第32話 ふわふわ泡と森の小さな空中散歩
森の中に、朝の光が差し込んでいた。
「んーっ! 今日もいい天気!」
白雪は両手を上げて、ぐっと背伸びをした。
昨日は温泉に入って、泡を吹く不思議な生き物と遊んだ。そのあと、岩の隙間にあった小さな空洞で、泡を動かすスキルまで覚えてしまった。
新しく覚えたスキルの名前は《泡操作》。
「今日はこれを使って遊ぼう!」
白雪はさっそく、近くに泡がないか探してみる。
しかし、温泉から離れた森の中には、当然ながら泡は浮かんでいない。
「あれ? 泡がない……」
少し考える。
それから、白雪はアイテム欄を開いた。
昨日拾った《泡葉》を取り出してみる。
丸い葉っぱの表面には、小さな水滴が残っていた。
「これ、泡みたいなの出ないかな?」
葉っぱを指でつついてみる。
ぷるん。
水滴が揺れた。
「おおっ!」
白雪は目を輝かせる。
もう一度つついてみる。
ぷるん、ぷるん。
けれど、泡が出てくる様子はない。
「うーん。出ないかぁ」
白雪は葉っぱをしまった。
そして、近くにあった小さな水たまりを見つける。
「水ならある!」
白雪は水たまりのそばにしゃがみ込んだ。
指先で水面をつつく。
ぽちゃん。
小さな波紋が広がる。
「泡、出ないかなぁ」
しばらく水面を眺めていたが、何も起こらなかった。
「まあ、いっか!」
あっさりと諦めると、白雪は立ち上がった。
その視線の先に、白いものがふわりと動いた。
「あっ!」
白雪はすぐにそちらへ駆け出した。
◇
白いものの正体は、小さな綿毛だった。
風に乗って、ふわふわと森の奥へ飛んでいく。
「待ってー!」
白雪は走って追いかける。
綿毛は木の枝にぶつかりそうになると、ひらりと向きを変えた。
白雪も枝を避けながら追いかける。
しかし、綿毛は思ったよりも速い。
「速いよー!」
白雪は地面を蹴った。
《白蒼の疾風》の脚部装備が軽やかな動きを助ける。木の根を飛び越え、低い枝をくぐり抜ける。
やがて綿毛は、少し開けた場所へと流れていった。
そこには、白い綿毛をつけた植物が群生していた。
「わあ! いっぱい!」
白雪は近づいて、植物を観察する。
細長い茎の先に、ふわふわとした白い綿毛がついている。風が吹くたびに、いくつかの綿毛が飛び立っていた。
表示された名前は《風綿草》。
「風で飛んでいくんだね!」
白雪はひとつだけ採取する。
《風綿草》を入手しました。
そのとき、近くの草むらが揺れた。
がさがさっ。
「ん?」
白雪が顔を向けると、小さな動物が顔を出した。
丸い身体に、長い耳。白い毛並みの背中には、綿毛がいくつもくっついている。
「かわいい!」
動物は白雪を見ると、ぴょんっと跳ねた。
「あっ、待って!」
逃げる動物を追いかけようとした白雪だったが、ふと足元に落ちているものに気づいた。
小さな白い種だ。
《風綿草の種》
「種もあるんだ!」
白雪はそれを拾い、アイテム欄にしまった。
顔を上げたときには、白い動物の姿はもうなかった。
「あれぇ……」
少し残念そうに周囲を見回す。
すると、木の根元に小さな穴があるのを見つけた。
「ここに入ったのかな?」
穴を覗いてみる。
暗くて奥までは見えない。
白雪は少しだけ待ってみたが、動物が出てくる気配はなかった。
「また会えるかな?」
そう呟くと、白雪はその場を離れた。
◇
しばらく歩いていると、木々の間に大きな岩が見えてきた。
岩の表面には、細い溝がいくつも走っている。
その溝の中を、風が通り抜けているようだった。
ひゅうう……。
不思議な音が鳴る。
「おっ、音がする!」
白雪は岩に近づいた。
指先で溝をなぞってみる。
ひんやりとしている。
今度は少し離れて、岩の周りを歩いてみた。
場所によって音が変わる。
高い音が鳴るところもあれば、低い音が響くところもある。
「こっちはどんな音かな?」
白雪は岩の上に登ってみた。
すると、足元から風が吹き上がってきた。
「わっ!」
身体が少し浮く。
白雪は慌てて岩の出っ張りを掴んだ。
「びっくりしたぁ……」
どうやら岩の隙間から、強い風が吹き出しているらしい。
その風は、岩の上にある小さな穴を通り抜け、笛のような音を鳴らしていた。
白雪はしばらく音を聞いていた。
すると、近くの枝に小さな鳥が止まった。
灰色の身体に、淡い青色の羽根。
「あっ、音羽鳥!」
以前見かけた鳥だった。
音羽鳥は岩の上を見て、短く鳴く。
ぴぃ。
それから、風の吹き出す場所へ飛び移った。
