第十九話 狂気
どくん。隣に人がいたら聞こえてしまうのではないかと思うくらい、大きく心臓が鳴った。
まだだ、まだ冷静さを保たなければ。俺は自分に言い聞かせた。
その間にもどんどん女は近づいて来る。
荒野には俺と女吸血鬼の二人しかいない。
俺が攻撃しても手を出してくる者は誰もいない。
そう考えた途端、俺の理性は消し飛んだ。
その女吸血鬼の姿に、俺は憎悪に支配された。こいつさえいなければ。その思いだけが頭をめぐる。憎悪は愛しさにも似ていて狂おしいまでの感情に涙が溢れそうだ。きっとこの女は何もしていないだろう。そんなことは分かっている。ただ、俺は憎む相手が欲しかった。幼稚でどうしようもないが、そうしなければ弱くて仕方のない自分の心が簡単に折れてしまうだろうこともわかっていた。
俺は憎悪と狂気の中にちりばめられた迷いを拭い去ろうと口を開いた。
「俺はお前が憎い」
「そうか」小さな声だったが吸血鬼の耳には十分だったらしく女吸血鬼が興味なさそうに答える。
ふざけるな。どうせ自分には勝てないと高をくくっているのか。確かに圧倒的に向こうが有利なのは間違いない。土地勘があり、人間には扱えない力を使い、おまけに俺は向こうに触れないのだから。だが、こっちは死ぬ気で来てるんだ。
「なんなんだよ。その態度」心の声が漏れる。
「なんだ? 闖入者、不満か? わざわざ我が出向いてやったというに」何の表情も浮かべず、淡々と問うてくる。
「ああ。俺はお前を殺しに来たんだ。もう少し俺に誠意を見せてほしいね」
「誠意とな。人間とは醜いものだな。自分の都合に他を巻き込みその上で誠意を見せろと言うのか。実に傲慢な生き物だ。お前はなぜ我を殺そうと欲す?」
「お前ら吸血鬼が憎いからだ」
「ほう。では、我らがお前たちに何をした?」
「何も。だが、俺はお前たちが存在しているせいで人生がめちゃくちゃになったんだ」
「ほう。やつあたりか」
「……。そうだ」図星をつかれしぶしぶうなずく。
「ならよい。相手をしてやろう」女吸血鬼が唐突に言う。
「憐れんでいるのか?」
「共感しているのだ。自らの境遇を恨む気持ちは分かる。同じ気持ちが分かる者として誠意を見せよう」そういうと女は光に包まれた。
女が消え代わりに現れたのはスズキノアだった。




