episode.16「特等席の夜空と、私たちの約束」
夕暮れの熱気が少しずつ和らぎ、街全体がどこか浮き立つようなお祭り当日。
あの日、すれ違ってばかりだった夏の夜の記憶が蘇るこの場所で、私たちは今、並んで歩いている。
色鮮やかな浴衣に身を包んだ私が人ごみの中を小走りで駆け寄ると、彼はふと足を止め、その場で動きをピタリと止めた。
「待たせた……? って、どうしたの、そんなにじっと見つめて」
私は少し照れくさそうに裾を直しながら彼の顔を覗き込む。けれど彼は、何か魔法にかかったように目を丸くしたまま、言葉を失っていた。
「……ねえ、何も言ってくれないの?」
「いや……。こんなに可愛い子が自分の彼女だなんて、本当に夢みたいでさ。思わず見とれてた」
飾らないその直球の言葉に、私は心臓が跳ね上がるのを感じる。カッと一気に沸騰した自分の顔が熱くて、恥ずかしさをごまかすように頬を膨らませた。
「なっ……! そんな恥ずかしいことサラッと言わないでよ! 」
「もしかして、今のセリフちょっとキモかった?えっ、嘘、本気で言ったのに!?」
慌てる彼の肩を、私は手に持っていた金魚柄の可愛い巾着袋で、バシッと軽く叩いた。
「もう、からかわないの!」
「いてて……ごめんごめん。でも、本当に似合ってるよ、かえで」
照れくさそうにはにかむ彼の横顔を見ていると、胸の奥が甘くとろけそうになる。
二人でそのまま、祭りの熱気と活気に包まれた出店が並ぶ通りへと足を踏み入れた。
「うわっ、相変わらずすごい人だな……。地元って普段はもっと人が少ないと思ってたけど、こういうお祭りの時だけは、どこからこんなに集まってきたんだってくらい混み合うよな」
彼は私の手をギュッと強く握り直しながら、周りの人ごみを上手に避けつつ先導してくれた。その頼もしい手の温もりが、肌寒さを吹き飛ばしてくれる。
「ねえ、ちょっと歩き疲れちゃったし、あそこの屋台のかき氷食べたい!」
「よし、どれがいい? かき氷で機嫌が直るなら、いくらでも奢るよ」
「本当? じゃあ、イチゴ味がいいな!」
私たちは並んで買ったかき氷のカップを片手に、スプーンを代わる代わる動かしながら一口ずつ口に運ぶ。
「冷たっ……! でも、甘くて美味しいね」
「本当だな。頭キーンってなるけど、夏って感じがして最高だわ」
他愛のない会話を交わしながら、私たちはゆっくりと河川敷の方へと歩みを進めていった。
ふと、頭上に広がる夜空の美しさに目を奪われながら、彼はどこか懐かしそうな声を漏らした。
「そういえばさ、あの年――あの夏も、俺、このお祭りに来たんだよな」
その言葉に、私の足がぴたりと止まる。
「えっ……? だれと?」
彼女の私がすぐ隣にいるというのに、思わず声のトーンが一段低くなり、私はちょっとむすっとした表情でじっと彼をにらみつけた。
「うっ、そんな怖い顔しないでって! 男友達のあつやだよ。あの時、美術館でかえでとすれ違ったあとさ、俺が勝手にフラれたと思い込んで落ち込んでてさ。それを見かねたあつやが『気晴らしに祭りに行くぞ』って無理やり連れ出してくれたんだよ」
「……あつやくんがねえ。ふーん……ナンパでもしてたんじゃないの?」
「本当だって! ナンパなんてするわけないだろ。第一、あの時の俺の頭の中はかえでのことでいっぱいで、それどころじゃなかったんだから」
いつになく私が鋭い視線を向けると、彼は慌てて両手をブンブンと振って否定する。その焦り方がなんだか少し面白くて、さっきまでの尖っていた気持ちが一気にスッと溶けていくのを感じた。
彼の誠実な焦りように、私は小さく息をつき、ふっと柔らかく微笑んだ。
「……ふふ、わかった。それなら、今ここでちゃんと私の手を握ってくれたら、昔の浮気未遂(?)は特別に許してあげる」
彼は少しだけ目を丸くしたあと、愛おしそうにふっと優しく微笑んだ。
そして、繋いでいた手にさらにぐっと力を込め、指と指をしっかりと絡ませるようにして包み込んでくれる。
「もう二度と離さないように、こうしてしっかり握ってるよ」
その温もりに胸が熱くなっていると、彼は誇らしげに一枚のチケットを取り出した。
「ほら、見てよこれ。実はあつやが気を利かせて、人ごみを気にせずゆっくり見られる有料観覧席のチケットを取ってプレゼントしてくれたんだ」
「えっ、本当!? あつやくん、そんな優しいことしてくれたんだ」
私たちはチケットを握りしめ、特設された有料席の専用入口へと向かった。
スタッフに案内されて席に腰を下ろすと、周囲の喧騒が嘘のように穏やかで、目の前にはさえぎるもののない夜空が広がっている。席の受付では冷えた飲み物まで手渡され、至れり尽くせりの環境だった。
「すごいね、こんな特等席で花火が見られるなんて」
「だな。ゆっくり座って、最高の景色を見ようか」
ほどなくして、夜空を焦がすような盛大な音とともに、一つ目の大輪の花火が夜空にパッと開いた。
ドーン、と腹の底に重く響く轟音とともに、色鮮やかな光のシャワーが幾重にも夜空を彩る。そのきらびやかな光が、隣にいる彼の横顔をパッと明るく照らし出した。
見上げる彼の瞳に、夜空を舞う美しい花火の光が幾重にも反射している。その真剣で、どこか穏やかな横顔を見ていると、胸の奥がキュッと締め付けられるほど愛おしさがこみ上げてきた。
「……すごく綺麗だね」
私は夜空の花火ではなく、そっと彼の横顔を見つめながら小さく呟いた。
彼はそれに気づいてこちらを向き、何か言いかけたようにわずかに口を開いた。――もしかして、「かえでのほうが綺麗だよ」なんて、照れくさいセリフを言ってくれるつもりだったのだろうか。
けれど、彼は一瞬ハッとしたように顔を赤くし、「いや、さすがにそんなクサいセリフを女の子に言うやつってキモいよな……」と、恥ずかしそうに自分の頭をポリポリとかきながら、ゴニョゴニョと口ごもって言葉を飲み込んでしまった。
その不器用すぎる照れ屋な一面がたまらなく愛おしくて、私は思わずクスクスと声を上げて笑ってしまった。
「なに? 今、絶対何かカッコいいこと言おうとしたでしょ?」
「べ、別にそんなことないって! ほら、次のやつが上がるぞ!」
ごまかすように上を向いた彼の横顔を見つめながら、私はそっと彼の肩に自分の頭を預けた。
夏の宵の心地よい風が、私たちの間をさっと通り抜けていく。
あの日、すれ違ってばかりで泣きそうになっていた夏の夜が、今ではこんなにも温かい笑顔と幸せに満ちあふれている。
――私は、この夏を、そしてこれからの人生のどんな季節も、きっとずっと忘れないだろう。




