第115話 夕暮れの帰り道
夕焼け色に染まった草原を、白い影が駆けていた。
「んーっ! 今日はいっぱい歩いたね!」
白雪は両腕を大きく伸ばしながら、草原の道を進んでいた。
イベント二日目も、そろそろ終わりが近い。
空は昼間の青さを失い、地平線の向こうから橙色の光が広がっている。遠くの丘や岩場も、夕日に照らされて長い影を落としていた。
白雪は、休憩所へ向かって帰っている途中だった。
「今日は何を見つけたっけ……?」
歩きながら、今日の出来事を思い返す。
水の中を歩いたり、鈴みたいな音が鳴る場所を見つけたり、水泡クラゲと遊んだり。最後には夕鈴リスに木の実を分けて、夕風チドリの羽根まで拾った。
「うん! いっぱい遊んだ!」
イベントポイントのことは、ほとんど頭にない。
白雪にとっては、今日も楽しい冒険だった。
ふと、道の脇にある草むらが揺れた。
「ん?」
ぴょこん。
小さな茶色い生き物が顔を出す。
「お?」
白雪が足を止めると、その生き物も動きを止めた。
丸い耳に、小さな前足。どうやら小動物のようだ。
「こんにちはー」
しゃがんで声をかけてみる。
当然、返事はない。
小動物は白雪をじっと見つめたあと、草むらから出てきた。口には細長い草をくわえている。
「それ、おいしいの?」
白雪が尋ねると、小動物は草をくわえたまま首を傾けた。
「そっか。おいしいんだね!」
何がそっかなのかは分からない。
白雪は小動物の様子をしばらく眺めていたが、やがて小動物は草をくわえ直し、反対側の草むらへ走っていった。
「あっ、行っちゃった」
追いかけようかと一瞬考えたものの、白雪は休憩所へ向かう途中だったことを思い出した。
「またねー!」
手を振って見送る。
そのまま歩き始めると、少し先に別のプレイヤーたちが見えた。
二人組のプレイヤーが、地面に座り込んで何かを確認している。
「あれ、何してるんだろ?」
白雪が近づくと、片方のプレイヤーが顔を上げた。
「ん? ああ、イベントの帰りか?」
「うん!」
「そっか。俺たちは採取した素材の整理をしてるところだよ」
「いっぱい採れた?」
「まあまあかな。そっちは?」
「いっぱい!」
白雪は元気よく答えた。
「何が採れたんだ?」
「えっとねー……」
白雪はインベントリを開き、今日拾った素材を確認し始めた。
風の素材、水の素材、音に関係する石や草。それから、名前を見てもどこで拾ったのかすぐには思い出せないものまである。
「……いっぱいあるね」
「お、おう。かなり集めたんだな」
「うん! でも、何に使うのか分からないのもあるよ!」
「使い道が分からない素材も拾ったのか?」
「気になったから!」
「なるほど……?」
プレイヤーの一人は、白雪のインベントリに並ぶ素材名を眺めていた。
採取を目的に動いていたわけではないらしい。それなのに、種類も数もなかなかのものだ。
「それじゃ、またね!」
白雪は軽く手を振って、二人と別れた。
「自由だな、あの子……」
背後からそんな声が聞こえた気がしたが、白雪は気にせず歩き続けた。
一方、その頃。
森の中を、一人の少女が歩いていた。
黒崎舞――ゲーム内の名前は黒羽。
彼女もまた、探索を切り上げて休憩所へ戻っているところだった。
