【幕間・クリスマス 前編】「すれ違いの足音と、冷たい手袋」
「今年のクリスマス、うちに来ない?」
スマートフォンの画面にポツンと浮かんだメッセージ。表示された送り主の名前――『まこと』の文字を見た瞬間、私の胸は跳ねるように踊った。
『レストランとかも考えてたんだけど、家で過ごすのもいいね! チキンとか焼いて、ケーキも食べようよ!』
文字を打ち込む指先が、嬉しさのあまり少しだけ震える。
『楽しみだな』
画面の向こうの彼も、同じように微笑んでいるのだろうか。
スマートフォンを胸に抱きしめ、私は誰もいない自室で思わず小さくガッツポーズをした。
2年ぶりに奇跡みたいな再会を果たし、ようやく手に入れた大好きな彼との時間。二人で過ごす、初めてのクリスマス。
想像するだけで、冷え切っていた胸の奥がじんわりと温かくなっていくようだった。
けれど、その幸せな予感に暗い影が落ちたのは、それからわずか数日後のことだった。
『来週の週末、どこかに出かけない? 今イルミネーションとか綺麗なんだよ』
クリスマスまでのカウントダウンが待ちきれず、私は少し浮かれた気持ちで彼に誘いのメッセージを送った。しかし、いつもならすぐに届くはずの返信が、その日に限ってなかなか来ない。少し不安になって画面を何度も確認していると、数時間後、申し訳なさそうな文面が届いた。
『ごめん! 来週は通知表の作成とか、仕事がいろいろ重なってて忙しくて……』
『そっか、しょうがないよ。お仕事だもんね。クリスマス楽しみにしてるね』
『おやすみ』
『おやすみなさい』
画面が暗転し、部屋に静寂が戻る。
週末の予定がぽっかりと空いてしまった寂しさと虚しさは確かにあったけれど、相手は中学校の先生だ。年末の忙しい時期、通知表の記入や部活の指導で手一杯になるのは当然のこと。「教員のお仕事は本当に大変なんだから、邪魔をしちゃダメだよね」と自分に言い聞かせ、寂しさを無理やり飲み込んだ。
「あいさーん! クリスマスプレゼントって、何がいいと思いますか?」
週が明け、職場の休憩室。昼休みに温かいお茶の湯気を立ち上らせながら、私は席が隣の頼れる先輩、あいさんに尋ねてみた。
「あら。私なら、何をもらえたって嬉しいわよ?」
お弁当のハシを止め、あいさんはいたずらっぽく笑う。
「違いますよー! あいさんにじゃなくて、彼に何あげようかなって思って」
「そーれーはー……私に対する嫌がらせかしら? 男日照りの独身女子に対する嫌がらせかしら?」
あいさんがジト目で睨んでくるので、私は慌てて両手を振った。
「ごめんなさい! 悪気はなかったんです! あいさんにもちゃんと準備しますよ! もちろん……」
「悪気がないのが一番タチが悪いわ! 罰として、彼氏の格好いいお友達でも私に紹介しなさいね」
「聞いてはみますけど……あいさん、条件がいろいろ厳しそうだからなー」
「何言ってるの、妥協して安売りはしない主義なの!」
「はーい」
冗談を言い合ってクスクスと笑い合いながらも、私の頭の中は彼へのプレゼントのことでいっぱいだった。
仕事で会えない週末。予定が空いてしまったのは寂しいけれど、これをチャンスだと思えばいい。彼に内緒で、とびきり素敵なクリスマスプレゼントを探しに行こう。私は心の中でそう決めた。
週末、冬の寒さを吹き飛ばすような熱気に包まれた巨大なショッピングモール。
クリスマスソングが賑やかに響き渡る館内を、私は一人で歩いて回っていた。
洋服、マフラー、時計、キーケース……色々なショップを覗いては「どれが似合うかな」と思いを巡らせる。そんな中、ある雑貨屋さんの店頭で、シックで質の良い革手袋が目に留まった。
(あ、これいいかも……)
吸い寄せられるように手を伸ばす。彼、通勤や移動でバイクに乗っているって言っていたな。冬場は風が冷たくて手が冷えるって、前に困ったように笑っていたのを思い出す。
手袋を手に取ってみると、革の質感がとても柔らかく、内側には温かい裏地がついていた。ふと横を見ると、レディースサイズも並んでいるのが目に入った。色違いでお揃いにするのも、なんだか特別感があって素敵かもしれない。
「彼へのプレゼントですか? 素敵ですね。丁寧にラッピングしておきますね!」
笑顔の素敵な店員さんに購入した手袋を渡すと、可愛らしいリボンをかけてくれた。
紙袋を受け取り、「ありがとうございました!」とお辞儀をして店を出る。自分の分はどうしようかな、もう早速つけちゃおうかな……なんて、小さな紙袋を抱えながら歩いていた、その時だった。
視線の先――クリスマスツリーが飾られた吹き抜けの広場、人混みの向こう側に見覚えのある後ろ姿が映った。
(えっ……!? まことくん……?)
息が止まった。
スタイル、少し癖のある髪型、そして着ているジャケット。間違いなく彼だった。
(今日は仕事で忙しくて会えないって言ってたのに……なんでここにいるの?)
