最終話 ノア
姉崎は怒ったような悲しそうなような不思議な表情を浮かべていた。
「ねえ!」階段を下ろうとしたとき、姉崎に呼び止められた。
「なんだ?」
「学校やめて、これからどうすんの?」
「放浪の旅にでも出ようかな」俺は柄にもなくおどけてみせた。
「ふざけてないで」よほど、面白くなかったのか姉崎はまじめな顔を崩さない。
「正直まだ迷ってる」
「ノアに好きっていうかどうか?」
「……っ、なんで」驚きすぎて階段から落ちそうになる。
「フェリクスから聞いた。何をうじうじ悩んでんのか知らないけどさ、さっさと言っちゃいなよ」あんの悪魔め、どうしてくれよう。
「俺だって、色々考えたんだよ」考えて、一緒にいない選択をしたんだ。でも、それを言ったら俺が乃亜をどう思っているか姉崎に白状するようなものだ。それを姉崎が知っていても自分から口に出すような恥ずかしい真似は絶対できない。
「あー、もう! めんどくさい。今から、本屋行くよ。そこで待ってて」
一分ほどで、カバンを持った姉崎が現れる。
「さ、行くよ」
「お前、部活やってなかったっけ? いいのか?」本屋に向かう道中に話しかける。
「ふーん。あんたそんなこと知ってたんだ。前はオレ、興味アリマセンって感じだったのに」
「悪かったな。これでも反省してんだよ」
「そ? あんた変わったよね。いい意味で。んで、今日の部活は休み」
「そうか? で、本を読んだことのないお前が本屋に何の用があるんだ?」
「うっるさいなあ。つべこべ言わずについてくればいいの、あんたは」
「そーかよ」
「じゃ、あんたはココで待ってて。買ってくるから」本屋に着いた途端姉崎はそう言うと、店内に消えていった。
本屋の外のアーチ型の車止め用のポールに腰かけ、ぼうっと空を眺めていた。優しく風が吹いて、雲が緩やかに流されていく。雲から時折太陽が顔を出し、眩しくて目を開けていられないで目をつぶった。目を閉じると、日の光が暖かかった。そうしている間に、紙袋を抱えた姉崎が帰ってきた。
「ん」紙袋が手渡される。
「重て」思ったよりずっしりと重量がある?
「なんか文句でも?」
「いや。これは?」
「私からのプレゼント。そんなに口に出したくないなら、その本と一緒にノアに渡せばいいでしょ」
「何の話?」話が読めない。
「家に帰ってからのお楽しみ。じゃ、私帰るから」そう言うと、暖かい日の下でまどろみかけていた頭を必死で働かす俺に背を向け、もと来た道へと帰っていってしまった。
「あっ、おい」本のお礼、言いそびれた。
家に帰り、もらった紙袋を開ける。中にはいっていたのはハードカバーの分厚い本。花言葉大全、と金箔で押してある。俺が、花言葉。似合うと思って渡したんだろうか。よく見ると、栞紐が挟んであるページがある。なるほど、読んでみると意外と面白い。花の種類に限らず、色や本数によっても込められる意味が違う。たまには素直になってみるか。なんとなくそう思えた。
次の日の朝、花屋に寄った俺は『扉』に向かった。手には花束を持って。
『扉』を抜けると、フェリクスが俺を待ち構えていた。
「お連れします」
「……。ありがと」恥ずかしくてたまらなくて、俺はそっぽを向いた。
俺は、見知らぬ場所に立っていた。今まで見たどの場所とも違う。そこには部屋の中心に大きなベッドがあり窓際に、ノアはたたずんでいた。どんなとこに、お連れしてんだよ。思わず頭の中で叫ぶ。これじゃまるで侵入者だ。
「ノア」俺は覚悟を決めて名前を呼んだ。
「何?」ゆっくりと振り返る彼女はろうそくの光に照らされて、とても美しかった。
「悪い。突然」
「いいよ。でも、びっくりした。君はもう私と会わないつもりだと思っていたから」
「そっか」否定はできなかった。見透かされていたのがいたたまれない。
「今日は、ノアにこれを受けとって欲しくて」
「黒い薔薇?」
「そう」俺は七本の黒バラと本をノアに手渡した。
「これ……」乃亜が本を開いてつぶやいた。
そのページに書かれていることは本を渡してしまった今でもしっかりと脳みそに焼き付いている。昨日はほとんどずっとそのページを見ていたのだから。
―黒薔薇は永遠の愛を意味します。また、薔薇は本数によっても異なった意味を持っています。……七本は密かな愛を表します。……―
「嫌か?」思い出して恥ずかしいやら、ノアの反応が気になるやら心臓がちぎれそうだ。
「ううん。すごく、すごくうれしいよ。誰かに愛される日が来るなんて思っていなかったから」ノアは泣きそうに言った。
「ノア、俺は君と一緒にいたい」
「でも、そうしたら君は吸血鬼になっちゃうんだよ?」
「俺は人間じゃない。今さら、そんなことは気にしない」
「でも、吸血鬼のパートナーは運命共同体になって、どちらかが死んだら、もう一人も死んじゃうんだよ?」ノアは駄々っ子のようにごねた。
「それが?」
「私が死んだら、君も死んじゃうんだよ? そんな馬鹿なこと望む人間がいるはずないでしょう?」
「だけど、俺らは人間じゃない。そうだろ? それに、俺はノアに救われた。次は俺だろ」ノアは目を見開いた。
ノアは俺の首に手を回し、俺の唇を塞いだ。ノアに触れられた部分からひんやりとした冷気が体中を侵していく。彼女の唇が離れるとその冷気は体中を包んでいた。唇を噛み切ったノアがもう一度、俺の唇を塞ぐ。口の中にどろりとした液体がなだれ込む。それは、冷たいのに燃えるように熱くて、鉄に混ざる甘い味がした。こくりと喉を鳴らして俺がそれを飲み下すと、彼女はゆっくりと俺から離れる。彼女の顔が俺の首筋に近づいていく。皮を破られる痛みと首筋から命が漏れていく感覚。どこからか愛されているという気が起こり、全身が喜びで震える。それは媚薬のようで、麻薬のようで、脳が彼女に侵されていく。俺は呆けたように動けなかった。
「これで君は私のパートナーだよ。よろしくね」彼女は愛おしそうに俺の頬を包み込んでそう言った。
「ああ」俺は微笑んだ。
その日、俺は吸血鬼としてこの世に生を受けた。