「……思ったより時間を使ったわね」
黒羽はインベントリを確認する。
今日の探索で手に入れた素材は、どれも興味深いものばかりだった。特に、地下の仕掛けを解くために使った《根脈の結晶》や、根晶の守り手を倒したことで手に入れた素材は、後で詳しく調べる価値がありそうだ。
ただ、今はそれよりも帰還を優先する。
イベント二日目も終盤だ。
森の中は夕暮れの影が濃くなり、木々の間を吹き抜ける風も少し冷たく感じられる。
「……あれ?」
黒羽は足を止めた。
道の脇に、折れた枝が落ちている。
その枝の先には、何かに引っかけられたような布の切れ端があった。
黒羽はしゃがみ込み、布を確認する。
「プレイヤーの装備……?」
布の端には、かすかに土が付着している。
周囲を見回すが、近くに人影はない。
少し前に誰かが通ったのかもしれない。
「イベント中だし、無理をしている人もいるのかしら」
そう呟き、布から手を離した。
追跡するほどの理由はない。
黒羽は立ち上がり、帰り道を進んでいった。
そして、ユウマ。
彼はまだ、岩場の奥にいた。
目の前には《白晶の岩蜥蜴》。
その背中に並んでいた水晶は、残り一つ。
「……あと一つか」
ユウマは剣を構え直した。
ここまでの戦闘で、周囲の柱は何本も崩れている。足元には砕けた岩の破片が散らばり、岩蜥蜴が動くたびに小さな石が跳ねた。
岩蜥蜴は大きく口を開く。
「来るか!」
ユウマは横へ跳んだ。
直後、岩蜥蜴の口から水の塊が吐き出される。
水塊は地面に激突し、岩を砕きながら広がった。
「くっ……!」
飛び散った水を避けきれず、ユウマの腕に当たる。
衝撃で体勢が崩れたが、何とか足を踏みとどめた。
岩蜥蜴はその隙を逃さず、巨体を揺らして突進してくる。
「正面から受けるわけにはいかない!」
ユウマは崩れかけた柱の陰へ滑り込んだ。
岩蜥蜴の巨体が柱にぶつかる。
ゴゴンッ!
鈍い音が響き、柱の上部が崩れ落ちた。
岩蜥蜴は一瞬だけ動きを止める。
その背中にある最後の水晶が、柱の破片に押されるように大きく揺れた。
「そこだ!」
ユウマは地面を蹴った。
崩れた柱の破片を足場にして跳び上がり、岩蜥蜴の背中へ剣を振り下ろす。
ガキィン!
剣が水晶に当たる。
しかし、まだ砕けない。
「硬いな……!」
岩蜥蜴が大きく身をよじった。
ユウマは振り落とされる前に飛び退き、地面へ着地する。
岩蜥蜴は怒ったように尾を振り回した。
「っ!」
ユウマは身を低くして尾を避ける。
尾が岩壁に叩きつけられ、壁の一部が崩れた。
その瞬間、岩蜥蜴の背中がわずかに傾く。
最後の水晶が、先ほどよりも大きく露出していた。
「今度こそ……!」
ユウマは岩蜥蜴の突進を誘うように、正面へ踏み出した。
岩蜥蜴が低く唸る。
そして、地面を蹴った。
「こっちだ!」
ユウマは直前で横へ跳ぶ。
岩蜥蜴は勢いを止められず、岩壁へ突っ込んだ。
ドォンッ!!
大きな音とともに、背中の水晶が岩壁へ強く打ちつけられる。
ピシッ。
小さな亀裂が走った。
「入った!」
ユウマはすぐさま駆け出す。
岩蜥蜴が体勢を立て直す前に、剣を両手で握り直した。
「これで終わりだ!」
最後の水晶へ、渾身の一撃を叩き込む。
パキィンッ!
