宣戦布告
八神が捉えた子供の姿を車長の五十嵐のペリスコープも視認する。
同時にスコープに影を落とす何かの存在をハッチの上に感じる。
「敵は直上!」
車長の声が砲手に届くが、砲手は怪物の姿を捉えきれていない。
そもそも皆が搭乗する87式偵察警戒車に搭載されている25ミリ機関砲KBAーB02の仰角は45度、直上の敵は狙えない。
対地対空両用。徹甲弾、榴弾切り替え可能な優れものであるが、狙えないでは撃ちようも無かろうし、第一怪物どもに銃器は役にたたないはず。
「狙え」
淡々とした車長の指示がインカム越しに水橋にも聞こえる。
「了解」
これも淡々とした砲手の返答がインカム越しに答える。
「???」
二人の会話の意図が掴めず、水橋はペリスコープから目を離して、思わず見えるはずも無いのに周囲を見回す。
車長は敵は直上だと言った。
武器にはまるで詳しくない水橋だが、乗車前に見たこの偵察車の砲はとても真上を狙えるもので無いのは解った。
なのに何故砲手は車長の指示に「了解」と答えた?
車長と砲手は何を話している?
前部偵察席で、よろめきながら偵察車目掛けて駆けて来る少年の姿に、視線を奪われて思考が凍り付く八神の脳裏にも、答えの出せない疑念が湧く。
「車両停止」
五十嵐の低く抑えた指示が飛ぶ。
「了解、車両停止」
これも又簡潔な操縦士の復唱。
隊員でも無い八神、水橋を置き去りに、陸自隊員達の間では着々と対処が進んでいるらしい。
ペリスコープを覗きつつ、微かに聞こえる周囲の雑音にも耳をそばだてる五十嵐は。スコープの中に映像を結ぶ少年の姿に、家に残して来た家族の事を思い浮かべていた。
29歳の時、縁有って結ばれた女房。この時間は夕飯の支度でもしているだろうか?
職業柄、一緒に過ごせる時間は決して長くはない。
戦時では無いとはいえ命の危険を覚悟の自衛官。
よくもプロポーズを受けてくれたものだと今更のように思う。
たまの休前日、同僚と出掛けた居酒屋で見初めてデートに誘った。
初対面でデートに誘うなど、今考えても無茶な事をしたと思うが。
今となってはあの日の自分を褒めてやりたい。
それでなくとも異性との出会いが極端に制限される自衛官。
稀に訪れる機会に自ら手を伸ばさなければ婚期を逸するのは必定。
強引な誘いでは有ったが何度かのデートを重ねて、僅か半年後にはプロポーズ。
「左に敵影!」
八神が慣れないながら報告する。
後部偵察席に座る水橋にも砲塔が旋回する様子が車体を揺らす振動でそれと知れる。
「小型の飛翔体だ。機銃で蹴散らせ」
効かなくとも注意は惹けると判断したのだろう。
連続した機械音が鉄の車体を通じて乗員に伝わる。
ひとしきり吠えた機銃音が止むと砲塔が僅かに軋む気配。
「砲塔旋回出来ません!」
冷静だった砲手が慌てた声を上げる。
砲手の声にペリスコープを覗いた五十嵐は、一つのペリスコープの視界に砲塔に巻き付く異様な怪物の姿を確認する。
怪物に巻き付かれて砲塔が旋回出来ないのだ。
切り替えたスコープの一つにこちらを向いて立ち竦む少年の姿。
五十嵐の脳裏でスイッチが切りかわる。
「時計合わせ用意!」
「了解!」
五十嵐の号令に操縦士、砲手が同時に答える。
訳が分からず混乱する八神、水橋。
「時計合わせ…今!」
返事は無いが何かが始まった事は理解する八神、水橋。
隊員が時計合わせをしている数瞬に理解が追い付いていなかった隊員達の会話の意味を理解して水橋は怖気をふるう。
車長が狙えと指示し、砲手が狙っていたのは怪物ではなかった。
狙っていたのは怯えて助けを求める少年だったのだ。
この偵察車では住民を助ける事も怪物を倒すことも出来ない。
ならば出来る事は何か?
車長五十嵐は、外ならず。恐怖に晒される少年を撃つことで少年を恐怖と、次に訪れる惨劇から少年を解放しようと企んでいたのだ。
だがその企みも霧の怪物によって粉砕された。
再び少年は恐慌と惨劇の前に晒された。
「限界まで接近!」
「了解!」
300馬力のディーゼルエンジンが轟々と唸りをあげ、15トンの巨体を少年に向け押し出す。
「作戦時間15秒!」
「了解!」
再び理解不能の隊員達の会話に困惑しながら、それでもこの事態に懸命に対応しようと努力する自衛隊員たちの声に、頼もしさを感じずにはいられない水橋。
しばし轟音を上げた偵察車が急旋回し、水橋の覗くペリスコープの直前に少年の姿を映す。
直後、インカムを通じて微かに聞こえる開閉音。
訝しむ水橋のスコープが誰かの背中を映し出す。
車体を駆け下りたその制服は、少年に駆け寄り何事か語り掛けて少年を抱え振り向く。
水橋に偵察車の事をレクチャーしてくれた車長の五十嵐とかいう男だ。
この霧の中に車外に出たのか!
少年を抱えた五十嵐がステップを登り砲塔上部によじ登る気配。
インカムにハッチの開閉音と思しき音に続いて五十嵐の声。
「全速離脱!」
続いて再び開閉音。
轟音を上げて疾走を始める偵察車の後方、水橋の覗くペリスコープの映像はこちらを向いて悠然と佇む五十嵐三尉の姿を捉えていた。
何故あれほど急いでデートに誘ったのか。
何故プロポーズを急いだのか。
自覚が無かっただけで虫が報せていたのか。
五十嵐の脳裏で、不揃いだったピースが音を立てて嵌っていく。
既に50メートルは離れたろう偵察車が、車体を大きく揺らして止まる。
砲塔が僅かに向きを変え、真っすぐ五十嵐を捉える。
不思議な事に一陣の風がかき分けたように霧は晴れ、五十嵐と偵察車の皆の視線を遮らない。
五十嵐は、玄関で見送りざま、唇を重ねて報告してくれた妻の顔を思い浮かべて右手を高く差し上げる。
親指を立て、人差す指は天を差す。
「出来ちゃったみたい」
微笑んだ妻の笑顔を思い浮かべて五十嵐は心底幸せだと感じ、繋がっていることを感じる砲手と共に、天に向かってトリガーを引く。
時に西暦2025年。9月12日。現地時間午後4時45分。
日本国、防衛省所管、陸上自衛隊。
初弾を以って霧に宣戦布告する。




