呼び声
「何時?」
並んで歩いている間も。腰を落ち着けた今も、美咲の手を離そうとしない摩耶。
すっかり霧も引いた駅前通り。
ここまでは霧も及ばなかったようで、周囲の建物にも被害は見当たらない。
路地をいくつか挟んだ向こうには、踏み潰されたような商店が並び、道路には街を脱出しようと言うのだろう、駅に向かう人の波。
交通網が発達して、利用者が減っていた鉄道だが、霧に巻かれて多数の事故車両に道を塞がれ、高度に発達したはずの道路網が逆に弱さを露呈してしまった。
霧の発生を受けて一時運行を休止していた鉄道だが、運休してしまえばそれ以上被害が増えるはずも無く。
警報解除と共に通常運航に戻った鉄道は、再び人々の生命線として息を吹き返し、人類の命を繋ぐ大動脈として鉄軌の唸りを上げ始めた。
鉄道員にも無論被害は有り、動揺も見られたが、150年近い歴史を持つ日本の鉄道システムは、世界に誇れる自動化された運行システムになっていた。
運行人員に多少の欠員が出ても、相互補完が可能な日本の鉄道は、未曾有の事態に怯むことなく、押し寄せる老若男女を安全地帯へ吐き出し始めた。
駅にほど近い小さな喫茶店。
美咲の手を掴んで離そうとしない摩耶を横目に、潤と太一は男二人でテーブルを挟んでいた。
「お前等、何時からなんだよ」
太一のざらついた質問に潤は肩を竦める。
「何時からって言われても」
潤の返事に太一も両手を拡げてこれまた同じように肩を竦めて見せる。
「まあいいや」
「俺と摩耶も何時からどうしてとか聞かれてもアレだしな…」
言って目の前のココアを啜る。
そんな太一の姿に、粗野なイメージを抱いて近寄りがたいと思っていた潤は、拍子抜けを感じている自分を感じた。
気さくに声を掛けて来るし、何より注文したのがココア。
粋がってブラックコーヒーを注文した自分が馬鹿みたいだ。
「美咲……だよな」
別テーブルで親友よろしく手を繋いで談笑する摩耶と美咲を横目で見て太一が呟く。
「そう、だけど」
潤の返事に太一が身を乗りだす。
「お前の彼女も、アレなのか?」
「アレ?」
答えて潤は、太一達の方では自分達とは違えど異常事態が起きていたことを知る。
怪訝な顔を返す潤に太一が窺うように話を続ける。
「霧に巻かれてから、摩耶の様子がおかしいんだよ」
言う太一の表情が怯えているようで潤の好奇心を刺激する。
「おかしいって?どんなふうに」
話していいものかと窺うように上目づかいに潤を見て、太一は躊躇いがちに潤に告げる。
「霧の中で……怪物倒しやがった……」
脳天を殴られたように一瞬意識が跳んで潤は頭を振る。
太一達の方では女子に顕現したのか。
身体の中でさっき感じた血の疼きが僅かに反応したような感覚。
思わず摩耶を見れば視線が絡み合う。
感覚がリンクしているのか。
震えが身体の内を奔る。
ふと摩耶の隣の美咲を見ればこれもまた視線が絡む。
視線を絡めた美咲の視線が落ち、繋いだ摩耶の手を見る。
根拠は無いが自分と美咲、摩耶は何かどこかでつながっている事を感じる潤。
「お前等にもなんかあったんだろ?」
詰め寄る太一。
太一はまだリンク出来てないのか。
何故だかそう感じ、何処まで話したらいいものか考える潤。
「美咲と潤君とか、そんな気配ちっとも見えなかったんだけど」
窓の外を街を脱出しようと列を作る人波を見ながら、まるでその風景が他人事だと、意にも介さず美咲に話しかける摩耶。
今朝見た摩耶と、大きく趣を変えた今の摩耶の様子と、一瞬通じた潤との意思疎通で、摩耶にも潤と同じような異変が起きた事を直感する美咲。
摩耶はどんな力を発揮したんだろう?
知りたいが、それ以上に、潤と同じような現象が起きたのだとしたら。
その後の事態も自分達と同じような事態に?
だから摩耶は自分に「何時?」などと聞いたのか?
摩耶の中にも太一の種が。
思い至って美咲は摩耶の手を振りほどいてその手を摩耶の腹にそっと充てる。
「あたしはまだみたいなんだよね」
屈託なく微笑む摩耶。
この子は事態を素直に受け入れている。
恐らく事態をキチンと理解して受け入れている訳では無いのだろうが。
寧ろ摩耶や太一のように深く考えない者の方が、今起きている異常現象との親和性が高いのだろう。
「突然だったの、いろいろと」
言うに言えず言葉を濁す美咲に、訳知り顔で摩耶が蘊蓄を垂れる。
「そうなんだよねー、あたしもそうだった」
到底話が通じているとは思えなかったが、友達にはなれそうだなと美咲は感じた。