第89話 草むらを駆ける小さな影
夕暮れの草原。
風に揺れる草の向こうで、白い影がぴょこりと動いた。
「あっ、いた!」
白雪は目を輝かせると、迷わずそちらへ走り出した。
サラサラと草をかき分け、影が消えた場所へ向かう。
けれど、そこには何もいない。
「あれ?」
首を傾げて周囲を見回す。
右にも左にも、動くものは見当たらない。
「こっちかな?」
少し先の草が揺れた。
白雪はそちらへ向かって走る。
今度は草の根元に、小さな白いものが見えた。
「いた!」
近づこうとした瞬間。
ぴょんっ。
白い影が跳ねた。
「わっ、速い!」
影は草の上を飛び越えるように移動し、少し離れた場所へ着地する。
白雪も負けじと追いかけた。
ぴょん、ぴょん。
影は草の間を縫うように進んでいく。
白雪はその動きを追いながら、地面の小さな凹凸を避け、草の根を飛び越えた。
「待って待ってー!」
もちろん、相手が待ってくれるはずもない。
それでも白雪は楽しそうだった。
やがて白い影は、少し盛り上がった地面の向こうへ飛び込んだ。
白雪もその後を追って、勢いよく斜面を駆け上がる。
そして――。
「わぁ……!」
目の前に、小さな窪地が広がっていた。
周囲を背の高い草に囲まれ、中央だけが丸く開けている。
そこには、白い綿毛のようなものがいくつも浮かんでいた。
夕暮れの光を受けて、淡く金色に輝いている。
「ふわふわだ!」
白雪が一歩踏み出す。
すると、地面の草が一斉に揺れた。
ぽふっ。
足元から、白い綿毛が舞い上がる。
「わっ!」
思わず両手を広げる。
綿毛は風に乗って、白雪の周囲をくるくると回り始めた。
「なにこれ、面白い!」
手を伸ばして一つ捕まえようとする。
けれど、指先が触れる直前にふわりと逃げられてしまった。
「むむ……」
今度は両手で囲うようにして捕まえようとする。
ふわっ。
また逃げられた。
「うーん、難しい!」
そのとき、窪地の端にある草むらが大きく揺れた。
白雪がそちらを向く。
「……あ!」
草の間から、小さな動物が顔を出した。
白い毛並み。丸い耳。背中には、綿毛のようなふわふわした毛が広がっている。
小さな前足で草をつかみ、こちらをじっと見つめていた。
「かわいい!」
白雪が近づこうとすると、その動物はすぐに草むらへ隠れてしまった。
「あっ、逃げちゃった」
残念そうにしゃがみ込む。
しかし、すぐに別の場所からひょこりと顔が出た。
「いた!」
今度は反対側。
白雪がそちらを見ると、また別の草むらから顔を出す。
「……もしかして、いっぱい居る?」
白雪は窪地を見回した。
草の根元に、小さな白い影がいくつも動いている。
どうやら一匹ではないらしい。
そのうちの一匹が、窪地の中央へ出てきた。
白雪はしゃがんだまま、そっと手を差し出す。
「こんにちはー」
小さな動物は鼻をひくひく動かした。
そして、白雪の手の近くまで歩いてくる。
「おお……!」
触ってもいいのだろうか。
白雪が指先を近づけると、その動物は少しだけ後ろへ下がった。
無理に触ろうとはせず、白雪は手を地面に置いたまま待つ。
しばらくすると、小さな動物は白雪の手の甲に前足を乗せた。
「わっ、乗った!」
ふわふわの毛が指先に触れる。
思っていた以上に柔らかい。
白雪は嬉しそうに頬を緩めた。
その動物は、白雪の手の上を少し歩くと、ぽんっと地面へ戻った。
そして、窪地の中央にある白い草の塊へ向かっていく。
「あれ?」
白雪も後を追った。
草の塊の周囲には、小さな穴がいくつも開いている。
どうやら巣のようなものらしい。
動物たちは穴の周囲を行き来し、時折、背中の綿毛を震わせていた。
そのたびに、窪地の綿毛がふわりと浮かび上がる。
「そっか! みんなで綿毛を飛ばしてるんだ!」
白雪が手を叩く。
その声に驚いた一匹が、ぴょんっと跳ねて巣穴へ逃げ込んだ。
「あ、ごめんね」
白雪は声を小さくした。
周囲を観察していると、巣穴の近くに落ちているものが目に入った。
白い小さな毛玉のようなものだ。
「これ、落とし物かな?」
拾い上げてみる。
<システムメッセージ>
《風綿の毛玉》を入手しました。
「毛玉だ!」
白雪は指先でころころと転がした。
ふわふわしていて、軽い。
風が吹くと、手の上から飛んでいきそうになる。
「おおっ、飛んじゃう!」
慌てて両手で包み込む。
その様子を見ていた小さな動物が、白雪の足元へ近づいてきた。
