不敵
霧が見せてくれたビジョンで、既に行くべき先が見えている太一はもう迷いも無い。
カブを元有った場所まで戻すと、薄く霧が立ち込める通りを学校に向かって歩き出す。
左の脇腹の疼痛は心臓の鼓動にも似た規則的な響きを太一に聴かせる。
痛いと言えば間違いなく痛いのだが、先程まで感じた苦しさは寧ろ薄れていく。
潤と美咲の関係が何時からなのかも知らないが、美咲の子供があり得ない速度での成長と誕生を見せてくれた。
「恐らく俺と摩耶の子供もじきに…」
どうやら俺は我が子の姿を拝まずに行かなくてはならないようだなと、不思議に落ち着いた気持ちで歩む太一を霧の怪物共も行く手を妨げない。
この後起きる戦いを邪魔するまいとでも言うのだろうか。
一歩一歩学校への道を進めながら太一は摩耶と初めて会った時の事を思い出していた。
とうに始業ベルもなった渡り廊下、学校近くの駄菓子屋で買った酢漬けイカを咥えて歩く太一の眼に、英語教師の腕にぶら下がるように姿を現したコケティッシュな少女。
校舎内でいちゃつくとかいい度胸してるぜと、揶揄の眼を向けた太一だが。
太一も良く知る気弱な英語教師は明らかにおどおどしている。
奥手の童貞教師が女生徒に絡まれて狼狽えているのか。
日頃自分を蔑んでいる教師に皮肉の一つも言ってやろうかと身構える太一に、教師の腕を掴んでいた少女はあっさり教師の腕を離して太一に近づいて来た。
「太一君どこ行くの?」
話した覚えも無いのに馴れ馴れしい口をきく少女に太一はまじまじと少女の姿を見直す。
校則で決められた、束ねなくともよいぎりぎりの襟元の長さに切り揃えられた髪は綺麗に後ろにむかうにつれ刈り上げられて、うなじの白さを強調している。
呆気にとられる教師を無視して太一について来た少女。
まだ授業中だと言うのに何食わぬ顔で校舎をあとにする太一について来た。
型にはまらぬ性格だとは直ぐにわかったが、どういう訳か距離を詰めて来る摩耶に戸惑いながら惹かれて行った。
校門の前、立ち止まる太一の横をすり抜けるように霧が敷地内に吸い込まれていく。
薄く立ち込める霧の中を、更に濃い霧の波が血を這うように校舎を回り込んでグラウンドに流れていく。
ついてこいと呼んでいるのか。
霧に誘われるなぞまっぴらごめんだと思いながら、既に結果も知っている太一の足は止まらない。
ありきたりだが、太一が摩耶を初めて抱いたのは体育倉庫。
昼食を終え、昼休みに体育館で戯れていた生徒達も教室に戻った体育館。
迫る太一を拒む素振りも見せず受け入れた摩耶。
押し倒した摩耶の髪をかき上げた時、髪の内側だけメッシュを入れているのに気づき舌を巻いた。
一見たおやかに見せてこの女したたかだぞと思った。
摩耶の股間の朱に、驚きを隠せなかった太一だが。
当の摩耶は無感動な表情を浮かべただけ。
なんなんだこの女は?太一に摩耶を強く印象付けたあの日の事を今更のように思い出す太一。
霧の流れに導かれるようにグラウンドに立った太一は、霧がグラウンド中央に呑み込まれるように沈み込んでいくのを見る。
なんだ?
グラウンドに大穴でも空いているのか?
CGが描いてみせるブラックホールよろしく霧ごとあらゆるものを呑み込む勢いで渦を見せる霧の中央に太一は歩みを進める。
「呑ませるもんかよ」
太一の顔に、かつて風を切っていた不敵な笑みが蘇る。