疣
摩耶は太一と添いとげたかっただけだ。
それさえも許されないと言うのなら。
校庭の中央、今や松明と化した太一の周りにとぐろを巻いて、摩耶はまだ人だった頃の記憶を懸命に手繰る。
自分が浮いていたことは自覚していた。
自分の立ち居振る舞いが母親の所為だとは思いたくなかったが、周囲の皆はそうは見ていないんだろうなと肌で感じていた。
裏通りで女手一つでスナックを営む母。
高校生の娘を持つようには見えない風貌に、通う男も少なくなかった。
父親の記憶は心の片隅。どうした訳か断片的で曖昧な記憶しか無かった。
一緒にお風呂に入り、ゴシゴシ背中を洗ってくれた。
休日に出掛けた町営プールで感染したのだろう、子供に特有の水疣なる感染症になった時のことだ。
「水いぼなんてのはな、清潔にさえしておけば直ぐに治るよ」
そう言って毎日、「お父さんが摩耶の水いぼを治してやる」と、水いぼが完治するまで背中を洗い続けてくれた。
医師には他所へうつらないよう、面倒でもひとつずつつぶしていかなければ治せないと言われて、ベッドにうつ伏せに押さえつけられ、ガーゼで囲んでピンセットの先でいぼを潰されたのだ。
摩耶にはもうその時の記憶は薄らいでいたが、母の話しでは看護婦に押さえつけられながら痛い痛いと泣き泣き治療を受け、家に帰ると「もう病院へは行かない」とごねて両親を困らせたそうだ。
「そんな痛い治療をしなくても、お父さんが摩耶の水いぼを治してやる」
根拠など合った訳も無いだろうが、大人に押さえつけられて痛い思いをした摩耶は父のこの言葉に縋った。
毎日仕事から帰ってくると、父はすぐに自分で風呂の準備をし、湯が湧けば率先して裸になり摩耶を呼んだ。
それまでは一人で湯を楽しんでいた父が、摩耶が病院で泣いていたと聞いてから、何を思ったのかは知らないが呆れる母の態度にも怯まず、「摩耶の水いぼは俺が治す」とその日から摩耶の水いぼが治るまで毎日一緒に風呂に入ってくれた。
そのころから決して大人しくていい子だった訳では無いが、摩耶は只父の言葉を無心に信じて父の手当てに身を委ねた。
父と一緒にお風呂に入りたいなどと思う事は無かったように記憶しているが、その時期だけは父が帰ってくるのを心待ちしていたと思う。
普段なら熱いとごねて入らないような温度の湯にも、「熱いお湯がばい菌を殺してくれる」今思えば馬鹿げた理屈だが、病院で受けた摩耶にしてみれば拷問とも受け取れる治療から逃れたい一心で摩耶は盲目的に父の言葉を信じた。
愛情で病気が治るなど信じてはいないが、1週間後病院に出向いた摩耶に医師はこう言った。
「ここまで小さくなっていれば後はもう塗り薬だけでいいでしょう」
痛い治療の記憶は朧なのに、医師のこの言葉を聞いた時の喜びは鮮明に覚えていた。
その父親と母。どこでどうボタンを掛け違えたものか、次第に会話も少なくなり、口げんかが絶えなくなった。
楽しいはずの夕食が始まろうとする頃、些細な言葉のやりとりから始まるいがみあい。
まだ小さい摩耶に両親を宥める力などあるはずも無く。
せめてもの抵抗と、金切り声をあげて二人の言い争いを邪魔した。
その父も摩耶が中学校に入る前に家を出て行った。
後で母から聞いた話だが、その前から二人の仲は修復不能なほど冷えていたのだそうだが、在学中に苗字が変わるのはあまりに可哀そうと、中学進学のタイミングを待って離婚したのだそうだ。
その母の言葉に、そこまで娘を想いやる気持ちが有ったのなら、こじれた夫婦仲を戻す努力が何故出来なかったのだろうと子供心に思った。
摩耶が自分があの父の子では無い事を知ったのは、今の高校に上がる時だった。
母もけじめをつけたかったのか、入学前の摩耶を前にして話してくれた。
自分は以前水商売をしていた事。その時付き合って居た男との間に出来た子供が自分で有る事。
摩耶が父親と呼び、一緒にお風呂に入り、共に過ごして来た男性が離婚して田舎に帰って来た母を受け入れてくれた男であった事。
その母の話しを聞いて摩耶には合点の行く思いがあった。
まだ子供で原因も理解出来なかった両親の諍い。派手で活発な母と大人しい父。二人の間にどんな歪みが生じたのか。
だから摩耶は決して多くを望んだ訳ではない。
ただそんな両親の姿を見ていたせいか、自分でも気づかず異性に媚びる態度が出ていたのかもしれない。
自分は父を求めていたんだろうか?
周囲の男子にも、太一にも、行ってしまった父の面影を重ねていたんだろうか?
既に煌めく鱗に覆われた、巨大な竜へと変貌を遂げた摩耶は己がとぐろの中央で揺らめく灯に頬ずりする。
「太一、今頃気付くなんて遅すぎるけどさ」
もうゴロゴロと唸るしか出来ない摩耶は、それでも灯となった太一には届くはずと語り掛ける。
「あんたが大好きだったあたしの内腿のアレさ、鱗じゃなくて疣だったのかも」
父が取り切れなかった摩耶の身体に巣くっていた遺恨か。
父が摩耶の身体に残してくれた他意の無い記憶か。
近づく邪悪で強大な気配に、竜と化した摩耶はとぐろをほどいて身構える。
ザワザワと、音も無いのに振動が、その怪しい気配をひしひしと摩耶の鱗に伝える。
グラウンドを囲む土手の向こう、霧に遮られて見えない向こうに摩耶は押し寄せる軍団の足音を聞く。
薄く霧に覆われた校庭の中央。
その中心に、あえかに、だが力強くたなびく青い炎を内に抱いて銀の燭台を思わせる竜化した摩耶は高く鎌首を持ち上げる。
悪鬼よ、混沌よ、現実よ。
只温もりだけを求めたあたし達を認められないというのなら、抗ってみせよう。
若さを。
情熱を。
純真を。
願いを。
希望を。
呑み込めるものなら呑み込んでみせるがいい。
その巨大な悪意。
その巨大な飢え。
飽くなき欲望の深淵の胃袋。
内から食い破ってみせよう。
暴竜摩耶はその咢に激情を溢れさせ押し寄せる霧の怒涛に咆哮する。
「太一、あたしも逝くよ」




