けないよう金具でしっかりと固定され、さらにその縄には金属の輪が同じように金具で固定されている。
これらの付属品のせいで鉄の矢はかなりの重量になっていた。
「矢に縄を結び付けて撃ったことは?」
「何度もあるぜ。ガキの頃は極貧生活だったからな。練習用の矢が無くならねえよう軽めの縄を結び付けて練習していたよ」
そう言うネルの足元には付属品と一組になった鉄の矢が何十本も置いてあった。
矢を放つ際、縄も一緒に飛んでいくわけだが、それに巻き込まれるとネルも一緒に引きずられて谷底へ転落してしまう恐れがある。
そのためネルの腰にはしっかりと命綱が巻かれ、万が一の転落に備えて杭に縛り付けてあった。
その命綱の締め具合を手で確かめるネルにナサニエルは尋ねる。
「ネル……今さらなんだけど、本当に鉄の弓矢を使っていいの?」
鉄の弓矢を使うと、ネル本来の木の弓矢を使う感覚に狂いが生じる。
そういう話だったが、それでもネルは試してみてくれると言ったのだ。
本当に感覚の狂いを嫌うのであれば、試すこと自体もしないだろう。
ナサニエルはネルが自分の依頼を引き受けてくれるかもしれないという期待感と同時に、彼女に迷惑をかけてしまうという危惧も覚えていた。
だがネルは平然とした顔で前方だけを見つめている。
「ナサ。少し黙って見てろ」
そう言うとネルは鉄の弓に鉄の矢を番え、狙いを定める。
彼女の集中力を削がぬようナサニエルは口を閉じ、物音を立てぬよう注意した。
固唾を飲んでナサニエルが見守る中、ネルは迷いなき動作で第一射目を放つのだった。
☆☆☆☆☆☆
レギンは細い地下道を通って地上へと向かっていた。
ここは小人族だけが通る専用の地下道だ。
天井は低く、道幅も狭い。
普通の背丈を持つ成人ならば中腰で進まなければならないこの道も、小人族ならば走って移動することが出来る。
彼らは主にこうして山の中に独自の穴を掘って縦横無尽に移動するのだ。
レギンはこれらを通って山の中腹に掘られた穴から顔を出すと、注意深く周囲を見回した。
この道を通って行けるのは、崖の中腹にある天然の足場など、人が徒歩で到達するのは困難な場所だった。
獣ならば踏み込めるそういう場所には、手付かずの自然が残っていることが多い。
そういう場所でレギンは自身の日々の糧としてほんのわずかな獣と木の実などを採っている。
鍛冶のために火を熾す必要があるので木材を得るために木の伐採をすることもあるが、決して切り過ぎないように気を付けていた。
山への敬意と感謝を忘れず、自然に与える影響を最小限に留めるためだ。
弟子のナサニエルには常々言っているが、自分たちの一族がその数を減らしていったのは鍛冶のために燃料となる木を切り過ぎたことが原因なのだ。
木々は減り、山は痩せ細り、資源不足に陥って小人族らは他の土地へと移って行かざるを得なくなったのだ。
かつて多くの木々を失った山は長い年月をかけて再び緑を生い茂らせてはいるが、同じ過ちを繰り返すくらいならば、小人族は自分を最後にこの山から姿を消すべきだとレギンは考えている。
「やれやれ。どちらにせよこんな老いぼれ1人しか残っていない集落はすぐに消えゆく運命じゃな」
そう言うとレギンは仕掛けておいた罠にかかったやや小ぶりの猪に槍で止め刺しの一撃を入れる。
首を刺されて血を噴き出し、苦しげに絶叫した猪は数分のうちに絶命した。
レギンは猪を手際よく縄で縛り上げると、太めの枝に縄を引っかけ、老人とは思えぬ力で猪を逆さ吊りにして血抜きを行った。
これを怠ると肉が生臭くなってしまうのだ。
そうして猪の血抜きを行っている間、レギンは木の実やキノコ、山菜などを採集すると、最後に弓弦の原料となる麻を刈り取って仕事を終えた。
そして猪を引きずりながら上機嫌で帰路に就く。
「客人が来るとどうも浮かれてしまうな。独居老人の悪い癖だ」
そう言うとレギンは思わず顔を綻ばせた。
ネルというダニアの娘。
ぶっきらぼうで口は悪いが、人間は悪くないようだ。
少なくとも嘘をついて人を騙すような輩ではない。
若い頃に見たことのあるダニアの女もそうだった。
「ここにいる間は楽しませてやらんとな」
そう言うとレギンはホクホク顔で穴に戻って行くのだった。
☆☆☆☆☆☆
ネルの指が弓弦を放すと同時に、矢は空気を切り裂いた。
鉄の弓から放たれた鉄の矢は、縄の尾を引きながら谷間を飛ぶ。
地下だというのに頭上から斑に降り注ぐ陽光が、鉄の矢を輝かせる中、それはまるで谷間を飛ぶ鳥のようにまっすぐ向こう岸へと向かっていく。
ナサニエルはその様子に目を奪われた。
だが……鉄の矢は向こう岸に届く十数メートル前で失速し、そのまま谷間へと落ちていった。
「あっ……」
ナサニエルは思わずそう声を漏らしたきり息を飲む。
失敗だった。
ネルの放った矢は向こう岸まで届かなかったのだ。
ナサニエルはどう声をかけていいのか分からず口ごもってしまう。
だがネルはサッと踵を返してナサニエルを振り返ると言った。
「決めたぜ。ナサ。おまえの仕事受けてやる」
思わずナサニエルは呆気に取られて間の抜けた表情で聞き返した。
「え? ネル……受けてくれるの?」
「ああ。やってやる。こいつを成し遂げたくなった。アタシの誇りにかけてな」
そういうとネルは決然たる表情で鉄の弓を強く握るのだった。




