第三十六話 葛藤
その姿に心臓が掴まれたように痛んだ。熱湯を気管に注がれたみたいに胸が熱くて息苦しい。俺は空気を吸い込もうとしたが、肺が震えて息がうまく吸い込めなかった。
その時、俺は理解した。俺は目の前で苦しげな顔を浮かべる彼女に死んで欲しくないのだと。苦しむところを見たくない。
でも、一人で抱え込むくらいなら全部吐き出して欲しい。できることなら苦しみを取り除いてやりたい。
でも、住む世界が違いすぎる。
吸血鬼の女王、立場ある者にとって人間ですらない俺は足かせにしかならない。『地下』の住民が彼女を忌避する理由が増えるだけだ。そうなれば俺の存在が彼女を苦しめることになる。それに、俺は彼女より早く死ぬ。もし彼女が俺と一生を過ごすことを望んでくれたとしても、その彼女を俺は置き去りにしていくことになる。朔が死んで感じたこの思いを彼女にさせるのか?
そんなこと耐えられない。
ヤヌスにでもてあそばれるように、頭の中に様々な考えが浮かんでは消えていく。俺は、そこで考えるのを止めた。
「なあ、もし次に会うことがあったらノアって呼んでいいか?」ここにはもう来ない。そう決めて俺は聞いた。
「いいよ。じゃあ、私も了って呼びたい」それはまるで死地に向かう戦士とその無事を願う伴侶のようだと思った。次はないとどこか予感しながら、見ないふりをして甘い言葉を交わす二人のように。
「……次に会うときな」俺の噓がバレるのが怖くて、俺はノアの目を見られなかった。
「あと、キメラたちのことなんだが」少し間をおいて、俺は気を引き締めて切り出した。
「ああ、彼らのうちのここにいたいと望んだ者に関してはここにいられるようにしておいたよ。あなたたちもどう?」慈愛に満ちた表情を浮かべ女王は俺の後ろに立つ四人に尋ねた。その慈悲深く、強い姿に俺は自分が余計にみじめに感じられた。ノアがどれだけ自分を卑下しようと、彼女からあふれるのは弱く、情けない俺を打ちのめしてしまうには十分な気品と優しさ、そして強さだ。
俺は今までずっと人に流されて生きてきた。すべてを人のせいにして不都合から目をそらして生きてきた。
だが、ノアは違う。どれだけ自分が傷つこうと王としての責務を果たそうとしていた。そしてきっとそれはこれからも変わらないだろう。
「オレ……ここ……住む」彼らのうちの誰かが答えた、順調に話が進みキメラにされた者たちのほとんどが女王の庇護下で暮らすことになった。
それを俺は玉座の前に立ち尽くして、ただただ見ていた。




