第107話 草原に響く小さな音
草原へ戻ってきた白雪は、ゆっくりと辺りを見回した。
「ふぅ。いっぱい遊んだ!」
鈴尾ラビットと一緒に過ごした隠し空間は、なかなか楽しかった。水を流したり、鈴のような結晶を鳴らしたり、見たことのない貝を拾ったり。
気づけば、インベントリの中には見慣れない素材がまた増えていた。
「あとで見てみよっと」
そう言って、白雪は歩き出す。
イベントポイントのことは、特に考えていない。
ただ、まだ見たことのないものがあるなら見てみたい。それだけだった。
しばらく草原を進んでいると、風に乗って小さな音が聞こえてきた。
――カラン。
「ん?」
白雪は足を止めた。
――カラン、コロン。
風鈴のような音だ。
しかし、周囲に風鈴らしきものは見当たらない。
「どこから聞こえるんだろ?」
耳を澄ませてみる。
風が草を揺らす音。その向こうから、かすかに金属が触れ合うような音が聞こえた。
白雪は音のする方へ歩いていく。
少し進むと、草原の一角に背の低い岩がいくつも並んでいる場所があった。
岩は大きさも形もばらばらで、ところどころに細い溝が走っている。
「岩がいっぱい!」
白雪は一番近くの岩に近づき、指先で軽く叩いた。
コン。
乾いた音が響く。
次の岩も叩いてみる。
カン。
「おお。音が違う!」
もう一つ。
コロン。
「こっちは鈴みたい!」
岩によって音が違うらしい。
白雪は面白くなり、あちこちの岩を順番に叩いてみた。
コン、カン、コロン、キン。
まるで楽器のようだった。
「これ、並べたら音楽になるかな?」
そんなことを考えながら、白雪は岩の周囲を歩き回る。
すると、岩の隙間に小さな金色の草が生えているのを見つけた。
「草?」
しゃがみ込んで覗いてみる。
細い茎の先に、小さな鐘のような形をした花が一つ咲いていた。風が吹くたびに花が揺れ、かすかな音を鳴らしている。
「これが鳴ってたのかな?」
白雪が指先で花に触れる。
チリン。
小さな音が響いた。
「わっ、鳴った!」
花は触れた振動に反応するようだった。
白雪はそっと花を摘み取る。
《採取しました:鐘鳴草》
「鐘鳴草……そのままだね!」
さらに周囲を探してみると、岩の根元にも同じ草がいくつか生えていた。
白雪は必要そうな分だけ採取し、残りはそのままにしておいた。
そのとき。
――カラン、コロン。
先ほどよりも大きな音が聞こえた。
白雪が顔を上げる。
岩場の奥に、少しだけ開けた場所がある。
そこには、背の高い一本の岩が立っていた。
表面には細い線が何本も刻まれていて、風が吹くと岩の上部にある小さな突起が揺れている。
「これが音の正体?」
近づいてみる。
岩の側面には、丸い窪みが三つ並んでいた。
白雪は一つ目の窪みに指を入れた。
何も起きない。
二つ目。
やはり何も起きない。
三つ目に触れた瞬間、岩の上部がわずかに揺れた。
――カラン。
「おっ?」
もう一度触れてみる。
――カラン、コロン。
今度は岩の表面に刻まれた線が、淡く光った。
「おおお!」
白雪は目を輝かせた。
何かの仕掛けらしい。
ただし、どうすればいいのかは分からない。
「えーっと……」
三つの窪みを順番に触ってみる。
一つ目、二つ目、三つ目。
反応はない。
今度は逆から。
三つ目、二つ目、一つ目。
――カラン。
一瞬だけ音が鳴ったが、それ以上の変化はなかった。
「違うのかな?」
白雪は首を傾げた。
岩の周囲をぐるりと回り、刻まれた線を眺める。
すると、岩の裏側に小さな模様があることに気づいた。
三つの丸と、その周囲を囲むように描かれた波線。
「これ、窪みと同じ?」
白雪は模様を指でなぞる。
そのとき、風が吹いた。
岩の上部が揺れ、三つの窪みから順番に音が鳴る。
――コン、カン、コロン。
「あっ!」
白雪は音を聞いて、もう一度窪みに触れた。
一つ目、二つ目、三つ目。
――コン、カン、コロン。
今度は岩全体が淡く光った。
地面の一部が小さく震え、岩の根元に細い隙間が現れる。
「開いた!」
隙間から出てきたのは、小さな石の箱だった。
