休息
「行くあてはあるんですか?」
明美に紙おむつを手渡しながら問いかける弘明に、ほつれ毛をかき上げながら明美は答える。
「晴れたとはいえ、一度は霧に呑まれたマンションには戻りたくないな」
赤子を連れての逃避行だ、無理もない。
「町外に身よりとかは?」
顔を曇らせた明美の表情に聞いた事を後悔する弘明。
「町はずれにはなるんですけど」
何故そんなことを言い出したのか自分でも分からず弘明は言葉を続ける。
「僕の家そこそこ広いし、暫く落ち着くにはいいんじゃないかと思うんですよね」
取り換えた紙おむつを小さく丸めた明美が首を竦める。
「ありがとう、でも私みたいのを連れて帰ったらご両親ビックリするわよ」
微笑んで辞退する明美に弘明が言い辛そうに答える。
「うち、今両親不在なんで」
「あら」
レジから頂戴してきた白いレジ袋の口を拡げて、明美の手の紙おむつを指差す。
「母は仕事で海外暮らしだし、父は父で都心で自分の興した会社の業務が忙しくて」
正直な事を言えば、物心ついたころから家にいる事が少なかった母に、妻の不在をいいことに父もよろしくやっているんだろうとは思っていたが。
「でもそれじゃますます独り暮らしのおうちにお邪魔するなんて」
「今は休んでもらってますけど、週一で家政婦さんが来てくれるんですよ」
何故か明美の遠慮に焦りを覚えた弘明が、言い訳するように付け加える。
「それにもうじき日が暮れます。赤ちゃん連れて野宿するつもりですか?」
指摘されて乳児を抱き上げた明美が嘆息する。
「選択肢は無さそうね」
明美の返事にこれまたなぜか安堵する弘明。
「霧の発生源とは離れた場所なんで今夜はぐっすり眠れますよ」
スーパーの入り口付近に陳列されていた赤ちゃん篭付自転車に明美と赤ん坊を乗せ、弘明はもう一台の自転車に積めるだけ食糧と乳児用品を積んで人の流れに逆らって家路を辿った。
「一体君のご両親どんな人なの?」
案内された部屋の大きなベッドに腰掛けて明美は室内を見回して唸る。
お屋敷とまでは言わないが、門付きの家などそう多くはない。
道路に面した門をくぐれば玄関に続く3メートル程の石畳ならぬブロック畳。
その左右に小さな花壇。豪勢ではないが綺麗に手入れされて、とても男子高校生の一人暮らしする家には見えない。
「この部屋、来客用の部屋なんですけど、来客なんて来ること無いんで」
言って自嘲気味の笑顔を浮かべる弘明。
スーパーから持って来た食料品の中から飲み物の類を部屋に備え付けの冷蔵庫に移す弘明。
「母はデザイナー、父は一応美術商ってことになってます」
溜息をつく明美。
「あたしなんかがおいそれと上がれるおうちじゃないね」
赤子を抱える明美の姿が小さく見えて思わず声を掛けてしまう弘明。
「どうせ誰も居ない家です、落ち着くまで居てください」
弘明は自転車に括りつけていた乳児用品を部屋に持ち込むと明美に告げる。
「ちょっと出てきますんで、寛いでてください。すぐ戻りますから」
首を傾げる明美を残して部屋を飛び出す。
部屋を出ていく弘明を見送った明美は改めて部屋を見回す。
立派な家だし、ご両親の経歴も立派だ。けれどあの少年の表情は決して恵まれた環境に居る少年のそれでは無かったように思えた。
「みんな色々事情が有るんだろうな」
呟いて隣で寝息を立てる幼子の頬を撫でる。
「あたし達みたいにね?」
乳飲み子に問うても答えは返ってこない。




