第14話 『旅の理由』
ナサニエルの依頼を受けると決めたわけじゃない。
受けるかどうかを考えるために、一度やってみる。
そう言ったネルにナサニエルは抑え切れない喜色を懸命に堪えるような奇妙な顔で駆け出した。
ネルは自分自身に問いかけるように呟きを漏らす。
「……アタシはどうしたい?」
嬉しそうにレギンの工房に戻っていったナサニエルの後ろ姿を見送り、ネルは自分の心変わりを意外に思っていた。
別にあの貴族の青年を助けてやろうという気持ちは無い。
ただ、ここで200年も前に小人族の男が失敗した難業を、自分ならば出来るだろうかという好奇心がネルの胸に広がっていた。
自分を試したくなったのだ。
(以前のアタシなら試そうともしなかっただろう。こんなことを。アタシは……やっぱり変わったんだろうか)
ネルはあらためて自分が祖国を飛び出してきたその理由を考えた。
自由に生きてみたい。
湧き上がるその衝動が自分を突き動かしたのは何故なんだろうか。
はるか昔からここに立てられている吊り橋の支柱に手を触れながら、そんなことをネルは考え続けた。
都市国家ダニアの軍人だった彼女は軍上層部の命令で動く一兵卒だったが、元より組織への帰属意識が薄く、人間関係も上手く築けずに軍の中でも孤立していた。
もちろん本人はそれを気に病んだことなど無かったが、窮屈な思いをしていたことは間違いない。
そんな時、ダニアでは事件が起こった。
金の女王の娘と息子である姉弟が攫われて行方不明になったのだ。
紆余曲折を経て1人戻った女王の娘は、弟を助けるために単身で国を飛び出した。
そんな彼女を追ってネルを含めた数名の仲間たちは軍から脱走し、独断で姉弟を助けに向かったのだ。
その際の冒険がネルの心身に大いなる刺激を与えた。
軍の命令で動くのではなく、自分たちの意思で野山を駆けて敵国に乗り込み、結果として女王の娘と息子を取り戻したのだ。
その命がけの冒険の中で、ネルは女王の娘や他の仲間たちと図らずも親交を深めた。
それまで友人など1人としていなかったネルにとって初めての友だった。
特に女王の娘である金髪の少女のことは胸に強く残っている。
そうした冒険を経て、ネルはもう祖国に戻る気持ちは無くなっていた。
見知らぬ世界へ飛び出す喜びを知ってしまった彼女は、国を出て今の自由な旅をするようになったのだ。
どこに行って何をしてもいい。
急いでもいいし、ゆっくりでもいい。
同じ場所に留まってもいいし、絶えず移動し続けてもいい。
ネルはただ自分の心に従って生きればいいのだ。
もちろんそれに伴う危険や困難は全て自分の行動の結果であり、全責任は自分にある。
何が起きても誰かを恨むことはしない。
それがネルの手に入れた新たな人生なのだ。
誰も守ってくれない代わりに誰にも縛られない。
そんな自分がこの旅を始めた一番の理由は……ネル自身の好奇心だった。
まだ見ぬ何かを見てみたい。
知らない土地を歩いてみたい。
そうした自分の好奇心を満たすために……ネルは今こうして行動しているのだ。
そして今まさにネルの目の前に、未知の世界が広がっている。
向こう岸に渡れたら、そこで何を見ることが出来るのだろうか。
もちろんそのことに興味はある。
だがそうした興味よりも強いのは、目の前の困難に打ち勝ちたいというネルの冒険心だ。
苦しい坂道を登り切った先にしか見えない風景というものがある。
その風景を見ずに坂道の途中であきらめることはネルにとっては敗北なのだ。
その風景を見ることで新たな何かを手に入れられるなら、それを手に入れることこそが自分の生きる意味だと、己自身の問いへの答えをネルは得たのだった。
☆☆☆☆☆☆
この山に新たに作った仮のアジトである洞穴の中で、デクスターは部下をダニアの女に殺されて苛立った頭が徐々に冷静になっていくのを感じていた。
(どうにも妙だな。これだけ探しても姿も見かけもしねえ。赤毛の女なんて目立つはずだ。どこかの茂みや木の上に身を潜めているにしても、これから夜になって気温の下がる山の中じゃ、ずっとは隠れていられねえだろう。いるとしたらここのような洞穴か?)
麓の村に逃げ帰ったのならばデクスターの耳に入るはずだった。
村にはデクスターの子飼いの人間がいる。
デクスターは狡猾な男だった。
麓の村を襲うことはしない。
村の自警団はせいぜい20名程度であり、デクスターが部下を全員率いて襲えば全滅させることは難しくない。
だがそれほど豊かでない村から奪って得られるものなど、たかが知れている。
しかも村を襲ったとなれば、さすがにシスタリス軍が出てくるだろう。
そうなればデクスターらに勝ち目はない。
そんな危ない橋を渡るつもりはなかった。
村を襲うことなく存続させ、そこに潜ませた人間から細々とでも利益を吸い上げる方が長い目で見れば自分たちの利になる。
それゆえにデクスターは部下たちにもこちらから村の人間には手を出すなど厳命してある。
それでも荒くれ者の部下たちの中には言うことを聞かずに街に降りて若い娘を攫ってきた者がいた。
デクスターはそうした勝手を働いた部下を徹底的にぶちのめした挙句に、他の部下たちの前で強姦し、最後には殺したのだ。
見せしめだった。
それを見て麓の村にちょっかいを出す部下もいなくなった。
だが最近足を踏み入れたばかりとは言え、山中は自分たちの領域だという自負がある。
山の中に入り込んできた者は容赦なく襲っていいと部下たちに命じてある。
そうすることで部下たちの不満を抑えることも忘れない。
「何としても見つけ出さねえとなぁ。あの赤毛の女で野郎どももしばらくは楽しめるだろう。ダニアの女なら体力も十分だろうし、1日10人は相手に出来るな」
そう言って卑しく笑うデクスターの元に側近の男が寄ってきた。
「お頭。あまり時間はありません。3日後にはシスタリアから巡回兵団がやってきます。それまでに片付けて一旦ここから立ち去らなければ」
側近の言葉にデクスターはフンッと鼻を鳴らした。
この貧しい国は国土の隅々まで兵を常駐させる国力はない代わりに、国内を巡回する兵団が常に各地の治安に目を光らせている。
巡回兵団の規模は100名を軽く超え、その全員が厳しい訓練を受けた実力ある兵たちだ。
山賊団程度の規模の集団ではすぐに殲滅されるだろう。
「明後日までにケリをつけるぞ。山道の要所はそのまま固めて、山中の洞穴を中心には探せ。まだ遠くへは行ってねえはずだ。アドルフが戻ったら俺も捜索に出るぞ。黙って報告を待つのは性に合わねえ」
そう言うとデクスターは次の一手を打つべく思索を巡らせるのだった。




