天命
病室のドアをノックする音に、ドアに一番近かった弘明がノブに手を掛けた。
ドアをくぐって入って来た八神が抱きかかえる乳児と目が合った瞬間、弘明の脳裏に他者の記憶が奔流のように流れ込んで来た。
笑顔でスポンジをかざして見せる父親の姿。
嘲笑するようなクラスメートの視線。
屋上で膝を寄せている少年の姿。
明らかに自分の物ではない記憶。
弘明の記憶のほんの片隅に有った何処かで見かけたはすっぱな少女の面影が蘇る。
(この子があの少女の残した形見)
眼前の新生児の瞳に弘明は一人納得する。
自分が今見た物が少女の人生であり、後頭部を駆け上がる激情が彼女が今置かれている状況を弘明に教えた。
(救いを求めている)
何の根拠もなく、只明確な確信を伴って弘明は思う。
このために自分は此処に呼ばれた。
既に正気を失った彼女は最早災厄へと変貌を遂げてしまった。
だがあり得ぬ感応能力で少女の人生を共感した弘明には彼女に悪意など微塵も無く、只強すぎる激情が制御出来なくなっているだけなのが身に染みて解る。
(誰かがあの子を解放してやらなくちゃならない)
その役目を誰がするべきかを考えて弘明は自分の抱えていた熱情が急速に冷えていくのを感じていた。
だからといって心が冷えて行った訳では無い。
寧ろ逆で、えも言われずモチベーションは上がっている。
不安や焦り、焦燥と言ったものが潮が引く様に急速に引いていったのだ。
ついさっき少女の人生を追体験したように、己が人生が走馬灯の様に蘇る。
不思議な感覚だった。
碌に構っても貰えなかった母の姿が何故か愛おしく思い出される。
なまじ才能に恵まれて、引く手あまただった母。
愛を求める我が子と、才能に群がる人々の板挟みにどんな気持ちだったのか。
反発してばかりで畏敬の念も示せなかった父に対する申し訳なさが胸を締め付ける。
金に不自由は無かったと言え、男手一つで息子を育てなければならなかった父。
その父に自分は嘲りと汚いものを見るような視線しか向けなかった。
許された現実の中で、父と母はどれ程もがいていたのだろうか。
様々な悔恨の最後に、光に包まれた女性の姿が浮かび上がる。
これまで考える事も無かった弘明だが、明美に家族の何たるかを体感させてもらった今の弘明には解る。
(あの子を天に導いて俺も朱美の所に行かなくちゃ)
摩耶の子供に微笑みかけて弘明は確信する。
(俺はこの為に産まれて来たんだ)