水晶が砕け散った。
岩蜥蜴の巨体が大きく揺れ、やがてその場に崩れ落ちる。
ズゥン……。
しばらくして、光の粒が岩蜥蜴の身体を包み込んだ。
《白晶の岩蜥蜴を討伐しました》
「……終わったか」
ユウマは剣を下ろし、大きく息を吐いた。
さすがに疲れた。
長時間の戦闘で、回復薬もいくつか消費している。
それでも、最後まで倒し切ることができた。
足元には討伐報酬が残されていた。
《白晶の甲片》
《岩蜥蜴の鱗》
《白晶の小粒》
ユウマは報酬を回収し、周囲を見回した。
岩蜥蜴が倒れた場所の奥には、崩れた岩の隙間がある。
「……まだ続きがあるのか?」
少し気になったが、空はもう夕暮れだ。
「今日はここまでだな」
無理に先へ進む必要はない。
ユウマは帰還することにした。
休憩所。
白雪が到着したのは、空がすっかり夕焼け色に染まった頃だった。
「ただいまー!」
休憩所の入口をくぐると、すでに戻ってきているプレイヤーたちの姿が見えた。
白雪は周囲を見回す。
「黒羽ちゃんは……まだかな?」
そう呟いた直後、入口の方から黒羽が姿を現した。
「あ、黒羽ちゃん!」
「白雪。戻っていたのね」
「うん! おかえり!」
「ただいま。白雪もお疲れさま」
二人は休憩所の端にある椅子へ向かった。
「ユウマは?」
「まだ見てないよ」
「そう。あの人、まだ探索しているのかしら」
黒羽は少し心配そうに入口を見た。
ユウマは最後に大きな魔物と戦っていたはずだ。
簡単に終わる相手ではなかっただろう。
「大丈夫かな?」
「ユウマなら、無理をしすぎないと思うけど……」
そのとき、入口から見覚えのある姿が現れた。
「お、二人とも戻ってたか」
「ユウマ!」
白雪が立ち上がる。
ユウマは少し疲れた様子だったが、怪我をしているわけではなさそうだ。
「お疲れさま。遅かったわね」
「ちょっとな。最後の魔物が思ったより手強かった」
「倒せた?」
「ああ。最後の水晶を壊して、何とか倒したよ」
「おおー!」
白雪が拍手する。
「おめでとう!」
「ありがとう。そっちはどうだった?」
「いっぱい遊んだ!」
「……遊んだ?」
「うん!」
ユウマは黒羽に視線を向けた。
黒羽は小さく息を吐く。
「いつも通りよ。探索して、採取して、気になるものを追いかけていたみたい」
「そっか。白雪らしいな」
三人は椅子に腰掛けた。
しばらくすると、休憩所の中央にイベントの案内表示が現れた。
《イベント二日目終了まで、残りわずかです》
白雪は表示を見上げる。
「もう終わりなんだね」
「そうだな。今日はかなり動いたし、ちょうどいい」
ユウマが頷いた。
やがて、イベント二日目の終了を告げるアナウンスが休憩所に響いた。
《イベント二日目が終了しました》
《現在のランキングを発表します》
三人の目の前に、ランキングが表示される。
イベント二日目終了ランキング
1位 白雪
2位 黒羽
3位 レイ
4位 ユウマ
5位 セツナ
「……白雪、また一位か」
ユウマが表示を見て呟く。
「黒羽ちゃんも二位だ!」
白雪は嬉しそうに黒羽を見る。
「そうね。順位は上がったみたい」
黒羽は冷静に表示を確認していた。
「ユウマは四位か」
「まあ、こんなものだろ。明日もあるしな」
「明日もいっぱい遊べるね!」
白雪はランキングよりも、明日も探索できることの方が嬉しそうだった。
「白雪は本当に順位に興味がないな」
「え? だって、明日も遊べるよ?」
「そうだな……」
ユウマは苦笑した。
イベントは残すところ、あと一日。
まだ見つけていない場所も、出会っていない生き物もあるだろう。
白雪はそんなことを考えながら、今日拾った素材をもう一度眺めていた。
「これ、何に使えるのかなぁ……」
「帰ったら整理したら?」
黒羽が言う。
「うん! でも、今日はもう眠いかも」
「なら、そろそろログアウトするか」
ユウマの言葉に、二人も頷いた。
三人は休憩所で短く挨拶を交わし、それぞれログアウトの操作を行う。
視界がゆっくりと暗くなっていく。
こうして、探索祭の二日目は終わった。
残るは、最終日の三日目。
白雪は最後の日も、きっといつも通りに歩き回るのだろう。
気になるものを見つけては立ち止まり、追いかけ、触れて、時には思いもよらない場所へ迷い込む。
本人にとっては、ただ楽しい冒険。
けれど、その自由気ままな行動が、明日どんな発見につながるのかは――まだ誰にも分からない。