一瞬、頭の中が混乱した。けれどすぐに、「急に仕事が早く終わって、息抜きに買い物に来たのかな?」なんて自分に都合の良い理由を思い直した。驚かせてやろう、そう思って笑顔で近づき、声をかけようと踏み出した。
けれど――その足は、永遠に凍りついたかのように固まった。
「まことー! 待った?」
私の声より先に、華やかで大人びた女性の声が広場に響いた。
彼のもとへ迷いなく歩み寄っていったのは、背が高く、どこか落ち着いた雰囲気を纏った綺麗な女性だった。
「いや、こっちこそ急に呼び出して悪かったな」
まことくんは振り返ると、その女性に向かって、私に見せるのと同じ……ううん、私に見せるよりもずっと柔らかく愛おしそうな笑顔を向けていた。
なんで――?
頭の中が真っ白になり、足の先から冷たさが駆け上がってくる。全身の血が引いていくのが分かった。
まことくんとその女性は、驚くほど親しげな距離感で楽しそうに言葉を交わすと、並んで仲良くショップ巡りを始めた。
私は物陰の柱に隠れるようにして、少し離れた場所から二人の背中を見つめることしかできない。どうして? 仕事だって言ってたのに。連絡も取れないって言ってたのに。あの人は誰? どうしてあんなに楽しそうに笑っているの?
パニックになった私の指先はガタガタと震えていた。追いつめられた私は、なりふり構わずスマートフォンを操作し、仲良しの友人であるゆうちゃんに必死でメッセージを打ち送った。
『まことくんが今日仕事って言ってたのに、ショッピングモールで他の女の人と一緒にいる……どうしよう』
数十秒もしないうちに、ゆうちゃんから返信が届いた。
『似てる人じゃないの!?』
『ううん、相手の人が「まこと」って呼んでたし、あの服装も見たことあるから間違いないと思う……』
『マジか……もっと誠意のある人だと思ってたのに……! 大丈夫!?』
『あいさんにも連絡してみる……!』
メッセージのやり取りで一瞬目を離した隙に、人混みの中で二人の姿を見失ってしまった。焦って周囲を探し回り、ショップの中を覗き込んでみたけれど、どこにもあの二人の姿は見当たらない。自分の鼓動が耳元でうるさく脈打っていた。
職場のあいさんにもSOSのメッセージを送ると、息を切らせたあいさんからすぐに連絡が入った。
『着いたよ! 今どこにいる?』
『1階の喫茶コーナーで待ち合わせしましょう』
喫茶コーナーの端の席で合流すると、あいさんは私のガタガタ震える手と蒼白な顔を見て、心配そうに覗き込んできた。
「本当に彼だったの……?」
「はい……以前も着ていた服でしたし、相手の人に『まこと』って呼ばれてて……」
「相手の女の人はどんな感じ?」
「年上の……すごく落ち着いた感じの人でした。背が高くて、綺麗で……」
あいさんは腕を組み、険しい表情で眉をひそめた。
「……とにかく、ここで考えてても埒が明かないわ。一度本人に電話してみたら?」
私は意を決して、震える手でまことくんの電話番号をタップした。スマートフォンを耳にあてる。
プルルルル、プルルルル……。
虚しい呼び出し音が響くだけで、一向に出る気配はない。
「ダメです……出ません」
落胆してスマートフォンをテーブルに置いた、その直後だった。画面が明るくなり、まことくんから短いメッセージが届いた。
『ごめん! 今手が離せなくて。あとでまた連絡するね』
その一文を見た瞬間、ポロポロと涙が目元から溢れ出しそうになった。必死で唇を噛み締め、耐える。
「うーん……これは黒なのかしら……」
あいさんが気まずそうに、苦々しく呟く。
「なんで……なんでなんでしょう。この前だって、一緒にクリスマスを過ごす約束をしてたのに……楽しみにしてるねって言ってたのに……」
溢れ出る疑問と悔しさ。あいさんは私の背中を優しく擦りながら、静かに言った。
「……かえでちゃん、辛いかもしれないけど、今夜にでもしっかり話し合ってみた方がいいよ。逃げちゃダメ」
「……そうですね。ちゃんと……話してみます」
その夜。自分の部屋に戻り、灯りもつけずにぽつんとベッドの端に座っていた。
抱え込んだ膝の中に顔をうずめ、スマートフォンの画面を見つめる。
夜の九時を過ぎた頃、彼から電話ではなく、ぽん、と呑気な通知音とともにメッセージが送られてきた。
『今日はごめんね、バタバタしちゃってて』
『それだけ?』
『それだけって……急にどうしたの? なんか元気なくない?』
彼のどこか他人事のような、何も知らぬふりをしているような返信。それを見た瞬間、私の中で張り詰めていた何かが、ぷつりと音を立てて切れた。
本当のことを問い詰める勇気も、嘘をつかれて傷つく怖さに耐える力も、もう私には残っていなかった。問い詰めて「もう好きな人ができた」なんて言われたら、私はきっと生きていけない。
『そっか……。ごめん、クリスマス、予定ができちゃったから会えない……』
『えっ! 急じゃない? なにかあったの?』
『そういうことだから……ごめんね』
それ以上、彼の言葉を読むのが怖くて、私はスマートフォンを伏せた。
もう、彼と連絡を取るのが辛くて……何もかもがどうでもよくなってしまった。
運命の再会だなんて、浮かれていたのは私だけだったのかな。
自分だけが運命だと信じ込んで、彼にとってはただの「都合の良い思いつき」だったのかもしれない。
暗く冷え切った部屋の中、膝を抱えたまま、ポロポロと頬を伝う涙がいつまでも、いつまでも止まらなかった。