白雪が箱を開けると、中には小さな結晶と数枚の薄い金属片が入っていた。
《入手しました:音紋石片》
《入手しました:響き金属》
「おお。素材だ!」
珍しい装備が出るような宝箱ではなかったが、白雪は満足そうに頷いた。
「音が鳴る岩って面白いね!」
その場を離れる前に、白雪はもう一度岩を軽く叩いた。
コロン。
「ふふっ」
何だか気に入ったらしい。
しばらく岩場で音を鳴らして遊んでいた。
その様子を、少し離れた場所で見ていたプレイヤーがいた。
「……あの子、何してるんだ?」
「岩を叩いてるな」
「イベント中だよな?」
「たぶん……」
白雪はそんな視線に気づくことなく、次の場所へ歩いていった。
◇
一方、黒羽は地下へ続く通路にいた。
目の前には、根のようなものを全身に絡ませた大きな魔物が立っている。
《根絡みの番人》
太い根を束ねたような胴体に、岩のような外殻がついている。腕にあたる部分は長く、先端が鋭く尖っていた。
黒羽は少し距離を取って、相手の動きを観察していた。
「……なるほどね」
先ほどから何度か攻撃を仕掛けているが、正面からの攻撃はほとんど通らない。
根の外殻が刃を受け止め、反撃として伸びてくる根がこちらの動きを制限する。
しかし、黒羽は焦っていなかった。
攻撃を避けながら、番人の動きを一つずつ確認していく。
腕を振り上げる前には、右肩の根がわずかに縮む。
地面から根を伸ばすときには、足元の土が盛り上がる。
そして、攻撃を終えた直後には、胴体の中央にある赤茶色の結晶が一瞬だけ露出する。
「弱点はあそこか」
黒羽は短剣を構え直した。
正面から攻めても意味がない。
ならば、相手に攻撃させて隙を作る。
黒羽はわざと番人の正面に姿を見せた。
番人が腕を振り上げる。
その瞬間、黒羽は一歩だけ横へずれた。
鋭い根が目の前を通り過ぎる。
黒羽はすぐに後退せず、逆に番人の懐へ踏み込んだ。
「そこ!」
短剣が赤茶色の結晶をかすめる。
硬い音が響いた。
完全には届かなかったが、結晶に小さな傷が入る。
番人が大きく揺れた。
「やっぱり、ここね」
黒羽は一度距離を取る。
次の攻撃を誘うため、今度は左側へ回り込んだ。
番人が根を伸ばす。
黒羽はその動きを見て、わずかに後ろへ下がる。
伸びた根が床に突き刺さった。
その隙に、黒羽は右側から一気に踏み込む。
二本の短剣が、露出した結晶を左右から挟むように走った。
――パキン。
結晶に大きなひびが入る。
番人の動きが止まった。
「もう一度!」
黒羽は攻撃を続ける。
今度はフェイントを混ぜ、番人の腕を誘導してから反対側へ回った。
短剣が結晶を捉える。
――ガシャッ!
大きな音とともに、根絡みの番人が崩れ落ちた。
《根絡みの番人を討伐しました》
「ふぅ……」
黒羽は短く息を吐いた。
周囲に敵の気配がないことを確認してから、地面に落ちたアイテムを拾う。
《入手しました:根絡みの核片》
《入手しました:古根の繊維》
《入手しました:根守りの小結晶》
「核片に繊維……素材が中心ね」
黒羽はインベントリにしまった。
そして、番人が守っていた奥の扉へ視線を向ける。
扉の中央には、先ほどの番人の胸にあったものとよく似た模様が刻まれていた。
その下には、小さな窪みが一つ。
「……さっきの結晶を使うのかな」
黒羽は根絡みの核片を取り出し、窪みの近くへ持っていく。
すると、扉の模様が淡く光った。
「やっぱり」
核片を窪みに置くと、扉の奥から低い音が響いた。
ゴゴゴ……。
ゆっくりと扉が開いていく。
その向こうには、細長い通路が続いていた。
黒羽は短剣を構え、慎重に足を踏み入れる。
まだ探索は終わっていない。
◇
ユウマは、水晶水亀がいた場所のさらに奥へ進んでいた。
水路の先に見つけた空洞は、思っていたよりも広かった。
天井から水滴が落ち、地面には浅い水たまりがいくつもできている。
壁には白い鉱石が点々と埋まっていた。
「洞窟か……」
ユウマは周囲を見回す。
足元の水は浅いが、奥へ進むにつれて深くなっているようだった。