「そこに行くの?」
白雪も近づいてみる。
音羽鳥は風の流れに乗るように、ふわりと身体を浮かせた。
羽ばたきはほとんどしていない。
「すごい……!」
白雪は真似をするように、岩の上で軽く跳んでみた。
風が身体を押し上げる。
しかし、鳥のように浮かぶことはできず、すぐに着地してしまった。
「うーん。難しいなぁ」
そのとき、音羽鳥が一度だけ大きく羽ばたいた。
岩の上を旋回し、白雪の頭上を通り過ぎていく。
そして、そのまま森の奥へ飛び去ってしまった。
「あっ、行っちゃった」
白雪は少しだけ鳥の姿を見送った。
そのあと、岩の周囲を調べてみる。
風が強く吹き出す穴の近くには、青白い小さな石がいくつか落ちていた。
《風鳴石》
「風の音がする石かな?」
白雪は石を耳に近づけてみた。
かすかに、ひゅう……という音が聞こえた気がする。
「面白い!」
白雪は二つほど拾って、アイテム欄にしまった。
◇
その後も白雪は、岩の周りをうろうろしていた。
風の吹き出す場所を見つけるたびに、少しだけ跳んでみる。
すると、岩の上に小さな窪みがあることに気づいた。
そこには、透明な水滴がいくつも集まっている。
「水だ!」
白雪は指先で水滴をすくった。
冷たくて、少しだけ甘い香りがする。
試しに舐めてみる。
「んっ。甘い!」
水滴はすぐに消えてしまったが、口の中にほんのりとした甘さが残った。
アイテム名が表示される。
《風露の雫》
「風のところにある水だから、風露なのかな?」
白雪は残っていた水滴を採取した。
そのとき、岩の下から小さな音が聞こえた。
ころん。
「ん?」
足元を見ると、小さな石が転がっている。
どうやら、風の吹き出す穴から飛び出してきたらしい。
白雪は石を拾い上げた。
《風穴石》
「おっ、前にも似た名前の石を拾った気がする!」
以前集めた《風穴石》と同じものらしい。
白雪はそれをしまい、岩の上から降りようとした。
その瞬間――。
ひゅうううっ!
強い風が吹き上がった。
「わわっ!」
白雪の身体がふわりと浮く。
足が岩から離れた。
しかし、落ちると思った身体は、風に押されて少しだけ横へ流れた。
白雪は慌てて姿勢を整える。
《白蒼の疾風》の装備が、身体の動きを助けてくれる。
そのまま近くの岩場へ着地した。
「ふぅ……危なかった!」
白雪は胸を撫で下ろした。
それから、少しだけ考える。
「今の、面白かったかも」
もう一度風の吹き出す場所を見た。
でも、今度はさっきより少し離れた場所から跳んでみる。
風が身体を押し上げる。
白雪は空中で足を動かし、風に流される方向へ身体を傾けた。
ふわり。
ほんの少しだけ、空中で進む方向を変えられた。
「おおっ!」
白雪は目を輝かせた。
何度か試していると、システムメッセージが表示される。
《スキル《風向感知》を習得しました》
「えっ、またスキル!」
白雪は嬉しそうに笑った。
「風がどっちから来るか分かるのかな?」
試しに目を閉じてみる。
頬に当たる風。
髪を揺らす風。
足元から吹き上がる風。
それぞれの流れが、少しだけ分かる気がした。
「なるほどー!」
白雪は何度も頷いた。
そのあとも、風の吹き出す場所を探して遊んだ。
大きく跳んでみたり、横に身体を傾けてみたり。
もちろん、何度か失敗して岩に手をついた。
それでも、白雪は楽しそうだった。
◇
気がつけば、空が少し赤くなっていた。
「もうこんな時間!」
白雪は周囲を見回す。
今日もたくさん歩いた。
風綿草を見つけて、白い動物を見かけて、不思議な音のする岩を見つけた。
それに、新しいスキルも覚えた。
「今日も楽しかった!」
白雪は満足そうに頷いた。
帰り道を探して歩き始めると、遠くの木の枝に白い綿毛がひとつ引っかかっているのが見えた。
「あっ、さっきの!」
白雪は近づいて、綿毛をそっと手に取った。
風が吹く。
綿毛は白雪の手から離れ、空へと舞い上がった。
「ばいばーい!」
白雪は手を振った。
綿毛は夕日の中をふわふわと飛んでいく。
その先には、まだ歩いたことのない森の道が続いていた。
「……あっちも気になるなぁ」
白雪は少しだけ道の先を眺める。
今日はもう帰るつもりだった。
でも、あの道の先には何があるのだろう。
少しだけ。
本当に少しだけなら。
「ちょっとだけ見てみよう!」
白雪はくるりと向きを変え、知らない道へと歩き出した。
今日もまた、帰る時間が少しだけ遅くなりそうだった。




