新たなる戦士
「何処に行ったのかしら」
空のベッドを見つめて女性医官は途方に暮れる。
東京本部への定時連絡を終えて医務室へ戻ってみれば、安定剤を与えて眠っていたはずの少年が居ない。
睡眠薬ではないので、強制的に眠らせておく効果は無いのだが、安定剤の効果があるうちは普通自らあれこれ行動する気力は起きないものだ。
かつてデパートだった館内は意外に広い。それでも自衛隊を始め関係各機関から出向してきた職員達が館内各所に仮説本部を設置しているし、多くの職員達がせわしなく動き回っている。
まだ小学校低学年と思われる子供がうろついていれば必ず誰かの目に留まり保護されるだろう。
一応館内に通報だけはしておかねばなるまいとデスクの受話器を取り、総務部のボタンを押す。
陽も暮れて外灯の灯りの灯る道路を戻って来た順子は、良平を失った心の空白を埋めようと、縁あって預かった乳児を抱こうと、子供を預けていた女性隊員の元に向かった。
「何処に行ってきたの?」
憔悴した様子の順子に、心配した女性陸自隊員が声を掛ける。
「ちょっと、知り合いに会いに」
青ざめた顔で、それでも心配を掛けまいと笑顔を浮かべて返事する。
「そう、それで無事にお知り合いとは会えたの?」
気遣う女性隊員の問いに嗚咽を漏らさずやっとのことで答える。
「はい、おかげさまで」
校舎の3階で交わした抱擁を思い出して順子は喉の奥に込みあげる痛みに耐える。
「あの、あの子は」
順子の問いに女性隊員は部屋の隅のパーテーションで仕切られた一角を指差す。
「別室へとも思ったんだけど、泣き声が聞こえないといけないと思ってね」
促されてパーテーションを開いた順子は、女性隊員に怪訝な表情を返す。
「あの、何処に…」
順子の表情を訝しんだ女性隊員はパーテーションを開け、運び込んで来た大きなマットの上に敷かれたベビー布団に残された小さな丸い窪みに息を呑む。
「ここで眠っていたのよ」
女性隊員が青ざめて抗弁する。
「あなたがお乳を上げてる最中に寝ちゃったでしょう?」
「あれきりぐっすり寝てしまったからここに移して」
言っている間も女性隊員の顔から血の気が更に引いていく。
「お布団を用意してもらって…ここに寝かしつけてから一度もこの部屋出て無いのよ」
必死に抗弁する女性隊員の言葉も耳を掠めるだけで順子の意識には届かない。
良平だけでなく、子供まで奪おうと言うのか。
ぐらつきそうになる気持ちを彼の言葉が支える。
「大丈夫だよ」
「順子には沢山仲間が居るよ」
消えて尚順子を支える良平。
「探しましょう」
毅然として、本来自分より気力も体力も遥かに上回っているであろう女性陸自隊員に向かって頷く。
自ら霧に向かった男も居るのだ、目の前の女性隊員は過酷な訓練を受けた精鋭なのだろうが、順子も生身で霧に立ち向かう友人を持つ身。
ひ弱で控えめな順子も、今は良平が与えてくれた気概に背中を支えられて、霧に只怯えたりはしない。
良平を失って胸に空いた大きな穴も、子供を見失って湧き上がる不安も、内から湧きおこる熱い息吹が押しのけて冷たさを感じさせない。
再び校舎の3階、抱擁を思い出して、今度は彼に向かって胸の奥で呟く。
「あたしにだって戦えるから」