そして、白雪の靴に鼻先を押しつける。
「ん?」
動物はそのまま、窪地の奥へ向かって歩き始めた。
少し進んでは振り返り、白雪がついてきているか確かめている。
「ついてきてってこと?」
白雪は立ち上がった。
「行ってみよう!」
案内されるまま、窪地の奥へ進む。
そこには、周囲の草よりも背の高い白い植物が生えていた。
細長い茎の先に、綿毛のような房がついている。
風が吹くたびに房が揺れ、周囲へ小さな綿毛を飛ばしていた。
「これが綿毛の元なのかな?」
白雪が近づくと、植物の根元に小さな実が落ちているのを見つけた。
白い殻に包まれた、丸い実だ。
「……食べられるかな?」
白雪は実を拾い上げた。
一度、指で軽く押してみる。
少し柔らかい。
匂いを嗅ぐと、ほんのり甘い香りがした。
「甘い匂い!」
白雪は迷った末に、ほんの少しだけ口に入れてみた。
ぱくっ。
「ん……?」
最初はほとんど味がしない。
けれど、噛んでいるうちに、ふわりと甘さが広がった。
「おいしい!」
その瞬間、視界の端に通知が表示された。
<システムメッセージ>
《風綿の実》を入手しました。
《味覚》の熟練度が上昇しました。
「やった!」
白雪は残りの実をアイテム欄へしまった。
そのとき、足元の小さな動物が白い植物の根元を掘り始めた。
前足で土をかき分け、何かを取り出そうとしている。
「何してるの?」
白雪もしゃがみ込む。
動物が掘り出したのは、小さな青白い石だった。
表面には細かな模様が浮かんでいる。
白雪が手を伸ばすと、動物は石をくわえて、彼女の前に置いた。
「くれるの?」
小さな動物は、ぴょんっと跳ねた。
<システムメッセージ>
《風綿石》を入手しました。
「ありがとう!」
白雪が笑顔でお礼を言うと、動物は満足したように巣穴の方へ戻っていった。
白雪はその後ろ姿を見送る。
「またねー!」
窪地の綿毛が、夕暮れの風に乗ってゆっくりと舞い上がった。
その光景を見ていた白雪の視界に、新しい通知が表示される。
<システムメッセージ>
未発見の生息地を発見しました。
《風綿の窪地》の発見ポイントを獲得しました。
未発見の生物を発見しました。
《風綿モモン》の発見ポイントを獲得しました。
「えっ、ポイント?」
白雪は通知を読み返した。
「ここもまだ見つかってなかったんだ!」
どうやら、また新しい場所を見つけてしまったらしい。
けれど、白雪はすぐに別のことへ興味を移していた。
窪地の上空を、綿毛が一つ飛んでいく。
「あっ、あれどこまで飛ぶんだろう?」
白雪はその綿毛を目で追った。
窪地の外へ。
草原の向こうへ。
夕暮れの空へ。
「……行ってみようかな」
イベントポイントのことは、もう頭から抜けていた。
白雪は窪地を出ると、綿毛が流れていった方向へ歩き始めた。
一方、北の森林。
黒羽は、根に覆われた通路の奥で足を止めていた。
壁の一部に、細かな模様が刻まれている。
先ほど手に入れた《根紋石片》と似た模様だった。
「……これ、関係があるのかな」
黒羽は石片を取り出し、壁の模様と見比べる。
形は完全には一致しない。
しかし、模様の一部はよく似ていた。
石片を壁へ近づけてみる。
何も起こらない。
次に、壁の中央にある小さなくぼみへ石片を当ててみた。
カチッ。
小さな音が響く。
「やっぱり」
壁の根が、ゆっくりと動き始めた。
黒羽はすぐに一歩下がり、周囲を警戒する。
根が左右へ開くと、その奥に細い通路が現れた。
通路の先は暗く、奥の様子は見えない。
「……まだ続きがあるんだ」
黒羽は短剣を構えた。
一歩ずつ、慎重に進んでいく。
山岳地帯。
ユウマは岩場の上で、少しだけ息を吐いた。
《岩巨兵》を倒したあとも探索を続けていたが、夕暮れが近づいている。
「そろそろ戻るか……」
そう呟きながら、現在のランキングを確認する。
上位を維持している。
だが、順位はまだ確定していない。
「まあ、最後までやるだけだな」
ユウマは表示を閉じ、山道を下り始めた。
そのとき、少し離れた岩の隙間から、低い音が聞こえた。
ゴゴゴ……。
ユウマは足を止める。
「……今の音は?」
岩の隙間から、砂がぱらぱらと落ちている。
何かが動いているようだった。
ユウマは剣を握り直し、慎重に近づいていく。
イベント初日の夕暮れ。
三人はそれぞれ、まだ知らない場所へと足を進めていた。




