第13話 『翻意』
「何だこりゃ?」
その鉄の弓に張られた弦は通常では考えられないほど弾力性が強いものだったのだ。
普通の弓弦ではなかった。
ネルはナサニエルに目を向ける。
「おいナサ。この弦は何だ?」
「それは弾力性の強い特殊な樹脂で作った物なんだけど……どうかな?」
恐る恐るそう尋ねるナサニエルに呆れて、ネルは無造作にその頭をかいた。
「どうもこうもこれじゃ弾力性が強すぎる。おまえこれを撃ってみたのか?」
「う、うん……かなり飛ぶけど制御が難しくて……」
「そりゃそうだ。これじゃ矢が暴れて安定しねえ。これを使って向こう岸の杭に金輪を通すなんて芸当はアタシでもお手上げだぞ。弓弦は弾力性が強ければいいってもんじゃねえんだ。ここにいた小人族はこんなもんを使ってたのか?」
ネルの言葉にナサニエルは悄然と項垂れた。
「やっぱりそうかぁ。またしても失敗だ。小人族は普通の麻の弓弦を張っていたらしいんだ。その弦は矢の飛距離を伸ばしたくて僕が改造したんだよ。僕の力じゃ弓弦の弾力性を増さないと向こう岸まで矢が届かないから。矢に縄と金輪を付けるから重量が増えてしまうでしょ。こうでもしないとと思ったんだけど……」
ネルはかつて吊り橋がかっていた谷の幅を頭の中で見積もる。
向こう岸までの距離は100メートルまではいかないだろうが、70〜80メートルはあるだろう。
弓兵として生きてきた性分が、自分ならばどうやってこの難業を果たすだろうかとネルに考えさせる。
単に100メートル先の的に当てるだけならば、ネルの腕をもってすれば決して無理難題ではない。
だが、矢に縄と金輪を取り付けて飛ばし、金輪を向こう岸の杭にかけるとなると話は変わってくる。
曲芸打ちのようなその行為の成功率は、ネルの腕でもどこまで上がるか分からない。
彼女の胸の内で好奇心がムクリと顔を出す。
「ナサ。今もこうして吊り橋がかかっていないってことは、その小人族の男は失敗したってことだな?」
「えっ?」
突然そんなことを言い出すネルにナサニエルは少々驚いた顔を見せるが、すぐに気を取り直して問いに答えた。
「うん。挑戦していたらしいけれど、結局うまくいかなかったらしい」
「そうか……」
確かにこれは難しい作業だ。
はるか昔に小人族の男が挫折するのも頷ける。
鉄の弓をじっと見つめるネルの口から自然と言葉が漏れ出た。
「ナサ。とりあえずこの弓は見ていて痛々しいから、弦を麻に替えとけ」
「え? ネル?」
ポカンとした顔でそう言うナサニエルに鉄の弓を押し付けると、ネルは小屋の外に出た。
そこからわずか10メートルほどしか離れていない2本の杭の間に立つと、ネルは矢筒から木の矢を取り出して自身の弓に番えた。
ネルに付いて小屋から出てきたナサニエルは、そんなネルの姿を見て息を飲む。
ネルは弓に矢を番えたまま目を閉じた。
谷底からは風が吹き上がってくる。
こういう場所では風の流れを読むことが大事だ。
1分、2分と経過する間に二度ほど風が止まる瞬間があった。
そして3分経って三度目の無風の瞬間に……ネルは矢を放った。
すると谷間を飛んだ矢は寸分違わず向こう岸の杭に当たったのだ。
「おおっ! すごい!」
ナサニエルは感嘆の声を上げる。
杭はかなり硬質な木で作られているようで、鏃はその表面に突き立つことなく木の矢はへし折れて谷底へと落ちていった。
ネルはそれからも風を読みながら3本ほど矢を放ったが、いずれも向こう岸の杭に命中させて見せた。
見惚れるようにその様子を見つめるナサニエルを振り返ると、彼女は言う。
「おいナサ。ボサッとしてねえですぐに麻の弦を用意しろ。ヘンテコなその弓弦を張り替えるんだ」
「え? じゃ……じゃあ……」
「早まるな。おまえの依頼を受けるとは言ってねえ。だが、受けるかどうかを決めるために試し撃ちをしてやる」
そう言うネルにナサニエルは狂喜乱舞したい気持ちを抑え、彼女の気が変わらないうちに急いで麻の弦を用意するために駆け出すのだった。
☆☆☆☆☆☆
「先生! 麻! 麻の弓弦を!」
息せき切って駆け込んできたナサニエルに、レギンは眉をひそめる。
「何じゃ。もう赤毛娘を送り届けたのか?」
「そ、それが彼女……僕の仕事を引き受けるかどうか検討してくれるみたいで。で、この弓の弦を麻の弦に張り替えろって……」
ナサニエルは鉄の弓を抱えながら思わず顔を上気させてそう言う。
レギンはそんな弟子の様子にやれやれと呟きながら立ち上がった。
そして工房の奥に残っている色々な資材の山の中から、数本の麻弦を引っ張り出した。
「正直、在庫はもうあまりないぞ。おまえの仕事を完遂するにはこれでは足りんだろう。山で麻を取って来るしかないな」
そう言うとレギンは麻弦を弟子に手渡した。
しっかりと若者を戒めることも忘れない。
「浮かれるのはいいが山賊どものことを忘れるなよ。赤毛娘は今のうちに逃げれば山賊どもに絡まれることなくここから去れたかもしれんのじゃからな」
師の言葉にナサニエルはハッとし、一転して神妙な面持ちで頷いた。
「3日後にシスタリアから巡回警備の兵団が到着する予定なので、その時期はデクスターたちもこの山から出て行くと思います。そこを見計らって彼女には仕事の成否に関わらず出発してもらうつもりです。もちろん僕が責任を持って安全な向こう岸まで送り届けます」
そう言う弟子に目を細めて頷きながら、レギンはニヤリと笑った。
「まあ、おまえが付いていくと逆に足手まといになるじゃろうからな」
「……そうかもしれませんけど」
ナサニエルは苦い笑みを浮かべると、麻糸の他にもいくつかの準備を済ませてネルの元へと引き返していくのだった。