水晶水亀との戦闘で消耗した体力は、すでに回復している。
それでも、油断はできない。
ユウマは片手剣を構えたまま、慎重に進んだ。
すると、水たまりの向こう側で何かが動いた。
バシャッ。
「!」
水面が揺れる。
現れたのは、丸い甲羅を背負った小型の水棲モンスターだった。
甲羅の表面には白い鉱石がいくつも生えており、頭部には短い角が二本ある。
《白晶の水トカゲ》
「トカゲか」
一体だけではなかった。
奥の岩陰から、もう一体が姿を現す。
ユウマは剣を構えた。
最初の一体が水面を蹴って突進してくる。
ユウマは横へ避け、すれ違いざまに剣を振った。
しかし、甲羅に弾かれてしまう。
「硬いな」
もう一体が側面から回り込んでくる。
ユウマは後ろへ跳び、二体の位置を確認した。
正面からの攻撃は通りにくい。
ならば、甲羅以外を狙うしかない。
水トカゲが再び突進してくる。
ユウマは剣を構え、ぎりぎりまで引きつけた。
そして、相手が跳ね上がった瞬間に一歩踏み込む。
剣先が腹部を捉えた。
「ここなら!」
水トカゲが水面に落ちる。
もう一体が口を開き、水を吐き出した。
ユウマは剣を盾代わりにして受け流す。
「二体同時は面倒だな……!」
それでも、焦らず一体ずつ攻める。
突進を誘い、避け、腹部を狙う。
何度か攻撃を繰り返すうちに、一体目の動きが鈍くなった。
最後に踏み込んだ一撃が腹部へ入り、水トカゲは光の粒となって消えた。
《白晶の水トカゲを討伐しました》
残る一体も、同じように距離を取って攻撃を誘う。
しばらくして、二体目も討伐できた。
《白晶の水トカゲを討伐しました》
「よし」
ドロップした素材を拾う。
《入手しました:白晶の甲片》
《入手しました:水トカゲの鱗》
《入手しました:白晶の小粒》
ユウマは素材をしまい、洞窟の奥を見た。
水路はさらに続いている。
その先から、かすかに水が流れる音が聞こえてきた。
「まだ奥があるのか」
ユウマは剣を持ち直した。
イベントの終了まで、まだ時間はある。
この先に何があるのか、確かめてみることにした。
◇
草原を歩いていた白雪は、ふと足元に目を向けた。
先ほどの岩場から少し離れた場所に、小さな水たまりがある。
その水たまりの表面には、丸い葉がいくつも浮かんでいた。
「葉っぱが浮いてる」
白雪はしゃがみ込む。
葉は水面にぴったりと張りついているわけではなく、風が吹くたびにくるくると回っていた。
そのうち一枚が、白雪の目の前まで流れてくる。
「こんにちは」
もちろん返事はない。
白雪は指先で葉をつついた。
くるん。
葉が一回転する。
「おお。回った!」
もう一度つつく。
くるん、くるん。
今度は二回転した。
「これ、ずっと回せるのかな?」
白雪は夢中になって葉をつつき始めた。
水面に浮かぶ葉を一枚ずつ回していく。
すると、葉の裏側に小さな水色の粒がついていることに気づいた。
「ん? 何これ」
そっと摘み取ってみる。
《入手しました:水輪の種》
「種なんだ!」
水たまりの周囲を探すと、同じ粒がいくつか見つかった。
白雪はそれを採取して、残りの葉も眺める。
そのとき、少し離れた草むらが揺れた。
ぴょこん。
小さな生き物が顔を出す。
白い体に薄い水色の模様。丸い耳と、長い尻尾。
「わっ、かわいい!」
白雪が近づこうとすると、その生き物はすぐに草むらへ隠れてしまった。
「あっ、待って!」
白雪は慌てて追いかける。
しかし、追いつく前に生き物は別の草むらへ飛び込んでしまった。
「速いなぁ……」
白雪はその場にしゃがみ込む。
草むらの向こうから、かすかな水音が聞こえた。
どうやら、あの生き物は水たまりの周辺を移動しているらしい。
「どこに行ったんだろ?」
白雪は草むらの奥を覗き込んだ。
イベントポイントがどうこうということは、すっかり頭から抜けている。
目の前に気になるものがあれば、そちらへ向かう。
それが白雪だった。
そして、草むらの向こうには、まだ見たことのない小さな水辺が広がっていた。




