第12話 『落ちた吊り橋』
「こんな地下に……こいつは驚きだ」
ネルはさすがに驚いた表情で眼前の光景に目を凝らす。
地下世界を切り裂く渓谷は深く、光が届かないため底が見えない。
どの程度の深さなのかは皆目見当もつかなかった。
そして向こう岸に広がる広大な地下世界には、石造りの建物がひしめき合っている。
その奥行きは深く、手前に見える古い建物はところどころ崩れかけていたが、今も原形を留めている建物も少なくない。
ナサニエルはその様子を見つめて感慨深げに言った。
「こんな地下にあれほどの集落を形成して住んでいた人たちがいた。そして今はその人たちがことごとくいなくなり、先生1人だけになってしまった。昔は多くの人で賑わっていたはずなのに、人の営みの儚さを感じずにはいられないよ」
「まあ、永遠に栄える場所はないってことか」
2人はそんなことを言い合うと、しばらく無言で集落を見つめながら歩く。
そこからしばらく進むと崖際に何かの構造物が見えてきた。
ナサニエルが弾む声を上げる。
「あれあれ。ネルに見せたかったのはあれだよ」
そう言うナサニエルが指差す先には、1メートルくらいの間隔を空けて2本の太い杭が崖際の地面に打ち込まれている。
杭の高さは5メートルほどもあり、木の幹をそのまま利用しているようだ。
そしてそれぞれの杭には何かが巻き付いていた。
それは縄でありその先端は崖の下に垂れ下がっているようだ。
それを見たネルは崖の反対側に目を向ける。
すると思った通り、向こう側にはこちらと対になるように2本の杭が打ち込まれていた。
その構造物が何であるか、ネルはすぐに理解する。
「……吊り橋か」
ネルの言葉にナサニエルは頷いた。
それは吊り橋をかけるための支柱となる杭だった。
「200年ほど前まで橋が架けられて自由に行き来していたらしい。今はこうして崩れ落ちてしまっているけれど」
吊り橋は定期的な修繕などの保守管理が必要だ。
長年放置されていれば、いずれは縄が切れて崩れ落ちてしまう。
「ネル。こっちに来てくれる?」
そう言うナサニエルの指差す先、杭の後方十数メートルのところには一軒の小屋が残されている。
それは石造りの小さな平屋建てだが、扉は新しい物がしっかりと取り付けられ、現在も使われている小屋だと分かる。
ナサニエルは扉を開けて中に入った。
彼に続いて中に入ったネルは思わず目を見開く。
そこには部屋の広さの半分近くを占める大きな机が置かれ、その上に何種類かの道具が几帳面に並べられていた。
そのうち最もネルの目を引いたのは矢だ。
鉄の矢が数多く用意されている。
その矢の隣に太くて長い縄。
そしていくつかの金具と金属製の輪が置かれている。
さながら何かの作業場のような様相だ。
「何だ? ここは」
そう尋ねるネルにナサニエルは意を決して言った。
「僕は今、この谷に吊り橋を架けたいと思っているんだ。ここにあるのはそのための道具だよ」
そう言うとナサニエルは小屋の壁際に置かれた小さな机の上にある物を手にした。
それは矢と縄と金輪が、金具によって一つに結びつけられ、一体となった道具だ。
それを見てネルはピンとくる。
「なるほどな。向こう岸の杭に向けてその矢を放ち、金輪を向こうの杭に引っ掛けるわけか。んで矢に結び付いた縄でこっちの杭と結び付ける。その矢をアタシに打ってもらいたいってわけだな」
「うん……でもさっきの君の話を聞いて思ったよ。僕は考え無しだったね。弓兵の感覚がそんなに繊細なものだとは知りもしなかったんだ。申し訳ない」
ネルの射撃の感覚は木の弓と木の矢によって練り上げられたものであり、鉄の矢など重さや硬さの違う物を使ってしまうとその感覚は微妙に狂ってしまう。
そして鉄の矢を撃ち続けると木の弓も負担が大きく傷んでしまう恐れがあるのだ。
それを嫌ってネルはレギンの鉄の矢を受け取らなかった。
ナサニエルは吹っ切れたような笑みを浮かべる。
「君がこれを引き受ける義理なんてないし、忘れて」
そう言うナサニエルにネルはふと口を閉じる。
そして小屋の中に置かれた各種の道具を見つめながらそれほど広くない室内を歩く。
小屋の奥にはもう一間だけ小部屋があり、そこはベッドと簡易的な机が置かれて居住スペースのようになっていた。
後ろから照れくさそうに話すナサニエルの声が聞こえる。
「作業に夢中になって、たまにここで寝泊まりすることがあるから……」
ネルはふと足元を見た。
するとベッドの脇に何かが立てかけられている。
それは弓だった。
鉄製の弓で、表面に塗装が施されているようで銀色に輝いている。
「おいナサ。こいつは?」
そう尋ねるネルの脇からナサニエルも小部屋に入ってきた。
部屋の隅の机の上には古びた書物が数冊、積まれている。
ナサニエルはその中から一つの書物を手に取った。
「その弓は元々この建物の住人だった小人族の男が残した物だったんだ。僕がここでそれを発見したのは3年ほど前だったけれど、その時は錆びた鉄くずみたいだった。それを先生に相談して錆びを落として修復し、塗装し直してもらったんだ」
そう言ってナサニエルは書物をネルに差し出した。
ネルはそれを受け取るが、書かれている文字はネルには読めない言葉だった。
「小人族の言葉か。おまえは読めるのか?」
「うん。先生に教えてもらってね。それはここの住人の日記さ。記されたのは200年も前のことだよ」
「200年? じゃあこいつは200年前の弓ってことか?」
ネルはさすがに驚いて、それをしげしげと見つめる。
修復されて弦なども新しくなっており、とても200年前の物とは思えない。
「それで、ここにいた小人族はこの弓で何をしていたんだ?」
「日記によれば彼がここにいた頃にはもうすでに吊り橋は崩壊していて、僕が今用意している方法で何とか向こう側に橋を渡そうとしていたみたいなんだ」
「ってことは今おまえが用意している道具は……」
「彼がこの日記に記していた方法だよ。それを僕は真似しているだけなんだ。ただし……当時は無かった金属材料を使って改良はしているけれどね」
「なるほどな」
そう言うとネルはその弓を持ち上げる。
鉄拵えなだけあってズッシリと重い。
この弓なら鉄の矢を放つのにも耐え得るだろう。
だが鉄の矢とこの弓を持って旅をするのは現実的ではない。
ネルは身軽さを重視しているからだ。
そしてその弓の弦に指を触れてみて思わずネルは声を上げた。
「何だこりゃ?」
その鉄の弓に張られた弦は通常では考えられないほど弾力性が強いものだったのだ。
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次回、第13話『翻意』は
6月11日(木)21時10分に掲載予定です。
次回もよろしくお願いいたします。




